Destiny - 82 -
思い残す事がない人など、この世に居るのだろうか。
コウの代わりに泣き出しそうな空を仰ぎ、そんなことを考えた。
きっと、父親代わりであった彼もまた、様々なことを思い残して死んでいった筈だ。
娘のエリシアの成長を見届けたかっただろうし、親友であるロイが頂点に立つまでを支えたかっただろう。
しかし、もう彼の思いは叶わない。
「人は…とても儚い生き物だね」
だからこそ、力を持つ術を得た者が、戦うのだ。
力なき者を守るために。
それだけが理由ではないかもしれないけれど、少なくともコウはそうだった。
本当の娘のように大切にしてくれたグレイシアや、血の繋がりはなくとも大事な妹であるエリシア。
彼女達を、守りたかった。
それは男の俺の役目だ、ヒューズが何度もそう言っていたけれど、コウは頑なだった。
結局折れたのは彼女に弱い彼の方で、知っての通りの結果。
軍に身を置き、錬金術を極めた。
階級が高くなるほどに顔を顰めたヒューズの表情が忘れられない。
けれど、最終的には困ったように笑って「おめでとう」と言ってくれたのだけれど。
「俺にもしもの事があれば…グレイシアやエリシアを支えてやってくれ」
守れ、とは言わなかった。
彼は大きな手でコウの頭を撫でながら、支えてくれ、と頼んだのだ。
大事な家族を預けられた事に対する純粋な喜びは、今もコウの胸に残っている。
「…ごめんなさい。あなたのたっての頼み、最後まで守れそうにありません」
もう、何度こうやって謝っただろうか。
呟くのと同時に瞼を伏せ、暫くしてからそれを開く。
そうして、コウは目の前の扉に手を伸ばした。
厳重に封鎖された筈のそこは、コウの錬金術で入り口を開く。
自分が入ってからもう一度そこを振り向き、始めよりも更に厳重にそこを封じる。
今後何人たりとも、この場所に足を踏み入れる事がないようにと、幾重にも。
肩に乗ったアズも、何かを感じているのだろう。
暴れる様子も何も無く、ただいつもよりも強くコウに擦り寄る。
そんな彼の温もりを感じながら、コウは水路を進んだ。
すでに後戻りは出来ない。
覚悟も決めた。
世界を守る―――そんな大それた事を言うつもりはない。
ただ、自分に出来る最大限で、今と言う時を守ろうとしているだけ。
それが正しい選択なのかは分からないけれど、間違っているとも思っていない。
そう思ってしまえば、ここから先を進むことなど出来そうにないから。
迷いで足を止めてしまうような薄っぺらな覚悟ではない。
それを自覚しているからこそ、頭の片隅に迷いが生じようとも、彼女は立ち止まらずに済んだ。
やがて、あの日錬成陣を破壊した、あの場所へと到着する。
コウが去った後から何も変わっていない。
天井のシミも、転がっている瓦礫の数も。
その中心へと進んだコウは、静かに息を吐き出した。
今から彼女が行なう行為は、奪うそれだ。
震えそうになる手をギュッと握る。
ぺろり、と生暖かく湿った舌がコウの頬を舐めた。
大丈夫だと、安心させるような青い目に救われる。
アズに向けて小さく微笑みを返すと、コウは瞼を閉じた。
呼吸を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。
しかし、それに反してドクンドクンと心臓が煩く鳴り響いていくのを感じた。
それは徐々に大きく、そして激しく打ち響く。
まるで、今からする事を咎めるかのように。
すぅ、と細く息を吸い込み、ゆっくりと目を見開く。
「…ごめんね、アズ」
独りにはしないから。
そう言うと、コウはそっとアズを降ろした。
錬成陣があったその中心部に降りた彼は、真っ直ぐにコウを見上げる。
「勝手に生み出して、それなのに…ごめん」
