黒に染まる、黒に染める
白澤と言えば、中国の神獣であり、妖怪の長とも言われている。
吉兆の聖獣である彼の中身はと言えば、とてもではないけれどそうは見えないのだが。
「しかし、本当に久しぶりだねぇ…あ、ここに座るといいよ」
長居する気はないのだが、長居させる気満々の彼に、少々圧倒され気味の紅である。
地獄の鬼神、鬼灯を前にしても臆さず堂々と意見できる彼女。
そんな彼女がこうなるのだから、白澤という人物が彼女にとって得意とする人物でないことは明らかだった。
「閻魔大王の薬をいただいたら早々にお暇したいのですが」
「ごめんね?ストックがないから作らないと」
今から作るよ、なんて軽い調子で準備を始める彼の言葉は、果たして真実だろうか。
恐らくは嘘だろうな、と予測するけれど、そうだろうと断定するには材料が少ない。
「里帰りは楽しめた?」
「ええ、まぁ」
「そういえば、一度だけアイツが紅ちゃんの居場所を知らないかと聞いてきたよ。アイツにも言ってなかったんだね」
知ってても教えなかったけどね。
そう言いながらゴリゴリと薬を擂り潰す白澤。
「急なことでしたから」
「そうなんだね。そういえば、紅ちゃんはどこから来たの?妖狐の里?」
「とても…とても遠い所ですよ」
「そっかー。随分帰ってなかったんじゃない?良かったね」
相変わらず、この人は優しい人だと思う。
こういう性格でありながらも、女性が途切れないのはこういう優しさに惹かれるからなのだろう。
尤も、紅にとっては“物珍しい”という程度の印象であるが。
「(個人的には可もなく不可もなく…良い知人くらいの位置づけにはできそうな気がするけれど)」
「何?僕のことが気になる?」
「白澤さんと鬼灯って、そんなに似ていますかね?」
「うわ、ここでアイツの話題?…紅ちゃんは似てないと思うわけだ」
その言葉に素直に頷くと、白澤は嬉しそうに笑った。
そっかそっか、と頷いてから、改めて答える。
「紅ちゃんは妖狐だからね。外見要素以外でも判断するからじゃない?」
「あぁ、なるほど」
少なくとも、鬼灯は彼のように女性の匂いをつけていない。
白澤の意見は紅にとっては十分に納得できるものであった。
しかし、彼女の表情から自分にとってマイナスの評価が下ったことを察し、白澤は慌てて続ける。
「ほら、妖怪とか動物って、そういう部分には緩いっていうか、寛容でしょ?」
「いえ、人それぞれかと。少なくとも私には一人に絞れない優柔不断さを誤魔化す言い訳に聞こえます」
「紅ちゃん、辛辣!アイツの所で働いてるせいで冷徹さが移っちゃってるんじゃない!?」
「元からですよ?私の両親は万年新婚夫婦ですから、浮気という性は理解できないですね」
「へぇ、そうなんだ。妖狐の事情には明るくないけど、そういう夫婦もいるんだね。紅ちゃんもそういうのに憧れてるタイプ?」
そんな問いかけに、どうだろうかと考える。
それが当たり前だと思っていたから、考えたことがない気がする。
更に言うならば、紅自身はあまりそう言った恋愛関係に憧れや希望はなく、どちらかと言えば淡白だ。
しかし、それでも。
「…一途に想われ、大切にしてもらえることは…幸せだと、思います」
「……僕も大切にするよ?」
「その他大勢と一緒に大切にすることは一途だとは言えないかと」
「えー、そうかなぁ」と悪びれた様子もない彼には、何を言っても無駄なのだろう。
何千年とこうして生きてきている彼の考えを変えるのは難しいし、変えようとも思わない。
もしかすると、本当に大切にしたいと思える女性に、彼はまだ出会っていないのかもしれない。
そんなことを考えていた紅は、ふと匂いに気付いて顔を上げた。
―――ああ、やっぱり、来てしまった。
