桜花爛漫
翌日、早朝。
そっと起き出した紅は、布団を丁寧に折りたたむと、すぐに服を着替えた。
そして、悠希をつれて奴良組の屋敷を後にする。
少しばかり離れた山へとやってきた彼女は、その場で指笛を鳴らした。
程なくしてあちらこちらから姿を見せたのは、大小様々な狐達。
「話を聞かせてほしいの」
丁度良い岩の上に腰掛けた紅が、にこりと微笑む。
彼女を囲うようにして輪を作っていた狐達の中から、一歩を踏み出した狐が居た。
紅の前へと躍り出た狐は、その場で半妖狐へと変化する。
「あなた様も妖狐とお見受けいたします。話をする前に、真なる姿を見せてはくれませぬか?」
「あぁ、ごめん」
そうだった、と自分の失態を認め、人間の姿から妖狐のそれへと戻る。
奴良組で見せた姿と違うのは、腰から生える尾の数だ。
「何と…九尾のご息女でしたか。とんだご無礼を」
「構わないわ。あなたは?」
「微力ながらも、山の主に代わって狐達を束ね、500年の時が経ちました」
「そう…立派ね」
集まっている狐の中には、妖狐ではないものもいる。
それら全てを束ねると言うのは、並の苦労ではないだろう。
「私はこの世界の妖狐ではないわ。原因は妖怪の能力によるものだと思っているの」
「…別の…世界、ですか…」
何かを考えている様子の、老いた長。
答えが出るのを待っていた紅をじっと見つめた。
「この山の頂上付近に、稲荷神社がございます。そちらには古い稲荷神様が住んでおられます。
事情をお話しすれば、九尾様のお力になってくださるかもしれませぬ」
「稲荷神…白狐ね」
少しばかり悩んでから、彼女は頷いた。
「そうね。じゃあ、そちらを目指してみる事にするわ」
「あ、お待ちくだされ!」
岩から腰を上げて立ち去ろうとした彼女を、慌てた様子で呼び止める長。
何事か?と動きを止めた彼女の前で、彼は自身の懐を探った。
そして、そこから何かを取り出し、彼女に見えるように差し出す。
皺が刻まれた手の平に転がっていたのは、絳華石だ。
「…これは…」
「この山を守る宝玉にございます。先刻、稲荷神様の命により預かってまいりました」
「触れても構わない?」
宝玉というからには大切にされていたのだろう。
確認する紅に、彼は迷いなくどうぞ、とそれを差し出した。
指先でそれを受け取った彼女は、何かに気付いた様子で目を細める。
「これは…母さんの絳華石…」
直接触れれば、自分のものではない事がわかる。
指先から伝わる妖力は、確かに母のものだ。
では何故、母の絳華石がここにあるのか。
「…主の所に行く理由が出来てしまったようね」
しわがれた手の平にそれを返し、小さく呟いた。
屋敷の中に生まれる活動の気配に、夜の静けさが逃げ始めた頃。
学校の用意をしていたリクオは、制服に着替えてから部屋を出た。
廊下を進んで居間へと向かう途中、ふと少し離れた位置にある紅の部屋が目に入る。
きちんと閉ざされている障子から中の様子を窺う事は出来ない。
彼女はまだ、眠っているのだろうか?
「おはようございます」
「ぅわっ!!」
ぼんやりとしていた所為だろうか。
背後からの声に、盛大な反応をしてしまったリクオ。
声から逃げるように数歩前に進んで振り向けば、そこにはきょとんとした顔の紅が居た。
今まさに彼女の事を考えていた所為で、心臓がどくどくと変な音を立てる。
「すみません。驚かせてしまったみたいで」
「大丈夫だから!僕の方こそ、ごめん」
「いいえ。…おはようございます」
改めて笑顔で朝の挨拶をしてくれる彼女に、おはよう、と返す。
同年代とは思えない落ち着いた様子は、妖怪ならではなのだろうかと思ってしまった。
「あのさ」
「はい?」
「年、同じなんだし…そんなに丁寧に話してくれなくていいよ」
「…じゃあ、お言葉に甘えようかな。リクオ―――って呼んでも?」
「も、もちろん!」
深く頷く彼に、紅がクスクスと笑う。
「一応、リクオくん、にしておくね。総大将のお孫さんを呼び捨てるわけにも行かないから」
夜の彼は呼び捨てたのだが、それを知っているのは紅と彼自身なのだから問題ない。
何より、同じように呼ぶのは…少し、気が引けた。
同一人物であると、わかっているけれど、納得できていないのかもしれない。
「私の事は呼び捨ててくれていいから」
「え、じゃあ…雪耶?」
「…残念、名前のほう」
「えっと…」
女子を名前で呼び捨てる事に抵抗があるのだろう。
つくづく、夜の彼とは違うな、と思う。
そのギャップが中々どうして面白いのだけれど。
紅はクスリと笑ってから彼の横を通り過ぎた。
「呼べるように頑張っておいてね。それと、朝食の準備が出来たらしいから早く行った方がいい」
雪女の彼女が待ちわびてるよ。
擦れ違い様にそう言うと、彼女はそのまま渡り廊下を自室の方へと歩いていく。
「…紅…って呼ばなきゃいけないのか…」
相手を人間ではなく、妖怪だと思えば…出来るだろうか。
リクオにとっての、第一の試練が訪れていた。
「総大将。お時間よろしいでしょうか?」
「何じゃ?構わんぞ」
自室にいる総大将の元を訪れ、そう伺いを立てる。
許可を得た事により室内へと入った彼女は、促されるままに彼の向かいに腰を下ろした。
「朝は随分と早くから出ておったようじゃの。何か掴めたのか?」
「はい。私の個人的な内容は省きますが…総大将に、お伝えする事があります」
「ほぅ。何じゃ」
「北の山の白狐以下、山に住まう狐全てを束ねる事になりました」
紅からの報告に、総大将は目を見開く。
北の山は、彼がここを拠点にするよりも以前より、独自に統治されていた。
強い結界により、外界と共存しながらも支配されぬ平穏な場所。
もちろん、山の主を訪ねなかったわけではない。
―――この山は私が預かっているもの。真の主がやってくるその日まで、明け渡すわけには参りません。
彼を百鬼夜行の主と認めながらも、説得に応じなかった。
「おぬし…あの妖狐を説得したのか?」
「…やはり、何か特別な関わりをお持ちのようですね」
話さないつもりだったけれど、関係があるのならば伝えておかなければならないのだろう。
紅は、山の主、白狐の元を訪れた時のことを語りだした。
09.08.15