親愛なる君に捧ぐ
Beast Master And Prince 09
コウが部屋を出る直前にゲルダに向けた視線。
その意味を理解し、彼女は一歩、前へと進み出た。
「コウが魔女であることを隠そうと必死だったのは…シルビオ、あなたのためよ」
「…俺?」
「ファザーンの国王は、とても貪欲だった。目的達成のための手段を選ばない人」
否定はできないでしょう、とマティアスに視線を向けるゲルダ。
マティアスだけでなく、彼らのうち、誰もそれを否定できない。
国王を知らないティアナだけが、所在無く視線を動かした。
「コウは、自分が魔女だと知られれば、国王がその力を望むことを理解していた。
拒絶するコウの首を縦に振らせるために取る方法は―――今回のルナールと、同じよ」
「人質…」
「そう。コウは自らの弱みとなる者が、人質に取られる可能性を考えた」
全ては守るための沈黙だった。
同じ魔女である彼女と、未熟ながらも一端の魔女であるゲルダだけが、それに気付く。
直接的な言葉は何一つなかったけれど、コウもまた、彼女らが気付いていることを知っていた。
「コウさんにとって、弱みになる人って…シルビオ、なの?」
ティアナの言葉に、ゲルダが一度だけ頷いた。
視線の先には戸惑いの表情を浮かべたシルビオ。
「な、んで…そんなこと、コウは一言も…」
「言わないけれど、感じていたはずよ。コウは、いつだってあなた自身を受け入れた」
ゲルダにそう言われ、彼は沈黙する。
シルビオが言葉を得る前も、その後も。
コウはいつだって、優しく、そして穏やかに彼を受け入れた。
猫らしく自由気ままな彼を、ただの一度も制限することなく。
「彼女…言ってたわ。この世界で唯一の、何よりも大切な家族だって」
ゲルダの脳裏に、かつての会話がよみがえる。
何故そこまでするの、と言うゲルダの問いかけに、コウは空を仰いだ。
吹く風が彼女の赤い髪を揺らす。
「シルビオは私を恩人だと言うけれど…それは、私も同じなの。シルビオがいたから、私は独りじゃない。
この世界で唯一の―――何よりも大切な、家族」
「あなた、ご両親は…?」
「…私は“魔女”よ。物心がついた時には、既に独りだったわ」
血の繋がりを知らないコウにとって、シルビオの存在は大きかった。
彼女は初めから、彼をペットとして思ったことはない。
コウにとって、シルビオは唯一の家族だった。
「だからコウは、あなた自身にすら魔女であることを隠して生きてきたわ。長い旅生活を送っていた理由もそれ」
「…なら…それなら、何で置いていった!?」
「…これは私の憶測だけれど…各国で一人の姿を見せて、人質の可能性を消していたんじゃないかしら。
万が一、すべてが明るみになった時のために。彼女は先見の能力を持っているから、知っていたのかもしれない」
こうなることを、と呟く。
コウは未来が変わることを望んでいない気がした。
だから、先見の能力があっても、彼女は何もしない。
ある意味では正しい行動だったのかもしれないけれど、素直に受け止められない人もいるだろう。
現に、四人の王子は複雑そうな表情を浮かべている。
その時、コウが上から降りてくる足音が聞こえた。
リビングへと姿を見せた彼女の手には小さな包み。
彼女はリビング内を一瞥してキッチンへと進み、五つのグラスに水を注いだ。
持ってきた包みを解けば、その中に見えたのは金の粉だ。
ゲルダが作ったものよりも遥かに美しい色合いをしている。
コウは四つのグラスに同量の金の粉を落としていく。
水に触れた途端、その金の粉は見る影もなく溶けて消えた。
四つの準備が終わると、彼女は最後のグラスに懐から取り出した薬を三滴落とす。
くるりと水に溶かし、彼女は漸く顔をあげた。
「これで、あなたたちの呪いは解けるわ。ティアナ、あなたにはこれを」
最後に用意したグラスをティアナへと差し出す。
彼女は即座にコウに近付き、それを受け取った。
「でも、二・三日で治るって…」
「今すぐ治るに越したことはないでしょう?」
申し訳なさそうな表情の彼女に笑顔を向け、改めてマティアスたちに向き直った。
「これが本当の薬なのか…信じるも信じないも、あなたたち次第よ」
けれど、一つだけ言っておく。
コウはそう言って、彼らを見た。
「私は魔女よ。ゲルダのように見習いの魔女ではないわ」
凛と背筋を伸ばし、真っ直ぐにそう言った。
彼女の目を見れば、その言葉に偽りがないことくらいはすぐにわかる。
一番に動いたのはマティアスだった。
彼はグラスを置いたテーブルの前に立ち、コウを見下ろす。
「この薬の代価は何だ?」
「あら、選ばせてくれるの?」
「無償で譲り受けるつもりはない」
望むものは何だ、と彼が問いかける。
コウはじっとマティアスを見つめ、そして小さく微笑んだ。
「では、国に侵されることのない平穏を」
彼女の表情はまるで、それこそが世界で最も尊いものだとでも言うかのようなものだ。
「…わかった。私が即位した折には、魔女には関わらないと誓う」
彼はそう答え、グラスを手に取った。
他の四人も彼に倣うようにグラスを取り、視線を合わせ―――グラスの中身を一気に飲み干す。
「あぁ、言い忘れたけれど―――中々すごい味だから」
上の二人が口元を押さえて俯き、下二人はキッチンへと走る。
水道で思いっきり嗽をしてから戻ってきたルシアが、肩で息をしつつコウに迫った。
「何だありゃ!!この世のものとは思えない味だったぞ!?」
「辛いと苦いと酸っぱいと…まだ気持ち悪いよ…」
この世のものとは思えない味を精一杯訴えてくる二人と、顔色悪く無言の二人。
彼らの表情を眺めてから、彼女はにこりと微笑んだ。
「身体が変化するような呪いを解くんだから、楽に戻れるとは思っていなかったでしょう?」
「…あれって、そんなにすごい味なの?」
「ま、まぁ…彼らの表情を見る限りでは、かなりすごいみたいね」
「…この呪いってあの薬じゃないと解けないのか?」
「それはそうだけど………コウは味の調整は得意だったはずよ」
ゲルダの言葉に、ティアナは空になったグラスを見下ろす。
確かに、彼女の薬は爽やかな酸味が喉に心地よい、ドリンクのような味わいだった。
と言う事は。
「何も聞かずに捕まえたあいつらへの報復ってわけか。で、効果はばっちりなんだよな、きっと」
シルビオがひくっと口元を引き攣らせながら、そう呟いた。
10.09.10