「白澤さん。必要もないかと思って言いそびれていましたけれど、私、夫がいるんです」
「夫…って、結婚してるの!?人妻!?」
「はい」
「いや、こんな美人だし、放っておかないのはわかるけど―――どこの誰!?」
「白澤さんもご存知の方です」
あっさりと答える紅に対し、あからさまにショックを受けている様子の白澤。
彼女が人妻であるのならば、これ以上口説くことは信念に反する。
だが、諦めるにはあまりに惜しい。
「………うん、夫公認なら大丈夫!頑張るよ!」
「…いえ、絶対に無理かと…」
どう考えても、彼女の夫が公認するはずなどない。
そんな彼女の思考など知る由もなく、何かに意気込む白澤に、最早溜め息しか出てこない。
「ところで、紅ちゃん。この後はどう―――ぐほぉっ!!」
いつの間にか隣に来ていて、肩を抱こうとしていた白澤が消えた。
正確に言うならば、後ろから飛んできた金棒が彼を巻き込んで、その身体ごと店のカウンターへとめり込んだ。
「いきなり何するんだ、お前は!!!」
「―――紅」
「(わぁ…滅茶苦茶怒ってるー…)」
積み上げていた荷物が散乱し、その下から這い出てきた白澤が怒鳴るも、全く意に介していない。
しかし、低い低いその声に、紅ははっきりと悟った。
「紅、出てきなさい」
「…はい」
「ちょっと、紅ちゃん。いくら上司だからって、言うこと聞く必要―――って、紅ちゃん、それ…!」
椅子から立ち上がって白澤に背を向け、呼ばれるままに店の外へと向かう紅。
その背を捉えた白澤が驚きの声を上げるけれど、彼女は足を止めなかった。
店を出た先には、鬼神に相応しい鬼気迫る鬼灯がいる。
「それ」
「それ?」
「何と書いてあるか、読めますよね?」
そう言って促された先にあった“それ”は、この店の看板である。
ちなみにそこにははっきりと、『極楽満月』と書かれている。
「…読めます」
「よろしい。では、言いたいことはわかりますね」
「…ごめんなさい」
「言い分は帰ってから聞きます」
そういうと、鬼灯は紅の横を通って店の中へと入り、荷物に埋もれていた金棒を持ち上げた。
そして、白澤に向かってズイッと手を差し出す。
「大王の薬。どうせ用意があるのにない振りをして、紅を留まらせていたのでしょう」
「ぐっ…その前に―――紅ちゃんの夫って…」
「私ですが、何か?」
「よりによってお前かよ!!」と頭を掻きむしった彼は、足音荒く棚へと近付く。
引き出しから薬袋を取り出して鬼灯へと投げつけた。
「あのチャイナドレスの鬼灯を見た瞬間にわかったけどな!お前にしては独占欲丸出しじゃないか」
「昨日今日の話でもありませんし、今まで気にしていませんでしたけれど…。
人の妻に手を出そうとする呆れた輩が多すぎるものですから。貴方を筆頭に」
「まだ手は出してない!」
「夫の公認云々と企図していたのは誰ですか。また奈落に落としますよ」
「はっ!また庭に落とし穴を掘ったのか!?」
「いえ、そんな無駄なことをしている暇があるなら紅と寛ぎます」
「前科のある奴の言うことか!ていうか羨ましいな!!」
次から次へと交わされる会話に、口を挟む隙がない。
手持無沙汰に傍らにいた兎を撫でていると、面倒になったらしい鬼灯が懐から取り出したものを投げつけた。
そのままくるりと踵を返してくる様子から、投げつけた小袋の中身は薬代なのだろう。
「紅さん、帰りますよ」
「うん」
少しだけ雰囲気が和らいだらしい鬼灯の様子に、ストレス発散も兼ねていたのかもしれないと思う。
どちらにせよ、帰れば彼からの追及が待っていることに変わりはないのだろうけれど。
「紅ちゃん、またね!そいつが嫌になったらいつでも待ってるよ!」
そんな声に見送られて、桃源郷を後にした。
17.11.05