Destiny - 84 -
ぐん、と何かに引っ張られる感覚。
抵抗する術すらなく、引力に従うほかに道は無い自分の身体はいとも簡単にそこに放り出された。
ふわりとした無の空間から、突如己の身に降りかかるこの重さには覚えがある。
重力―――名前を付けるなら、確かこんな感じだったはずだ。
「ぅわぁ!!」
「!?」
急激に身体に負荷が掛かった所為か、それをものにすることなど出来ず。
地面に引っ張られるままに落ち、派手な音を立てて着地した。
着地、などと呼べるような格好の良いそれではなかったけれど。
「痛ぁ…」
あちらこちらがズキズキと痛む。
何だこれは。
とりあえず軽く打ってしまった頭をすりつつ、コウはこうなる前を思い出してみる。
確か、訳のわからない空間に放り出されたのだ。
そこでまるで走馬灯のような記憶を見て―――その後、どうなった?
…名前を、呼びたいと。
そう、そう願ったんだ。
しかし、声を張り上げても喉が震えた感覚も耳の鼓膜が音を捉える事も無かった。
それでも、飽く事無く何度も声を張り上げて―――最後に、自分の声を聞いた気がする。
「で、それを聞いて突然ここに放り出された…のかな」
っていうか、ここはどこ。
頭を押さえるのをやめて、きょろりと周囲を見回す。
すると、風景だけを映していたコウの視界に白が入り込んだ。
「…アズ!」
それが何かを認識するなり、コウはアズをギュッと抱きしめる。
アズの方もまるで飛び込んでくるように彼女の胸元へと擦り寄った。
先程の空間に彼の存在を確かめる事は出来ず、それもまた不安を助長させていたのだと思う。
無事でよかった―――そう思うのはおかしいだろう。
自分が、彼の命を奪おうとしていたのだから。
けれど、良かったと素直に思えるのだ。
彼を殺すと言う未来は、本当ならば一番避けたいものに他ならないのだから。
「アズ、ここはどこだろうね」
『…アズ、知ってる』
「そうなんだ?」
『コウも知ってる』
彼の言葉にコウは驚いた。
自分も知っている場所らしい。
とりあえず、座り込んだままの状況を何とかすべきだろう。
そう思った矢先、その声は聞こえた。
「…テメェ…いつまで人を踏み続ける気だ…!」
びくっと肩を揺らし、勢いよく飛びのく。
まさかここで第三者の声を聞くことになるとは思わなかったのだ。
そのまま2メートルほども後退して、コウはドキドキと逸る鼓動を鎮めようと胸に手を当てる。
そして、その声の主を見た彼女の目は、これでもかと言うほどに見開かれた。
「…ユ、ウ…?」
先程まで自分が敷いていた人物。
今、漸くそれから解放され、不機嫌な眉間の皺を刻んだままコートを叩いている人物。
それは、コウの知っている神田ユウに他ならなかった。
それを認識すると同時に、彼女は青褪める。
「嘘!また巻き込んだの!?」
元の世界に、彼を連れてきてしまったのだろうか。
アズがいて、錬成陣があって、錬金術師がいて。
条件は整っていた。
後は術者にその能力があるかと言うことだが、エドもしくはコウの錬金術が作用した結果だ。
二人とも、一度は人体錬成を行い、そして生き残っている人間。
しかも、10代で国家資格を手にしている、指折りの錬金術師なのだから、その条件もクリアしている。
つまり、異世界をわたるパイプがいつ繋がれたとしても不思議ではなかったのだ。
「何が巻き込んだ、だ。お前が勝手に落ちてきただけだろうが!」
頭にガツンと走った衝撃は、今となっては酷く懐かしさを感じさせるものだ。
その箇所を押さえることすら忘れ、コウは穴が開きそうなほどに彼を見つめる。
その視線に居心地の悪さを感じたのは、神田の方だった。
「…何だよ?」
