黒に染まる、黒に染める

「―――で?」

言い分があるなら聞きますよ、と告げる鬼灯の目は、何人たりとも逃がさないと言いたげな眼光を宿す。
よく蛇に睨まれた…という表現を聞くけれど、蛇などよりも恐ろしいものなど世の中には山とあるのだ。

「里帰りよ。まさか、ここまで時間の流れが異なるとは思っていなくて…正直、驚いたわ」
「―――と言うことは」
「中庭でたまたま歪みを見つけてね。向こうでやり残したこともあるから、一度帰っていたの」
「そのやり残したこと、とやらに500年…あなたの感覚で言えば5か月をかけたというわけですか」
「そりゃあ、これでもそれなりの地位にあったわけですから。職を辞するにも色々と大変なのよ」

鬼灯ほどではないけれど、と肩を竦めて見せれば、納得したのかしていないのか、微妙な表情が返ってくる。

「…とりあえず、状況はわかりました。ところで、こちらに帰ってくる手段は考えてあったんですか?」
「………」

じろりと睨まれ、すっと視線を外す。
相変わらず、この鬼神の眼光は恐ろしい。
これでも故郷の魔界ではそれなりに強かったと自負している。
そんな自分をビビらせるとはどういうことだ、と思うが口には出さない。

「…考えていなかったわけですね」
「ちゃんと帰ってきたんだから、別にいいと思うんだけど!」
「そうですね。結果論としてはあなたは帰ってきたわけですからね。結果論としては。
例え何も言わず、その場の思い付きで帰れるかもわからないのに…500年も、無断で、いなくなったとしても」
「(めっちゃ責められてる…)」

一言ずつ、言い聞かせるように区切りつつ、強調された言葉を聞けば、彼の怒りを感じずにはいられない。
鬼灯との付き合いは、彼が鬼となったときからである。
直近500年を除けば、随分と長い付き合いになったものだ。

「それにしても、私は何とかひと月ふた月で帰ってこようと思ってたのよ」
「ほぅ…」
「帰れなくなったのは鬼灯のせいでもある」
「理由を聞きましょう」
「初めて見たわよ、父さんが植物を見て絶句する姿」

紅の父と言えば、魔界ではそれなりに名前の知れた妖狐である。
そして、彼は魔界植物を扱う。
中には妖怪に寄生するものや、頭から丸のみしてしまうような巨大なものまであり、種類は多岐にわたる。
そんな魔界植物によって、植物に対しては並外れた耐性を持つはずの父を、絶句させたもの。

「うっかり中庭から移動したせいで、金魚草を一緒に連れて行っちゃって…」
「そちらにはないんですか」
「ないわ。あったら、父さんがあんな反応するわけがないもの」

あの反応を見れば、ない、と断言できる。
お蔭で、植物研究者よろしく探求心を刺激された父に付き合わされ、滞在期間が延長した。

「とりあえず、3か月で2鉢?2匹?を3倍まで増やしたところで、何とか帰ってきたんだから」
「その短期間でよくそこまで増やしましたね。そちらの水か土が金魚草に適していたのか…?
あるいは、天候気候が関係しているのかもしれませんね。餌は何を与えていました?」
「…うん、この話をしたらあなたもそうなるだろうと思ってた」

そういう所は気が合いそうよね、父さんと。
そう言って肩を竦めつつ、部屋の隅に置いていた荷物を運んでくる。
開いたカバンの中からいくつかの包みを取り出し、机の上に並べていく。

「これが魔界の土、一応3か所分。で、魔界の水と、与えていた餌はこれ」
「流石ですね」
「まぁ、嫌というほど金魚草談議に付き合わされているからね…私としても、気になったし」

気にはなるけれど、研究したいと思うほどではない。
自ら進んで研究する者がいるならばそちらにお任せして、結果だけを聞く方が効率良いというものだ。

「ところで、もう話すことは話したし、部屋に戻ってもいい?」
「戻るんですか?」
「そのつもりだけど」
「500年、無人の部屋に?」

鬼灯にそう言われ、はた、と気付く。
こちらに帰ってきてからというもの、一度も自室に足を踏み入れていない。
閻魔大王に会ってからすぐに、執務室に缶詰めになって、今に至るのだから無理はない。
500年―――その間放置された部屋は、一体どうなってしまっているのか。
久しぶりの激務に疲弊した身体に、その部屋を直視する気力は残されていなかった。

「お風呂、先にどうぞ」

項垂れる紅の前に、整えられた着物が差し出される。

「あぁ、うん…ありがとう。用意周到過ぎて戸惑うけど、ありがたい…」
「お湯も張ってありますから、ゆっくり浸かってください」
「うん、ありがとう。あと、これ父さんの金魚草生育記録。コピーしてき―――っ」

着物を受け取って立ち上がろうとしたところで、床の何かを踏んでズルッと足が滑った。
傾いた身体はあっさりと鬼灯によって受け止められる。

「お約束ですね」
「床に資料が散乱してるこの部屋が悪い…!」
「ところで―――少し、痩せました?」
「痩せたっていうか、引き締まったかも。父さんと修行していたし」
「あぁ、なるほど…そういえば、私の金棒を投げ返してましたから、相当ですね」

腕やら何やらを確かめるように撫でられ、揉まれ―――くすぐったさに身を捩る。
やがて、ぎゅっと腕の中に抱え込むようにして動きを止めた彼。

「…鬼灯?」
「あなたの気配が突然消えて、駆け付けてみれば中庭はもぬけの殻、散乱した水やり道具」
「………ごめん、心配かけた」

背中から抱きすくめられているような状況であり、彼の顔は見えない。
それでも、その声色から心中を察することはできる。
無表情、冷血漢と言われる彼のこんな様子、幼馴染たちですら見たことはないのかもしれない。

ぽんぽん、と回された腕を優しく撫でて、好きにさせようと瞼を伏せた。

「―――鬼灯、ごめん…寝そう」
「………お風呂に入りなさい」







翌日、意を決して自室の前に立つ。
何を思ったのか、鬼灯が見守る中、魔の巣窟となっているかもしれない自室の扉を開いた。

「………え?」

開いた先にあった部屋は、埃積もった魔の巣窟でも何でもなく―――寧ろ、出て行った時と同じ様子だ。

「…鬼灯?」
「…気が向いたときだけですよ」
「掃除してくれてたの!?」

本当に!?ありがとう!!と安心からの笑顔を浮かべたまま抱き着けば、彼の腕が背中へと回された。
流石、鬼灯!やるときはやる男だ!と喜んでいた紅だったが、感動が落ち着いてくると別のことに気付く。

「…(それなら昨日は鬼灯の部屋に泊まる必要はなかったのでは…)」

気付いてしまったけれど、あえてその言葉を飲み込んだことは、彼も知っていただろう。

17.09.25