Destiny - 77 -
息を吸っても吐いても傷に響く。
ズキン、ズキンと痛む所為で思考すらも淀んでいて、今の状況を打開する策が思い浮かばない。
「…逃げるな…っ」
すでに闇に溶け込んで姿を消してしまったエンヴィーに向けて、そう唇を噛む。
ずっと探していた答えを持っている者。
ずっと、殺したいほどに憎んでいた者が、目の前に居たのに。
何も出来なかった自分が、酷く歯痒い。
「逃げるなっ!!」
力んだ拍子に傷口から鮮血が溢れ、ラビやアレンが慌てる。
今にも彼を追って走り出しそうなコウを止めている腕が酷く辛かった。
どれほどに悲しんだか分からない。
そんな彼女の仇が今、目の前に居たのだ。
そして…彼は、彼女の傷口を抉り、そこに塩をすり込む様にして笑って去っていった。
頬を一発殴り飛ばす事すら出来なかった彼女の無念さを思えば、今すぐにでもこの腕を放してやりたい。
しかし、彼女の為にこの腕を放すわけには行かないという矛盾。
コウは、二人がかりで押さえつけなければならないほどに頭に血を上らせている。
「コウ!駄目です!傷が開いて…!」
「落ち着け!!」
「…返してよ!あの人を返して!!返せっ!!!」
「っつ…!あ、コウ!!」
勢いよく振った腕が、アレンの手を逃れた。
そのまま身体を捻ってラビの腕も抜け出した彼女は、そのまま彼が去った方へと走り出す。
途中、力が入らないのか何度か膝を震わせながらも、動く事を止めようとはしない。
すぐさま動き出す二人だが、遅れを取ってしまったのは事実。
コウ、と声を上げる彼らの目の前で、脇から伸びてきたアクマの腕がコウを軽々と吹き飛ばした。
彼女が飛んだ先へと視線を向けたラビの視界の端で、そのアクマが真っ二つになるのを見る。
崩れたボディーの向こうに六幻を構えた神田を見て、彼が破壊したのだと気付いた。
「そいつを叩き起こせ!アズで脱出するぞ!」
声を荒らげる神田の視線の先には、崩れた瓦礫の中から覗く白い手。
これだけを見れば、正直な所無事なのかどうかを考えなければならない所だと思う。
神田以外の二人も最悪の事態を考えたりしないのは、一重に自分達の着ているコートのお蔭だ。
恐らく、これを着ている限りはよほど酷い事にならなければ命の危険に晒されることはない。
そうして彼らがコウの元へとたどり着く前に、ガラッと瓦礫の山が崩れた。
そこから身体を起き上がらせた彼女に、それぞれが安堵の息を零す。
「コウ!大丈夫ですか?」
彼女の元へと走りながら、アレンはそう問いかけた。
返事はない。
だが、彼女は無言のままに自身の脇腹に巻かれたラビのコートを見下ろす。
そして、パンッと手を合わせてコートの下の肌へとそれを触れさせた。
傷の痛みに顰めていた眉が、僅かに緩む。
「コウ」
「血が付いてて悪いけど、返しておくわ。防御面で必要でしょ」
そう言って、傍らまでたどり着いたラビへと彼のコートを投げる。
そんな彼女を見て、彼は心中で首を傾げた。
先ほどまでとは、全く違う雰囲気だ。
「大丈夫。一発食らって、頭が冷えたわ。アズ!」
ラビの心中を察したのか、彼女は簡略にそう説明してからアズを呼んだ。
すぐさま飛んでくる彼は、道中の邪魔をしたアクマをことごとく自身の爪で破壊している。
彼のお蔭で、5体ほどのそれが低い爆発音と共に壊れた。
「ユウの言う通り、この場所で戦うのは危険だね。一先ず上に…」
コウの言葉を遮るようにして、ズゥンと一際低く大きな音が、入り口の方から聞こえた。
視線を合わせていた彼らは、弾かれたようにそちらを振り向く。
そこには、瓦礫で完全に口を塞いだ通路。
閉じ込められたのだと判断するのに、そう時間は必要なさそうだ。
「…閉じられたな」
「………そうみたいね。私が直せるけど、それに集中しないと難しい」
結構な量の瓦礫があるのか、それを錬金術で直すとなればそれなりに集中しなければ無理そうだ。
アクマと戦いながらその合間に…と言うのは、少なくとも不可能。
はぁ、と溜め息をついてから、足に装着したホルダーから銃を抜く。
「仕方ない。倒してからだね」
「大丈夫なんですか?」
「アクマを倒すのはエクソシストの仕事。私情は…後に取っておく」
そう答えた彼女の眼差しは、ぞっとするほどに冷たい。
普段からは感じられないその冷たい空気に、彼女の怒りの一端を見た気がした。
先ほどまでの怒りを熱い炎と例えるならば、今は冷たい炎。
どちらも激しく燃え盛っている事に変わりはないのだが、後者は小さく凝縮される故の危うさを感じさせる。
頭が冷えたといっていたけれど、それはあくまで理性が戻ってきただけの事だ。
「お先」
トンと地面を蹴った彼女は、まずは一体とばかりに正面のアクマに銃弾を浴びせた。
足元に描かれた錬成陣を見ながら、コウは心中で舌を打つ。
ちゃんと調べていないのではっきりと断言する事は出来ない。
しかし、状況的にはあまり良くはない錬成陣だ。
「…アズが向こうとこっちの鍵になってる…」
時折彼の心臓がドクンと大きく鼓動する。
それの数秒後に、新たなアクマが錬成陣から顔を覗かせてくるのだ。
恐らくアズ自身も気付いている。
けれど、どうする事もできない現状。
彼自身は一つのきっかけにしか過ぎず、原因ではないのだから。
その繋がりを解く手段が見えない。
錬成陣を破壊すればいいのだが、コウはそれを躊躇っている。
理由は、一つしかなかった。
「あーもう!鬱陶しい!!」
ザンッと後ろから伸びてきたアクマの腕をダガーで切り落とし、振り返り様に左のアクマの眉間に銃弾一発。
完全に振り向いて腕を落としたアクマにも銃弾を食らわせ、胴体を蹴り飛ばしてからその向こうのアクマを攻撃する。
流れるようにアクマを破壊し続ける彼女は、その数に比例して頬やら腕やらに傷を負っていく。
先ほどの脇腹の傷は塞いであるが、完全に処置したわけではないからいつ開くかは分からない。
まるで爆弾を抱えているようだと思った。
「向こうからどんどんやってくるんじゃ、キリがねぇ!」
「文句言ってる間に壊せ!」
ラビと神田の遣り取りが遠くに聞こえた。
彼らもまた、この数に苦戦を強いられているらしい。
ふと、コウはトンと背中にぶつかってくる何かに気付く。
「コウ、あの錬成陣は壊せないんですか?」
やや疲労の見られる顔で、アレンが首だけを振り向かせて問う。
背中合わせの状態で前だけに集中するコウは、彼の言葉に答えた。
「出来る。けど…壊せば戻れるかは分からない」
そう、コウが躊躇っているのは、それが原因だ。
錬成陣を壊す事は、まるで呼吸をするかのように簡単に出来る。
しかし、一度壊したそれを元通りに再構築させられる自信がない。
これを壊すという事は、向こうの世界との繋がりを絶つと言う事。
つまり―――
「壊せば、君達を帰せない」
それだけが、今のコウをギリギリのところで止めていた。
07.07.29