『コウ、一緒?』
「…うん。一緒」
地面に直に膝を着けば、そこに転がっていたらしい瓦礫が肌を傷つける。
そんなことも気にせず、コウはアズの身体を抱きしめた。
その体温を覚えこむように強く抱きしめてから、時間をかけてその腕を解く。
見上げてくる双眸から視線を逸らす事無く、コウは両手を合わせた。
「待、ったー!!!」
息を切らせながら、それでも強く発せられたその声が耳に届いたのは、掌がアズに触れる寸前だった。
ビシィ、と地面に亀裂が入ったかと思えば、伸ばしたコウの手を引き止めるように地面がその手に絡みつく。
コウはそれから逃れようともせずに、己に絡みついたコンクリートを見下ろした。
彼女の代わりにアズが低く唸り声を上げる。
「エドワード…アルフォンス…」
そこに居た二人の名を呼び、コウは冷めた目を彼らに向ける。
肩で息をするエドは、地面に両手を着いたまま呼吸を整えようとしていた。
しかし、その強い眼差しがコウから逸らされたりはしない。
「何を…して、たんだよ…」
「…まだ、何も」
しようとした所を彼に邪魔されたのだから、その答えは間違っていない。
感情の見えない表情でそう答える彼女。
言葉を詰まらせると言うよりは息を呑んだらしいアルとは対照的に、エドは怒りに近い感情を見せる。
「何をしようとしてたんだよ!?」
そう声を荒らげた彼から視線を逸らし、コウは両手を合わせる。
そして、自由になっている方の手で拘束するコンクリートに触れた。
ボロリと崩れ去るそれを一瞥する彼女の目は無表情だ。
「繋がりを残すわけには行かない。千年公は、その隙を見逃さないから」
「だから…アズを、殺すの?」
今まで沈黙していたアルがそう声を上げる。
否定を望むような声色の言葉に、コウは自嘲気味の笑みを返した。
その表情が答えだった。
「アズを殺して、お前はどうするつもりだったんだ」
「…………」
「…そいつを殺して、自分も死ぬ気だったんだろ!?」
望んでいるなどと言うものではない。
この声は、切望だ。
そんな訳ないじゃないか、そう言って、コウが己の考えを頭から否定してくれる事を、切望している声。
しかし、彼女は彼らの望む答えを持ち合わせては居ない。
「死んで何になるって言うんだ!」
「私の勝手で生み出して、それから殺すのよ。せめて一緒に死ぬくらいしか出来ないじゃない!!」
それ以外にこの小さな命に何を返せると言うのだ。
世界を危険に晒す存在を残すわけには行かない。
いざ何かが起こった時に、自分は彼を守りきれないから。
生きると言う選択肢を与えてあげられないならば、せめて―――
声を荒らげた彼女に近づくと、エドはその胸倉を掴み上げた。
教団から支給されたコートに皺が入る。
「中佐がそんな事を望むと…許すと思うのか!」
「っ!」
「ふざけんなよ!大佐やグレイシアさんはどうする!!また悲しませるのか!?」
「兄さん、落ち着いて!」
自分だって怒鳴りたいだろう。
けれど、アルはあえて冷静にエドを止めようとする。
しかし、頭に血が上っている彼にその言葉は届かない。
「放してよ!エドワードには関係ないっ!!もう、決めたのよ!」
バッと勢いよく彼の腕を払う。
思いのほか強い力によって弾かれた彼は、そのまま後ろに居たアルにぶつかった。
「アズを殺して私が死んで、それで全て終わるのよ!」
パンッと彼女の両手が合わせられる。
体勢を崩していたエドは、咄嗟の行動が出来なかった。
彼はコウの両手が抱きしめるようにアズに迫るのを見て、大きく舌を打つ。
無我夢中で己の両の手を合わせてそれを地面へとぶつける。
視力を奪うほどの錬成反応が交錯する中、彼らの足元に崩れた筈の巨大な錬成陣が浮かび上がった。
07.10.21