親愛なる君に捧ぐ
Beast Master And Prince 02
逃げるように家を出て、数年。
シルビオはあの呪いの薬を使っただろうか。
彼は…やはり、“彼”だったのだろうか。
その姿を一目見れば全ての疑問が解消されると知りながら、その勇気を持てない。
カトライアを出て、ザルディーネやルナール、そしてファザーンにも行った。
これだけ覚えのある地名が出揃っていれば、嫌でも認めざるを得ない。
「…生れ落ちた世界が乙女ゲームの世界だなんて…本当に、洒落にならない」
誰の陰謀なのかは知らないけれど、私はこの世界を知っている。
それは今生きているから、と言うわけではなく、“前の世界”の知識によるものだ。
前の世界―――前世、と言うべきなのだろうか。
私には、生まれる前の記憶がある。
15歳までを過ごした世界を退いたきっかけは、事故だった。
道路に飛び出した黒猫を庇って、信号無視の車に撥ねられて死亡。
今時漫画だってそんなお約束な展開にはならないと言う死に方をした所為だろうか。
私は、改めてこの世界に生れ落ちる事を許された。
頭からマントをかぶってカトライアへと帰ってきた。
私の家は…どうなっただろう。
出来れば月に一度は見ていて欲しいと頼んだけれど、今はゲルダもきっと、それどころではない。
先日ファザーンの国王が死去したからだ。
それを知った時、私は物語の始まりを告げる音を聞いた気がした。
「さて…どうしようかな」
裏路地で足を止め、今後の事を考える。
その時ふと、何かが走ってくる音を聞いた。
騒がしい足音と、慌てたような女の子の声。
近付いてくる―――?それに気付いた時には、時既に遅し。
振り向いた先、大きな影。
抵抗する暇もなく、背中から地面に倒れこむ。
「――――――っ」
痛い、とても痛かった。
思わず滲む涙の向こうに、猛獣の牙を見た。
「…は?」
思わずそう声を上げる私の視界で、ライオンがグルグルと牙をむいて唸る。
―――ライ、オン…?まさか、これは…
私の思考が固まる前に、鋭い笛の音が響き渡った。
すると、途端にライオンの巨体がぐらりと揺れ、あろう事か私の上に倒れこんでくる。
「…!!」
「きゃあ!!ご、ごめんなさいっ!!」
駆けて来た少女のお蔭で何とか圧死を免れる。
二人して肩で息をしながら、裏路地に座り込む。
「あの、すみませんでした。私のライオンが…」
「ええ…驚いたわ」
普通の人ならば、ライオンに押し倒され唸られれば、食われると思っただろう。
実際にそう言う空気がなかったと言えば嘘になる。
このライオンが人間なのだと知らなければ、私もここまで冷静ではいられなかっただろう。
少女が何かを言おうとしたところで、ピィー、と鳴き声が近付いてきた。
それに気付くと、私は布を巻いた腕をスッと頭上に掲げる。
そこを目指して降りてきたのは、私の髪と同じ色の翼を持つ鷹。
「…そう。ありがとう」
腕に止まった鷹から報告を聞き、そう頷く。
労いのために嘴を撫でると、私の指を甘噛してから再び空へと舞い上がった。
「あの…!あなたも猛獣使いですか?」
「え?」
「あ、私ティアナって言います。この町で猛獣使いをしていて…」
「あぁ…だからライオン」
今漸く納得しました、と言う表情を作る。
記憶に正しく、彼女はその表情を疑いもしなかった。
「それなら、このライオンが寝ているのはあなたの能力のお蔭なのね。ありがとう」
「いいえ!元はと言えばこちらの所為ですから!」
「さて…日暮れ前に行きたい場所があるから、これで失礼するわ」
立ち上がりながらそう言って、彼女に手を貸す。
差し出された手を握った彼女を立ち上がらせ、全身に怪我がない事を確認した。
そして、めくれてしまったフードをかぶりなおして、彼女に背を向ける。
呼び止める声はなかった。
「ごめんね、マティアス」
「…俺は…そうか、ティアナの笛の音で眠っていたのか」
「突然襲い掛かるから驚いたわ。一体どうしたの?」
「…俺は彼女を知っている。もしかすると思い違いかもしれないと考えたが…あの顔は、間違いない」
「どこかで出会った人?」
「あぁ…彼女は、国王が死去する数日前に城を尋ねてきた。その時、船旅に気をつけろと」
「船旅に…それって!?」
「関係があるのかはわからない。だが、何かを知っていた事だけは確かだ。彼女が去り、そして国王が死んだ」
「そんな…!でも、あの人が関係しているとは限らないんでしょう?」
「どうした、ティアナ。彼女を知っているのか?」
「ううん、知らない。だけど…同じ猛獣使いとして、疑いたくないなって…」
「同じ猛獣使い…?彼女が動物を連れている姿を見た事はないが…」
「でも、鷹を連れていたわ。人と会話するみたいに操っていたから」
「………まぁ、いい。とにかく帰るぞ」
「…うん」
「王子があの呪いにかかっていると言う事は、最後の魔女はやっぱり…」
確かめたい。
まず間違いはないけれど、それでも自分の目でちゃんと確かめたいと思った。
少しだけ悩んだ私は、そのまま自分の家を目指す事にした。
私の家の床下にも、地下通路に繋がる階段がある。
ゲルダに知られる事なく研究室に入り、出てくる事も可能だろう。
「…ごめんね」
せめて物語が終わるまでは、あのメンバーとの関わりは避けたい。
路地を抜けて、懐かしい我が家に辿り着く。
懐から取り出した鍵を差込み、玄関ドアを開いた。
中は私が予想していたよりも綺麗だ。
何となく、生活感が残っているように感じて、僅かに目を細める。
暫くは玄関に佇んでいたが、ふと用件を思い出してキッチンへと向かう。
階段を隠したカーペットは、ずれないようにと釘を打っていたために動かしていないようだ。
どうやら、この階段の存在には気付かなかったらしい。
釘を外し、重く軋む扉を持ち上げる。
黴臭い地下の空気が鼻をかすめ、思わずマントで口元を覆った。
扉を閉じればカーペットが自然に戻るよう調整して、地下への階段を進む。
扉からの明かりがなくなれば、階段は闇。
けれど、そこを降りた先には明かりが見えていて、目指す場所がわからないと言う事はなかった。
さて、と足を止めて悩む。
方向音痴というわけではないけれど、目的地を知らなければ似たようなものだ。
ゲルダの研究室は、彼女がカトライアに来てから作ったもの。
地下通路自体は私がこの国にいる時に出来ていたけれど、研究室の場所は知らない。
「…歩いていれば着くかしら」
なんて行き当たりばったりな計画。
そう思いながらも、それ以外に方法はないのだと自分に言い聞かせる。
隅をネズミが走るような通路を、ゆっくりと歩き出した。
10.08.15