黒に染まる、黒に染める
裁判が終わり、本日の裁判内容に関する事務処理を行うために執務室にこもっていた。
カリカリとペンを動かす音、ポンと印鑑を押す音など以外に音のない空間に、近付いてくる足音が届く。
慌ただしいそれが執務室の前で止まり、ドンドンとノックとは言えない音が響くと同時に、扉が開いた。
「あの…技術課ですが…!」
「烏頭さんがまた何か?」
即座にそう返す鬼灯に、「いえ、今回は烏頭さんではなく…!」と返す獄卒。
そんな会話が成り立つ程度にはトラブルを持ち込むのだなぁと、何だか懐かしかった。
「何かトラブルが?私、一段落ついたから行きましょうか」
「はい、お願いします!」
ことり、とペンを置き、獄卒にそういうと、彼は助かった、と表情に安堵のそれを浮かべた。
見たところ鬼灯の机にはまだまだ未処理の書類が積まれているし、自分が動いた方が良いだろうと考えた結果だ。
紅が行ってくれるのであればありがたい、とペンを握り直し、書類に視線を落とす鬼灯。
「それで、何があったの?」
椅子から立ち上がってググッと腕を伸ばし、全身のこわばりを解きながらそう尋ねる。
近付いてくる紅に、獄卒は慌てた様子で答えた。
「技術課から繋がる庭に神隠しの穴が発生して―――」
「神隠し?」
紅の問いかけに重ねるようにして、ガタン、という音と共に、鬼灯が立ち上がる。
よほど勢いよく立ち上がったのか、彼の椅子があわや倒れるのでは、という角度まで傾いた。
「私が行きます」
「私が行くから、大丈夫よ?」
「紅」
「―――わかりました。お任せしますよ」
有無を言わさぬ空気を読み、素直に引く。
中途半端な位置で立っていた紅の横を、金棒を携えて足早に去っていく鬼灯。
その横顔から焦りにも似た雰囲気を感じ取り、一人残された紅は不思議そうに首を傾げた。
「…っていうか、神隠しの穴って何?」
呟く声に続くように、執務室の扉が開いた。
「あ、紅ちゃん?鬼灯くんから君の様子を見ておくようにって言われたんだけど。何かあった?」
「いえ、特には。鬼灯は神隠しの穴とやらの処理に向かいました」
「あー…あれね」
なるほど、と納得した様子の閻魔大王に、尋ねてみるかを悩む。
しかし、結局は何も聞かず、自分の机に戻った。
「私は仕事の続きに戻りますので、お気になさらず」
「そう?じゃあ、ワシは向こうにいるから、何かあったら呼んでね」
「はい」
素直なイイ子よろしく、にこりと笑顔を浮かべる。
それに安心したのか、大王は執務室を後にして、室内は再び一人だけの空間になった。
「様子を見ろってことは、要するに私がついて来ないように見張ってろってことだと思うんだけど」
明らかに大王の対応は鬼灯の望むところとはずれている。
もちろん、紅にとっては好都合なので、あえてその点を指摘することはない。
そして、おもむろに片手を自分の前へと持ち上げた。
ボゥ、と手の平に黒い炎が生み出される。
その炎、狐火を自分の代わりに椅子の上に置くが、周囲のものが燃える様子はない。
狐火は一般的な炎とは異なり、彼女が意思を持って燃やそうとしたもの以外は燃えないのだ。
狐火を残したまま自分の気配を消してしまえば、鬼灯が紅の居場所を探ることはできない。
当然のことながら、こういった技があると言うことは、彼は知らないことだ。
「さて、と…行きますか」
気になってしまったものは仕方ない。
紅は鬼灯の気配を探し、そちらへと歩き出した。
辿り着いた庭では、数名の獄卒が遠巻きに見つめる中、それが行われていた。
「懐かしい匂いがすると思ったら…なるほど―――あれを、神隠しの穴と呼んでいるのね」
中心にいる鬼灯の目の前には、紅にも見覚えのあるものがあった。
それは紅が次元の歪みと呼んでいたものであり、彼女をこの世界へと送り込んだ道だ。
恐らくは鬼灯たちが神隠しの穴と呼ぶものであろう。
