親愛なる君に捧ぐ
Beast Master And Prince 16
二度目の竜の騒動のあの日から、3年の月日が流れた。
人々を救った英雄であるティアナは、相変わらずカトライアの一角で平和な日々を送っている。
それは、彼女の生活を乱したくないと考えた四人の王子の計らいによるものだ。
あの日から彼女は猛獣使いとしての力を上達させ、カトライアの外でショーを行う事も増えてきた。
時折招かれるファザーンは、国王の座に就いたマティアスの統治の元、今まで以上に繁栄してきている。
前王の面影を色濃く残しつつ、前王とは違う手腕の持ち主である彼は、民衆にも少しずつ認められてきていた。
「安心したわ」
公務の合間を縫って時間を作ったマティアスが、謁見の間を訪れた。
その窓際で城下を見下ろしていた女性が、彼に気付いて背中を向けたままそう告げる。
そして、彼女はゆっくりと振り向いた。
燃えるような赤髪は健在だ。
「漸く、か。もう少し早いかと思っていた」
「こちらにも色々と事情があるのよ。他の三人は元気?」
「ああ。全員国に帰ってきている。会っていくか?」
「いいえ、構わないわ。あまり長居するつもりはないから」
彼女はマティアスと視線を合わせ、小さく笑みを浮かべた。
「前王とは似ても似つかない…良い表情ね」
「そう…か?」
「ええ。この国は良い国になるわ」
コツ、と靴音が鳴る。
彼女はゆっくりと彼との距離を縮め、やがてすれ違った。
「コウ」
振り向いたマティアスがその背に声をかける。
「帰るのか?」
「―――もちろん」
笑みを感じさせる声で答えた彼女は、風のようにその場から消えた。
「疲れたー…」
一週間の旅から帰ってきたティアナは、夕暮れ迫る帰路を歩きながらそう呟いた。
今回はハードスケジュールで、思ったより体力を消耗してしまった。
今度からはもう少しスケジュールを見直さないと…と考えたところで、俯く視界に影が差しこむ。
顔を上げれば、どこから現れたのかわからないシルビオがそこにいた。
「よ、ティアナ。顔が不景気だぞ」
「ふ、不景気…」
「すっげーお疲れって顔。今なら特製の疲労回復ドリンクを分けてあげるけど?」
飲んでみる?と言う言葉に、ティアナは思わず考えた。
「…今度は大丈夫?」
「効果は保障するよ」
「味は?」
「そこはゲルダに文句を言うってことで」
にこにこと笑顔を浮かべたままの彼。
ティアナははぁ、と溜め息を吐き出し、伸ばした手を引っ込めた。
「遠慮しておくわ」
「そう?30分くらいで疲れが取れる優れものだけど―――味の所為で商品にできないんだよね、これ」
どうするかなぁ、と肩を竦める彼に、彼女は自分の選択が間違っていなかった事を悟る。
こんなに綺麗な色なのに、どうして商品にできないような味に仕上がってしまうのか。
ゲルダにはまだまだ時間が必要らしい。
「送っていくよ」
「え、ありがとう。でも、すぐそこだから大丈夫よ?」
「そんな疲れた顔で行き倒れられても困るし」
そう言ってごく自然に隣に並んだシルビオが、重そうな荷物を預かった。
見た目や言動の軽さとは対照的に、こう言う所はそれが当然であるかのように優しい。
「シルビオのそう言う所ってすごく素敵よね」
「…ごめん、ティアナ。俺、こう見えても一途だから…」
「もう!そう言う事じゃないわ!」
これではまるで、自分がシルビオに気があるみたいだ。
口をとがらせた彼女に、彼は楽しげな笑い声をあげた。
「そう言えば、あの王子とはどうなの?」
「え!?」
「知らないとでも思った?お生憎様、人の感情には結構敏感なんだ」
得意げな表情の彼に、ティアナは頬を赤く染めた。
そして「うん、まぁ…」と曖昧な返事を返す。
「そっか。あんな出会い方をさせた俺が言うのも微妙だけど…幸せに」
「………もう、気にしていないわ。あの日々がなかったら、彼らとは会えなかったんだもの」
これで良かったの、と赤い空を見上げるティアナ。
その目は、かつての日々を思い出しているのだろうか。
シルビオが隣を歩く彼女を見つめる。
その時、ティアナの目が何かを見つけた。
「シル、ビオ」
途中で言葉を詰まらせたのは、動揺の所為だろうか。
彼女は恐る恐ると言った様子で空を指差した。
彼女の手をたどり、見上げた空を舞う一羽の鳥。
それを見た途端、シルビオが大きく目を見開いた。
「っ…ごめん!!」
持っていた荷物をティアナに返し、返事も聞かずに走り出す。
彼の頭の中にあるのは、飛んでいく鳥を見失わないことだけだ。
いや、それすら考えていないかもしれない。
「行ってらっしゃい」
見えなくなったシルビオの背中に、そう呟いた。
撒こうと思えば、いつだって空の彼方へと飛んで行ける。
それなのに、その鳥は常にシルビオの視界にいた。
まるで、彼をどこかへと導いているかのように。
どこかへ―――?そんなの、決まっている。
あの鳥があいつなら、飛んでいく先は間違いなく。
逸る鼓動を抑えきれず、ごくりと喉が鳴る。
この先に、いる。
それは勘ではなく―――言うならば、本能的な感覚だった。
街を一望できるグロースの丘。
日が暮れ始めたそこは既に無人だ。
その中でただひとり、空を仰ぐその人。
忘れるはずもない炎を閉じ込めたような赤い髪が、ふわりと風に揺れる。
ぐるりと空に一円を描いた鳥が、彼女の腕へと降り立ち、そして消えた。
「―――ッコウ!!」
声に反応して、細い背中が振り向く。
彼を視界にとらえた彼女は、柔らかく微笑む。
シルビオ―――自分の名を呼ぶ声を聞くよりも早く、その身体を抱きしめた。
10.10.02