親愛なる君に捧ぐ
Beast Master And Prince 11
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
思わず膝をついたコウに、練習を共にしていたティアナが声を上げる。
「コウさん!?」
ティアナの声を聞きつけたらしく、足音が近づいてくる。
バンッと中庭へのドアを派手に開いたシルビオが、二人を探した。
「シルビオ、コウさんが…!」
「コウ!!どうしたんだ!?」
胸元を抑え込んだまま顔を上げない彼女の様子に、シルビオが何かを感じた。
彼女を支えつつ周囲を見回せば、庭のテーブルの上に降り立った不死鳥がじっと城の方を見つめている。
「…やっぱり…信じていた人を疑うのは、無理だったのね…」
コウは息を切らせながらそう呟くと、深く深呼吸をした。
そして、顔をあげて心配する二人に、大丈夫よ、と告げる。
しかし、その顔色は悪く、頬には汗が浮かんでいた。
「マティアスが斬られたわ。それから…竜が目覚めた」
「そんな…!マティアスは無事なの!?」
「ええ、命に別状はないわ。マティアスの事は、他の王子に任せれば大丈夫。
きっと、地下通路に連れてくるはずだから…私たちも行きましょう」
そう言って立ち上がろうとするコウに、シルビオが手を差し出す。
ありがとう、とお礼を言って彼の手を取り、立ち上がる。
「ティアナ」
コウは静かに彼女を呼んだ。
恐らく、竜との対峙を前に緊張し始めているのだろう。
況してや、マティアスが負傷したと聞いたばかりだ。
不安が浮かぶティアナを見て、コウは安心させるよう微笑む。
「大丈夫。あなたなら出来る。私の…“先見の魔女”の言う事が信じられない?」
コウは悪戯な笑みを浮かべた。
未来を知る彼女の“大丈夫”。
未来は移ろい行くものだと言った彼女のその言葉がどれほどの力を持つのか。
全ての不安が消えたわけではない。
けれど確かに、何かが自信に変わった気がした。
「ううん、信じる」
「ええ。信じて。私を…そして、あなた自身の力を」
これは、ティアナの物語だった。
彼女が世界の中心で、彼女自身が切り開いていく物語。
コウと言う異分子を得て世界は自ら動きだしてしまった。
けれど、最後を飾るのは彼女の役目―――コウは、誰よりも強く、それを感じていた。
「コウ、大丈夫なのか?竜の影響が出てるんだろ?」
「大丈夫よ。私は20年前も耐えた。今度も…耐えてみせるわ」
強い引力に、自分の中の力を引きずり出される感覚。
それに抵抗するのは酷く精神力を使う。
先ほどの不調も、力に反応してコウの力が暴れようとした所為だ。
「…俺、コウのこと何も知らなかったんだな」
「シルビオ…」
足取りが重くなる彼に気付き、コウも足を止めた。
少しだけ悩んでから、彼女はティアナに声をかける。
「アルフレートには何かあれば地下通路に来るように言ってあるの。先に行って、彼らを待っていてくれる?」
「ええ、わかったわ」
「家の中にいるゲルダも連れて行って。傷薬程度なら調合できるはずよ」
そう言って、コウはティアナを送り出す。
中庭に残った二人の間を乾いた風が通り抜けた。
「私は、知っていることが、あなたを追い詰めるかもしれないと恐れていたわ」
「それでも、俺は話してほしかった」
「…そうね。私の…独りよがりだったのかもしれない」
守りたくても、忘れてはいけないことがあった。
コウはそれを、見失ってしまっていたのかもしれない。
「…あまり時間はないけれど…聞いてくれる?」
庭先のベンチに腰を下ろす。
昔、ここでよく日向ぼっこをした。
黒猫のシルビオを膝の上に乗せてのんびり過ごした日々を、忘れることはないだろう。
あの時と違うのは、シルビオが人の姿で、コウの隣に座っていること。
「不死鳥の力を知っている?」
「…さぁ」
「死期を悟った不死鳥は、自らの身体を炎に投じる。そして、灰の中で新たな生を受ける」
コウが何を言いたいのかが分からなかったのだろう。
口を噤む彼に、彼女は小さく笑った。
「死して新たな生を授かる―――私は、そうして生まれた」
気が付けば、この世界に存在していた。
この世界の最大限の知識を持った状態で、コウは独り、そこにいたのだ。
―――彼女…言ってたわ。この世界で唯一の、何よりも大切な家族だって。
シルビオはゲルダの言葉を思い出す。
この世界で唯一…つまり、彼女には血を分けた家族がいない。
死に別れたと言うわけではなく、存在しないのだ。
「自分が魔女だと言う事も知っていた。だから、大切なものは作らないように過ごしてきた。でも―――」
彼女は顔を手で覆った。
「寂しかった。独りは寂しくて…駄目だとわかっていたのに、雨の中で震えるあなたを見て、私は…」
コウは言葉を詰まらせた。
そんな彼女の隣で、シルビオは彼女と出会った時のことを思い出す。
生まれていくらもしないうちに、母親と逸れてしまった。
それからずっと一人で生きてきたけれど、子猫の自分にはやはり限界があって。
数日間の空腹は感覚を麻痺させ、降る雨は容赦なく体力を削り取る。
もういいかな、と思った時だった。
「君は…独りなの?」
身体にかかる雨が止んで、声が降ってきた。
閉じた瞼を開けば、夕日のような赤い髪の人間が自分を見下ろしている。
肯定したところで、鳴き声は人間の耳には言葉としては届かない。
「…私も独りなの。………一緒に来る?」
冷やかしなら要らないと思った。
何人もの優しくない人間を見てきたから、希望なんてなかった。
「うん。信じられないよね。でも、信じてくれるなら裏切らない。約束するわ」
一度も鳴き声ひとつあげていないのに、まるでこちらの考えを読んでいるかのように、人間は言った。
変な人間だと思った。
「独りは寂しいから…家族になろう?」
ゆっくりと伸びてきた手が頭を撫でる。
その手が優しすぎて、声が切なくて。
抱き上げるその手を、拒むことが出来なかった。
「俺を拾ったこと…後悔してるのか?」
泣いてはいないのだろう。
俯いたまま手で顔を覆う彼女に、そう問いかける。
彼女は弾かれたようにシルビオを見た。
「まさか…!私は一度だって、後悔していないわ。シルビオは私にとってただ一人の家族だもの」
だから、自分のすべてで守ろうと思った。
出来るなら自分の知る未来に関わらせたくないと思ったけれど、それが不可能であることも理解していた。
だからこそ、コウと言う異分子を消し、彼女の知る未来に沿わせようとしたのだ。
そうすることでシルビオの命が守られることを知っていたから。
「何よりも…大切だったの…」
そう呟くコウの目から、一筋の涙が零れ落ちる。
「無駄な行動だったかもしれない。きっと、あなたを傷つけた。でも…私はこれしか―――」
「もういいよ」
コウの懺悔にも似た言葉を遮るように、その身体を抱き寄せる。
自分よりも長く生きている彼女は、猫の時には大きいと感じていた。
けれど、人の身体を得た今では、その身体は細く小さい。
こんなにも華奢で繊細な人だったのだと、初めて知った。
「ありがとう」
彼女が大切だと言ってくれる度に、自分と言う存在が確立されていくように感じた。
もういい―――彼女の気持ちは、ちゃんとわかっている。
「コウに伝えたいことがあるんだ」
それを伝えるために、呪いと理解しながら彼女を抱きしめる腕を得た。
「全部終わってからでいいから…聞いてほしい」
そんな二人の傍から、不死鳥がふわりと飛び去った。
10.09.20