「落ちてきた?私、落ちてきたの?」
「そう言ってんだろうが」
「って言うか、ここ、どこ?」
神田の答えを聞いているのか、いないのか。
コウは再びキョロキョロと周囲を見回した。
そして、唐突に思い出す。
「ここ…」
「アズが生まれた場所だ」
簡略かつ、一番分かり易い答えだ。
彼女もまた、その結論へと達していた。
アズが生まれた場所―――つまり、ここはイノセンスのある世界。
本来神田達が生きる世界であり、コウが1年と少しの間過ごした世界。
来てしまった、と言うよりも、帰って来たという感覚の方が大きかった。
「そ、か…。エドが行なった錬成は…」
神田やラビ、アレンの三人を異世界へと戻した時にコウが使った錬成だ。
あの時コウが使ったヴァリーヴドラゴンの心臓の代わりをしたのは、アズに他ならない。
コウの錬金術が完成してしまう前にと焦り行った為に、あの奇妙な空間に放り出されることになったのだろう。
もしかすると、あの扉を越えない代わりに送り込まれた空間なのかもしれない。
真実は、コウの手の届く所にはなかった。
「エドワード…」
失う事無く持ってきた銀時計をギュッと握り締める。
きっと、彼はあの錬成陣を破壊しただろう。
その様子を見たわけではないけれど、彼への信頼がそれを信じて疑わない。
コウが望んだのは、こちらとあちらの繋がりを断つ事だから。
アズをこちら側に送り、そして錬成陣を破壊すればそれを叶える事は出来た。
もちろん、彼女がアズと共にこの世界に戻る事も可能だった。
しかし、それを望むならば、誰かにこの錬成陣を始末してくれと頼まなければならなかったのだ。
―――言えなかった。
心配を掛けてしまった彼らの誰かに、自分が向こうに消えたらこの錬成陣を破壊してくれ、などとは。
そんな勝手な事は、言えなかったのだ。
コウの出した結論は間違っていたかもしれない。
けれど、彼女にはそれしか考えられなかった。
「…ありがとう」
今だから、素直に受け入れられる。
自然と零れ落ちた言葉に、神田が怪訝な表情を見せた。
自分に対しての言葉ではないと、何となく悟っているらしい。
そんな彼に微笑みかけると、コウはゆっくりと周囲へ意識を向ける。
何一つ変わらないこの場所は、当然のように彼女を受け入れてくれる。
吹く風が頬を撫で、お帰りと言ってくれているような気がした。
「ねぇ、ユウ」
「…何だ」
「教団の中に…私の居場所、まだ残ってるかな?」
クルリと背中を向けてそう問いかける。
慣れたコートの裾がバサリと翻った。
その目に映る風景の全てを記憶に焼き付けるかのように、彼女の眼差しはそれだけを捉えている。
それに集中する彼女は、後ろから近づく神田に気付かなかった。
彼の行動を見ていたはずのアズも、危害を加える事はないと分かっているから何も告げない。
突然に、コウの視界は真っ暗になり、目を覆う何かが頭を後ろに引っ張っていく。
「な、何?」
ポスンと後頭部が何かに当たった所で、目を覆うそれはそれ以上動かなくなった。
冷静に考えて、今の自分の状況を悟る。
目に蓋をしているのは、神田の手だ。
後頭部がぶつかったのは…恐らく、彼のコート…と言うか、身体だろう。
自分よりも少し低い体温が伝わってきて、思わず身体を強張らせる。
「…当たり前だろ。馬鹿野郎。………勝手に人をこっちに戻しやがって…」
普段ならば半ば怒鳴るようにして言われる言葉だったのだろう。
しかし、彼の声は聞いたこともないくらいに静かだった。
視界を奪われているからだろうか。
鼓膜を震わせる彼の声、掌から伝わる体温。
全てが、優しかった。
「………ただいま」
声に涙が混じってしまうのは、仕方の無い事だった。
07.11.04