それの前に立っていた鬼灯が、金棒を振りかぶった。
そして。
「―――わぉ、思い切り物理攻撃。効くんだね…」
意外過ぎる、と呆気に取られる紅の眼前で、神隠しの穴は破壊された。
元々物理攻撃が効くものなのか、金棒が特殊なのか、鬼灯が特別なのか―――あるいは、全部か。
とにもかくにも、穴は破壊され、そして消えた。
獄卒と会話する鬼灯に目を向けてから、ここにいては気付かれるかもしれないと、建物内に身を隠した紅。
「え、紅さん…!?」
しかし、偶然にもそこにいた蓬が、驚いたように彼女と、そして庭の光景を見た。
それだけで、蓬は紅が全てを知ってしまったのだと理解した。
「鬼灯はずっと…神隠しの穴を壊していたのね。恐らく、私に知られず、自分に情報が集まるようにして」
そして、紅もまた、彼の反応を見て、鬼灯が紅には隠していたのだと理解した。
「鬼灯は私が彼の気持ちを信じていないと言うけれど、彼も同じだとは思わない?」
そう言って薄暗い壁に背を預け、小さく肩を竦める。
「私の居場所はここだと言葉を尽くしても―――結局、彼の不安をすべて取り払うことなんて、できないのね」
「紅さん、鬼灯は不器用な奴だから…!」
慌てて言葉を紡ぐ蓬を見て、紅はきょとんとしてから、小さく笑いだす。
「なぁに?その表情は。
私は鬼灯を放り出したりしないわよ。素直じゃないのも、信じきれないのもお互い様だもの」
きっと、時間が解決するわ。
そう言って笑う彼女の表情に、先ほどまでの影はない。
これが彼女の本心だと、信じても良いのだろうか。
「いいのよ。全部信じていなくたって、一緒に居られるわ。
疑ってばかりでは苦しいけれど、不安になることは止められないから、上手く付き合っていくしかない。
次元の歪み―――神隠しの穴を壊すことで安心できるのならば、好きにすればいいのよ」
今回だって、彼の様子を不思議に思ったからついてきた、ただの好奇心だ。
彼が神隠しの穴を壊していることを知ることになったけれど、それは偶然の結果である。
知ったからと言って止めるつもりはないし、鬼灯がそうしたいのならば、すればいい。
「まぁ、あまり意味はないけれど」
「え?」
どういう意味だ?と首を傾げる蓬に、紅はクスリと笑う。
そして肩ほどの高さに腕を持ち上げ、パチン、と指を鳴らす。
指から生み出された赤い火花を中心に生み出された歪みが、パチパチと小さな音を立てる。
「あの神隠しの穴は、偶発的に生まれるものだけれど。里帰り中に色々調べて、ある程度は分析、理解してきた」
作れないことはないのだと、彼女ははっきりとそう告げた。
つまりは、いくら彼女の知らぬところで神隠しの穴を壊し続けようと、彼女はいつだってそれを作り出せると言うことで。
「秘密よ?鬼灯を不安にさせたいわけじゃないから。それに―――私はもう、帰るつもりはないもの」
小さな神隠しの穴を握り潰し、安心させるように微笑む。
いつだって帰ることはできるけれど、この空間同士の繋がりがいつまでも存在しているのかは未知数だ。
道は作れるけれど、次があるかどうかはわからない。
紅はそんな不安定さを理解し、そしてすでにこの世界を選んでいる。
「それ、鬼灯には…」
「さぁ、どうしようかしらねぇ」
「いや、話してやってよ、紅さん…頼むから」
「いつか…ね?見るべきものは見たことだし、帰るわ。鬼灯には秘密にしておいてね」
「あぁ、蓬さん。ここにいた―――」
「お、おう、鬼灯。どうかしたか?」
「………紅さん、ここに居ませんでしたよね?」
「!?ああ、いなかったな。紅さんの居場所ならわかるんだろ?(そういや、紅さんどうやって来たんだ…?)」
「…そうですね、執務室にいるようですし…気のせいですか」
「(さっきの今で執務室に戻ってはない…よな?だとすると、まだ何か隠してるんだなぁ、あの人)」
17.12.08