黒に染まる、黒に染める
「ただいま戻りました―――って、白澤様、随分荒れてますね」
薬草を採って戻り、店の戸を開くなり、ぎょっとした表情を浮かべた桃太郎。
その視線の先には、店のカウンターの所でグダグダに酔っている白澤がいた。
「やぁ、桃タローくん。お帰りぃー」
「うわ、すごい酒瓶の量だな…てっきりご機嫌だと思いましたけど」
酷いな…と背負った籠を置き、転がっている酒瓶を拾い始める。
全くこの上司は、大して酒に強くないのに、よく飲む。
今回も例に漏れず複数の酒をチャンポンしたらしく、瓶の種類も多種多様だ。
「紅さん、会いませんでした?」
ガチャン、と酒瓶が白澤の手から滑り落ちた。
「うわ!!何やってるんですか!?飲みすぎですよ!!」
慌てて破片を集めつつ、酒の処理を始める姿には、この店で働く上での苦労が垣間見える。
「紅ちゃんね、紅ちゃん…相変わらず美人で可愛かったよ…」
「あ、会ったんですね。で、何にやけ酒してるんですか」
呆れたように溜め息を吐く傍らで、白澤が新たな酒に手を伸ばす。
が、その手が酒瓶に届くよりも早く、桃太郎がそれを彼から遠ざけた。
「……………った」
「え?」
「紅ちゃん、人妻だった…!しかもよりによってアイツ…!!!」
「あぁ…それで…」
確かに綺麗だったもんな、放っておかないよなぁ、男が。
白澤の言葉に、その言動の原因を理解した桃太郎は、やはり呆れたように溜め息を一つ。
「誰と結婚してたんですか?」
桃太郎の当然ともいえる質問に、白澤の動きがピタリと止まる。
数秒、数十秒と固まっていた彼だが、やがて血反吐を吐くようにして告げた。
「………地獄の…」
「…地獄の」
「………鬼の…」
「…鬼の」
そこでまた、続きが聞こえなくなる。
鬼の、誰だよ!と思いつつ、よほど言いたくないらしいその名に、もしかして、と気付く。
「…鬼灯さんですか」
「そーだよ!!あの朴念仁だよ!!」
「そういえば、背中に鬼灯…」
店の中を歩く彼女のチャイナドレスの背面にあしらわれた鬼灯の模様を思い出す。
鬼灯さんのファンなのかな、あからさまだなぁ、程度にしか思わなかったので忘れていた。
なるほど、そういう関係性であれば、あの鬼灯がまた違った意味を持つとわかる。
「アイツに意中の女の子がいるかもって噂は聞いてたんだけどね。まさか紅ちゃんだとは思わなかった」
「噂?」
「少し前に、地獄の老舗呉服屋で大量の女性の着物を注文していったって聞いたからね」
着物、としか聞いてなかったからまさかチャイナドレスだったとは思わなかったけど。
ぶつぶつと恨みがましく呟く姿には、未練が隠しきれていない。
その老舗の店員の女の子からの噂話なんだろうなぁ、などと考える桃太郎。
彼の中での白澤の交流関係は、そんなものだ。
「アイツが気に入る女の子ってどんな子なんだろうって…絶対普通じゃないんだろうなって思ってたけどさ」
よりによって!!と机に顔を埋めるその様子に、桃太郎は疑問を感じた。
女性に振られても、こんな風にやけ酒をしている白澤は珍しい。
こっちの花が駄目なら次の花、と移ろうのが白澤だと思っていた。
「あの…紅さんと、仲が良かったんですか?」
「ううん。話したのはこれが3回目…くらいかなぁ」
「………その割には…」
鬼灯が絡むとこうなるのだろうか。
何だか違和感を覚える桃太郎に、白澤はむくりと身体を起こして立ち上がる。
そして、その足で水道まで歩いてコップ1杯の水を呷った。
「話した数こそ少ないけど…あの子が強い女の子だっていうのは、知ってるんだ」
「白澤様?」
「紅ちゃんはね、この世界でひとりなんだよ」
そう言って、思い出すのは彼女との初めての出会いだ。
「君、不思議な子だね」
妖狐?と問うその先にいたのは、桃源郷の河原で休んでいた紅だった。
「ええ。あなたは…」
「僕は白澤。君は、この世界の枠組みにはまらない存在だね」
何となくそれを察することができたのは、白澤が神獣である故の事だったのだろう。
一目見て、彼女がこの世のどこにも位置付けられない孤独な存在であると気付いた。
「何か力になれることはある?これでもそれなりの力はあると思うよ」
紅が女性であったというだけではなく、その境遇に不憫さを感じたのかもしれない。
あるいは、たった一人の存在であるということに、自分との共通を見出したのだろうか。
もちろん、仲良くなりたいという下心がなかったとは言わないけれど。
「―――いいえ、ありがとうございます」
「困ってない?帰りたいと思わない?」
「…何のことですか?」
クスリと笑い、彼女は白澤が自らの境遇に気付いていると知りながら、あえて知らない振りをした。
彼に頼るつもりはないという、明確な意思表示だ。
世界から外れた存在でありながら、あくまでも自分の足で立つと。
それは、度が過ぎれば強がりにも見えたかもしれない。
しかし、白澤の目の前にいる彼女は、強い眼をしていた。
「君は―――この世界に存在する意味を見つけたんだね」
彼女のその目に何が、あるいは誰が映っているのだろう。
「…何か困ったことがあれば、いつでも頼ってね。僕は女の子には優しいよ」
「はい、ありがとうございます」
そう答えて笑顔を残し、彼女は去って行った。
そんな僅かな時間だったけれど、数千年を経た今でも色鮮やかに残っている記憶だ。
「機会がなかったわけじゃないんだよ。地獄の獄卒として働いてることは知ってたしね。
ただ、彼女は本当に地獄から出てこないし、町中で出会うこともなくて…」
今思うと、それもこれも、全ては鬼灯の思惑だったのかもしれない。
「そんなこんなで時間だけが過ぎて、本当に顔を見なくなって………帰ってきたら結婚してるって…!!」
何となく、何となくではあるけれど、彼女とはいつか、繋がりができるような気がしていた。
そんな、勘ともいえるものに頼って、その時が来るのをのんびり待っていようと思ったのが運の尽きか。
まさか、よりによって鬼灯繋がりの関係性だとは思ってもみなかった。
―――…一途に想われ、大切にしてもらえることは…幸せだと、思います。
そう言ったときの、彼女の表情は、本当に綺麗だった。
誰かを想う女性は、こんなにも美しいのかと。
外見的な美醜のものではなく、内から溢れ出す純粋な美しさだと思った。
故郷を捨て、世界を捨ててでも共に在りたいと思える存在がいるのだと。
寂しさと一緒に、彼女が独りではなくなったことへの安堵を覚えたこともまた、事実だった。
「紅ちゃんのあの表情がアイツを想ってのものだと思うと、腸が煮えくり返るけどね…!」
納得したし安堵したはずなのだが、相手が鬼灯だと思えば感情も変わる。
彼女の想いを否定するつもりはないけれど、鬼灯への諸々の感情が邪魔をするのだ。
「一度くらい紅ちゃんと遊んでおけばよかった…!!」
「(この人はどこまでも………)」
桃太郎の呆れた遠い目にも気付かず、白澤は過去を嘆いた。
17.11.10