親愛なる君に捧ぐ
  Beast Master And Prince  17

挨拶も何もなく、勢いのままシルビオの腕の中に閉じ込められる。
腕の中のコウと言う存在が決して幻ではないと確認するかのような、強く切ない抱擁。
彼の心が流れ込んでくるような気がして、息が出来なかった。

「シルビオ…」

彼の腕が震えているような気がして、思わずその名を呼ぶ。
ピクリと腕が反応し、更に少し、力が強くなった。
コウの肩に顔を埋める彼の吐息が首筋を掠め、そして。

「―――ッ!?」

突如、無防備な首筋を襲った痛みに、コウが息を飲む。
確実に血が出ているであろうそれを与えたのは、考えるまでもなくシルビオだ。
皮膚を抜け出した血が首筋から胸元へと流れるのを感じる。
それと同時に、傷口を這う彼の舌。
猫の名残なのか、舌はざらざらしていて少し痛い。

「ちょ…何なの、吸血鬼みた、い…に―――」

首を噛み、血を舐める。
吸い出すような無茶はしないようだけれど、それだけでも十分、吸血鬼のようだ。
そう口にしようとしたコウは、ハッと気付く。
それと同時に、彼女の表情は瞬く間に蒼褪めた。
そして、渾身の力でシルビオを押し退ける。
僅かに腕が緩み、コウとシルビオの間に距離が生まれた。
けれど、咄嗟に腕を掴まれ、それ以上離れることは出来なかった。

「今…何をしたのか、わかっているの…?」

片方の腕を掴まれたまま、もう片方の手で首の傷を押さえる。
そう深くない傷口は既に固まり始めているのか、指先を濡らす血は少ない。
震える声で、まるでこの世の終わりを見たかのような表情でシルビオを見るコウ。

「わかってるよ」
「わかってない!わかってないわ!!この血が、どれほどの絶望をもたらすのか…わかっていないっ!!」
「大丈夫、ちゃんとわかってる。わかった上で、欲しかったんだ」

コウと一緒に歩ける未来が。
真剣な表情のシルビオが、そう告げた。
そんな彼を見て、コウは違うのだと言いたげに首を振る。
胸に抱えた憤りは言葉にできない。
いや、憤り…とは少し違うだろうか。
上手く表現できる言葉が見つからなかった。
流れた涙を隠すように足元に視線を落とすコウ。

「コウ、聞いて」

優しい声が聞こえ、頬に添えられた手に促され、顔を上げる。
涙に揺れる視界の中に、変わらず真剣な表情の彼が見えた。

「俺は猫だから…コウとは違うけど。でも、それでも―――好きなんだ。
ずっと…俺にはコウだけだった。今までもこれからも、一緒にいたい」

世界が時を止めたような感覚。
彼以外の全てが遮断され、世界が彼一色に染まった。

「…私…」
「俺のこと嫌い?一緒にいたくない?」
「そんなわけない!私は、ずっと―――」

嘘でも肯定なんてできない。
即座に否定した彼女は、言葉半ばで我に返った。
そんな彼女を見て、シルビオは漸くその表情に笑顔を浮かべる。

「一緒にいられるなら、呪いだって何だっていい。置いていかれるのも、置いていくのも嫌だから」
「………本当に、わかってる?私の…不死鳥の血は、不老不死の力を持っているのよ?」

死なないのではなく、死ねないのだ。
その意味を、わかっているのだろうか。

「周囲が皆、老いて死んでいく。その中で生きていくことの重み…わかっているの?」
「でも、コウがいる」

それが全てだと、彼の目がそう言っていた。
これ以上何を言えるだろうか。

「…コウ?」

沈黙して俯くコウに、シルビオの不安げな声が届く。
自分のすべてを伝えた。
後はコウの答えを待つだけ。






時間だけが無情に過ぎていく。
やはり―――駄目なのだろうか。
不安がシルビオの脳裏をよぎる。

「―――て」
「え?」
「…一緒に、いて。ずっと…傍に―――」
「!それって…」

改めて確認するまでもないのに、思わずそんな声が零れた。
こくり、と一度頷いた彼女は、漸く顔を上げる。
涙に目元を濡らしながらも、彼女は笑っていた。

「ありがとう…!」

感極まってと言う他ない勢いの抱擁。
今度は、その腕から逃げようとはしなかった。
甘えるように頬を寄せ、瞼を伏せれば、自分でも驚くほどに心が落ち着く。
欠けていた何かがかちりと嵌ったような、そんな感覚。

「―――私も、好き」

ごくごく自然に零れ落ちた言葉は彼の耳に届いたようだ。
彼の腕が優しく、けれど強く、コウを抱きしめた。















夜、中庭で月を見上げる。
眠るシルビオの隣を抜け出してきたけれど、彼は起きていないだろうか。
頭の片隅でそんなことを考えたところで、ふわり、と自分の中から何かが抜け出した。

「フェルド」

止まり木で翼をたたんだ彼の名を呼ぶ。

『今すぐに解放しろと言うならば、その望みを叶えよう』
「…一つだけ聞かせて。私があなたと離れた時…彼もまた、解放されるの?」
『私はそなたと言う宿主を得て初めて、能力を存分に生かすことが出来る。
宿主の元を去れば、力の大半は失われるだろう。残るのは私自身の転生能力のみ』
「…そう」

短くうなずいたコウは、安心したわ、と微笑む。

「シルビオがこの選択を悔やんだ時には…解放してあげる術はあるのね」

見知った人物が老い、そしてこの世を去っていくのを見なければならない。
不老の身体では、一所に留まる事も難しい。
今は後悔しなくても、いずれその時が来るだろう。

「フェルドは私から離れたい?」
『…この名を失う事は望まぬ』
「そう。それなら…まだ大丈夫よ。私はあなたに感謝しているの」

遠い記憶の中で、コウは死を体験している。
様々なことを悔やみ、世界の不平等さを嘆いた。
そんな自分の醜い部分を垣間見た最期の時に、彼が手を差し伸べてくれたのだ。

―――生きたいか?

その結果が、今だ。

「あなたのお蔭で、私は生きている。あの時の姿ではないけれど。
そして…彼と逢えた」

出会うはずのない二人だった。
その運命を繋いでくれたのは、彼に他ならない。
そんな彼に、感謝以外の何を伝えられるだろうか。

「だから、まだいいの。でも…シルビオがこの選択を悔やんだ時は…」
『その時は、そなたの望むように』
「…ありがとう」

コウの言葉を聞き、彼は空に溶けた。
それを見届け、彼女は中庭を後にする。







足音を忍ばせて戻った寝室。
ベッドに腰掛け、眠るシルビオの頬を撫でた。

「…コウ…?」
「…何でもないの。おやすみなさい、シルビオ」

薄く目を開いた彼にそう囁いて、その髪を撫でる。
程なくして、再び寝息が聞こえてきた。
そんな彼を見つめる彼女の表情には、愛しさが溢れている。
身体を屈めてそっと彼に口付けると、その隣に身体を横たえて瞼を伏せた。


どこまで続くかわからない日々は少し不安で、けれどそれ以上に楽しみだ。
明日は何をしようか。
そんなことを考えながら、微睡の世界へと落ちていく。

The end.

10.10.03