Destiny  - 74 -

地面の上に横たわる石を前に、そっと膝を着く。
手に抱えていた溢れんばかりの色を放つ花束をその上に置いた。
それから、まるで忠誠を誓うかのように自身の右手を左胸元のローズクロスの上に乗せる。

「久しぶり、ヒューズさん」

誰に言うでもなく―――いや、目の前の石の下に眠る、彼に向けて。
コウは風に溶け込んでしまうのではと思えるほどに小さく、そう紡いだ。

「どうか、一年間も墓参りをしなかった親不孝者と叱ってほしい」

もう、その願いは一生叶う事はないけれど。
そう思ってしまうのは、視界が水分によって歪められてしまうのは、自分がまだ忘れられていないからだろう。
忘れられるものか―――この、大切な人を。

「あなたを想い過ぎたあまりに、禁忌を犯した」

目の前に居たならば、きっと「馬鹿野郎」と平手の一つでも食らっただろう。
悪い事は悪い、そうはっきりと教えてくれる人だった。
だからこそ、こうして若くして石畳の下に眠るような職に就いてしまったのだ。
本人はそれを後悔はしていなかっただろうけれど、無念ではあったと思う。
ギュッと、指先でローズクロスを握る。
コウが紡ぐ言の葉に返事が返って来る事はない。

「今日、恐らく全てが終わる。それぞれが、あるべき場所に戻るだけ」

彼らはあの哀しい兵器の存在する世界に。
自分は、この錬金術の栄えた世界に。
それぞれが、本来あるべき場所に帰る―――ただ、それだけだ。

「色々なことがありました。沢山の人と出会いました。大切な…仲間が出来ました」

そこまで言ってから、コウはきゅっと唇を噤んだ。
それから、数秒をおいて苦く笑う。

「駄目だな…。ヒューズさんの前だと、どうしても自分を誤魔化せないよ…」

一筋、涙が頬を伝う。
それがきっかけとなり、次から次へと雫が続く。

「出来るなら、彼らと共に居たい。だけど…私は、ヒューズさんが好きだったこの世界も守りたい…っ!」

この世界を放り出して、彼らと共にあの世界に戻る事は出来ない。
ここにだって、大切な人がいる。
大切な思い出がある。

「こんな時に…ヒューズさんの声が聞けないのって、辛いよ…」

もし彼がここに居たならば、どんな言葉をかけてくれたのだろうか。
一年と言う月日の間、別の世界で過ごしたコウには、彼の言葉を予想する事すら出来なくなっていた。
それが、どうしようもなく悲しい。
まるでその存在が徐々に薄れつつあるように思える。
あの時の胸の痛みは忘れていない。
けれど、本質的なところで、その存在が徐々に消えてしまっているような…そんな、霞がかった錯覚を起こす。

「………後悔しなかったら、きっと間違っていないよね」

この選択が正しいかなんて、誰にも分からない。
せめて後から後悔せずにいられるように…そうするしか、今のコウにできる事はなかった。
コートの袖で涙を拭い、時間をかけて立ち上がる。

「全てが終わったら、また報告に来るよ。その時は…ちゃんと、笑ってみせるから」

だから、今は泣き顔を見せることを許して欲しい。
そう思いながら、コウは薄く微笑んだ。

「コウ…?」

不意に、名前を呼ばれたコウはビクリと肩を揺らす。
誰の声かと判断する前にそちらを向けば、少しばかり驚いた様子のロイがそこに居た。
彼の右手には質素な花束が下げられていて、ヒューズの墓参りに来たのだという事はほぼ明白。
彼は振り向いたコウを見てから僅かに眉間に皺を寄せ、キョロキョロと周囲を見回す。
何かを探すような素振りだったが、結局目当てのものは見つからなかったようだ。
先程よりもやや険しい表情のまま、彼はつかつかとコウに歩み寄ってくる。

「こんな時に一人とは…感心しないな。奴らはどうした?」
「多分…まだ宿で…」
「抜け出してきたのか…」

呆れた、と言った声色でそう零してから、溜め息を吐き出す。
そんなロイを前に、コウは苦く笑った。

「覚悟を決めたかったの。本当は…背中を押して欲しかったんだけど…」

それは望めない事だから、と笑う彼女を、どうして責める事など出来ようか。
一年前の彼女は毎日こんな風に涙の所為で目を赤くして、それでも心配させないようにと力なく笑っていた。
けれど、一年を経て再会を果たすことの出来た彼女は、本来の笑顔を取り戻している。
それを取り戻させたのは、他でもない彼らなのだろう。
そんな彼らを、引き離さなければならないのだ。
出来る事ならば、このまま彼らと共に行かせてやりたいと思う。
しかし、こればかりは彼の独断でそれを告げる事は出来ない。
自分は、あのアクマと言う兵器についてあまりに知らないことが多すぎた。
こちらは大丈夫だから、などと無責任な事は言えない。
だから、彼女の背中を…彼女が望む方向へと押してやることが出来ない。









目元に残った涙が気になったのか、コウが手を持ち上げてそれを拭う。
その仕草を止めるように、花束を持っていないほうの手で彼女のそれを掴んだ。

「こら、擦ると目が腫れる」
「ん」

短くそう答えて腕を下した彼女。
そんな彼女を見てから、彼は手に提げていた花束を彼女のそれの隣に並べた。

「残って、どうするつもりだ?」
「…とりあえず、アクマを破壊する。最後の一体まで、逃がさずに」
「その後は?」
「…どうしようかな。エドたちみたいに、流れるのも悪くないかな。世界を…見てみたい」

自分のこの目で、色々なところを見て回るのも悪くはない。
そう思った自身に、思わず苦笑が零れた。
違う―――これは、ただの理由に過ぎない。
結局は、思い出が溢れるこの場所で生きていくだけの自信がないのだ。
新しい所を目指さなければ、この場所を恐れてしまうような気がして、それが怖いのだ。

「軍に戻るつもりは…」
「…ない、かな。って言うより、無理だと思うよ」

そう言ってコウは困ったような表情を浮かべる。
軍と言う全てが決められた箱庭で生きるには、自由の味を覚えすぎていた。
黒の教団も確かに上下関係の上に成り立っている。
しかし、あそこは良くも悪くも自由だった。

「今後の事は、その時になってから考える。まだ…はっきりと結論を出すのは早すぎるから」
「…あぁ、その方がいいな」

薄く笑うロイに、コウ自身もまた小さな笑みを返す。




その後は大した会話もなく、ただ静かな時間が流れた。
そんな静けさを裂くように、数人の足音が近づいてくる。

「コウ!!」

足音に反応してそちらに視線を向けていたコウは、名を呼ばれて僅かに目を瞬かせた。
喧騒の原因となっているのは、騒がしく駆けてくる己の仲間。

「ラビ、ユウ、アレン!?どうしてここが…」
「軍部の姉ちゃんから聞いた!それより、アクマだ!!」

考える暇すら与えず、コウは即座に地面を蹴った。
そんな彼女の行動を最後まで見る事無く、彼らは踵を返す。
着いてきているという確信の元、速度を落とさずに走り出した。
そしてコウもまた、その確信を裏切らずに彼らを追う。
自分の存在など忘れたように駆けていってしまったその背中を見送り、ロイは静かに溜め息を吐く。

「コウには辛い想いばかりをさせてしまう…どうすればいいんだろうな、ヒューズ」

返事はないと知りながらも、紡がずにはいられない。
―――お前が生きていたならば、一体どうしてやった?
そんな問いかけは、言葉として発せられる事無くロイの中に飲み込まれた。

07.05.22