桜花爛漫
つららと仲良くなり、昼のリクオの話を聞く機会が増えた。
学校生活のことや、友人関係など、その種類は多岐にわたる。
大抵は「リクオが如何に素晴らしいか」と言う内容に至ってしまっていたが、聞いているのは楽しかった。
昼が終わって夜になり、紅は妖狐の姿になって宛がわれた自室を後にする。
悠希の姿はない。
どこに行ったのかは知らないけれど、紅にとって不易となる事はしないだろうと気にしていなかった。
人間の時は適度な睡眠が必要だ。
しかし、妖狐の時の紅には人の時ほど頻繁に睡眠をとる必要はない。
他の妖怪も同じなのだろう。
広い屋敷の中では夜でも何かの動く気配がする。
妖怪にとっては昼よりも夜の方が過ごしやすいからかもしれない。
九つの尾を優雅に揺らし、のんびりと散歩をする。
昼のうちにちゃんと挨拶回りをしておいたから、屋敷を歩いていても咎められる事はない。
寧ろ、例の山の話が広がったのか、紅に向けられる目の敵意は消えていた。
「よぉ、紅」
庭先の桜から、声が聞こえた。
驚くでもなく顔を上げた紅は、もしかすると無意識のうちに導かれていたのかもしれないと思う。
立派な桜のすぐ傍まで歩き、枝を見上げる。
そこから見下ろしていたのは予想通りの人。
「こちらにも出てこられるんだね」
今は結界を張っていない。
けれど、彼と自分は同じ空間にいる。
「今は夜だからな」
「昼のリクオは?」
「おいおい。その聞き方だと、まるで別人みたいだぜ?」
ククッと喉を鳴らしたのは夜の姿のリクオ。
昼間の彼とは違う、妖怪としての存在感を纏っている。
「似たようなものでしょ?」
「…あぁ、そうだな。あいつが認めない限りは…別人のようなものだ」
桜越しに夜空を仰ぎ見る彼に、紅は軽く首を傾げた。
そして、一言断りを入れてからトンと地面を蹴って、彼の隣の枝へと飛ぶ。
「その姿は初めてだな」
「あまり変わらないと思うけど」
リクオの視線を受け、居心地悪そうに揺れる金色の尾。
頭にはピンと立った狐の耳があって、彼女が妖狐である事を教えている。
リクオの手が伸びて、尾の一つに触れた。
「いい色だ」
「…母さんと同じ」
大切にされたけれど、いつも母の後を辿っていたような気がする。
兄弟の中でも一番母に似ていた紅には、どこに行っても母の影が付きまとった。
嫌いではない、寧ろ大好きだと思っていたはずなのに―――寂しいと思った自分は、強欲だったのだろうか。
苦笑を浮かべて答えた紅に、リクオが怪訝そうな表情を浮かべる。
「お前の母親を知らないからな。俺にとってはこれがお前の色だ」
スッと優しく尾を引き寄せられ、その先に軽く口付けられた。
彼の行動よりも、その言葉に驚いた表情の紅。
「私の、色…?」
「そうだろ?ここで出会った連中にとっては、これはお前の色なんだよ」
母が居ない世界。
ここでは、結界妖怪の娘ではなく、ただの妖狐の紅なのだ。
彼の言葉に、初めてその事実に気付く。
北の山の主は母を知っていたけれど、知らないものの方が遥かに多い。
「そっか…そうだね」
「親ってのは大きくて、時々重い。俺の場合はじじいもだがな。
それに潰されて萎縮する必要なんざねぇよ。好きに生きて、いずれ追い越してやればいい」
「…何で、萎縮してるってわかったの?」
そう問いかければ、彼は小さく笑って答えてくれた。
「北の山の話を聞いた。お前の母親が関係してるんだってな」
「…総大将ね」
母の話をしたのは、総大将だけだ。
知っているならば彼が話した以外にはありえない。
別に話されて困るものではないから構わないけれど。
「私の場合はね。母さんもそうだけど、父さんも結構有名。向こうじゃ魔界が妖怪の生きる場所なんだけど…。
父さんは今の魔界の統治者制度を生み出した仲間の一人だから」
「魔界、か。住み易いところか?」
「魑魅魍魎の住処だよ。まぁ、住み易い場所もあるけど…ここでいう悪が溢れてる場所の方が遥かに多い」
統治されてきて、随分と良くなってきている。
けれど、日の当たる場所が出来れば必ず影が生まれる。
魔界全てが人間界のようになる事はないだろう。
「随分前に人間界との敷居が低くなって、結構な妖怪が流れたんだ。人間界の様子はこっちとよく似ている」
「人間と共存してるのか」
「共存…って言うのかなぁ。悪さをする奴は、連れ戻されるよ。基本的に人間を脅かす事は許されてない」
ここの世界のように、人を食らう妖怪は魔界へと連れ戻されてしまう。
魔界と言う逃げ場がある以上、この世界よりは妖怪が生き易いなの世界かもしれない。
「リクオ」
「ん?」
「あなたはいずれ、総大将の跡を継ぐの?」
「そうだな。俺はそのつもりだ」
俺は、と限定するのは、昼のリクオの気持ちがそこに追いついていないからだろうか。
彼の横顔を見て、うん、と頷く紅。
「私、あなたに手を貸すよ。私が…この世界から弾かれる、その時まで」
「北の山の主が、か?」
「あそこは関係ない。私個人の問題だよ」
「…どうしたんだ、急に」
視線を動かし、じっと紅を見つめる彼の目。
偽りを許さぬ目に、彼女は小さく笑った。
「あなたが信じるに値する人だと確信したから。私が奴良組に入れば北の山が巻き込まれるから、組には入らない。
けれど、私はリクオについていく。母さんから受け継いだ結界能力…あなたのためなら、使ってもいい」
理由は、嬉しかったからだろう。
この色を紅の色だと言ってくれたその言葉が、紅の心を軽くした。
ただそれだけだが、何よりも望んだものだったのかもしれない。
親と言う枷のない世界を、自由に生きてみたいと思った。
「…まぁ、好きにしろよ」
「うん。リクオ、手を出して」
紅にそう言われると、リクオはスッと自身の手を差し出した。
カリッと自身の指先を噛み、傷を作る。
差し出された手の平の上でぎゅっと傷の方に指を絞れば、ぽたりと赤い血が落ちた。
それは、彼の手の平に落ちる前に結晶化し、絳華石になる。
「これは私の絳華石。私の意思一つで、その周囲に結界を生み出せる」
「血の結晶か?」
「そう。出来れば持ち歩いていて。なくても結界は作れるけど、強度が違うから」
「あぁ、わかった。…綺麗だな」
「こちらではどうかわからないけど、魔界ではそれ一つで島が買えるよ」
そう言うと、紅は指先の傷を治し、彼に向き合う。
「絳華石は命の欠片。それを渡すのは、心から信じた人だけ。…それだけは、知っておいて」
手の平に転がったそれを指でつまみ上げ、繁々と見つめるリクオ。
血から生まれているのに、美しいと思う不思議な魅力を持つ絳華石。
「お前の命、確かに受け取ったぜ」
しっかりと手の平に握り締めたリクオに、紅は穏やかに微笑んで頷いた。
09.12.26