Destiny - 73 -
多分、コウはそう言った。
けれど、多分であったとしても戻れるという可能性が出てきたわけだ。
それだけで十分な筈なのに、どこか浮かない顔をしているコウ。
それに気付いた三人は、互いに顔を見合わせた。
代表、と言わんばかりにラビが口を開く。
「何か問題あるのか?」
「…ヒビが入ったの」
そう言って、彼女は掌に乗せたヴァリーヴドラゴンの心臓を皆に見えるようにする。
そんなに大きなヒビではないらしく、分かりにくい。
だが、確かに一筋の小さな亀裂が見て取れた。
「これが…どうかしたんですか?」
「ヒビが入ったって事は、これが限界に近いってこと。つまり…あと、1回きりかも知れない」
「………それが何か問題か?1回だろ、使うのは」
暫しの沈黙の後、神田がそう問いかける。
確かに、戻るだけなのだから、1度使うことさえ出来るならば問題はないはず。
ならば、何故彼女はこんなにも深刻な表情をしているのだろうか。
「…ユウ、考えてみて?今ここで使ったとして、私達はあの世界に戻れる…ここまではOKよね」
初めは神田一人に紡ぐような姿勢だったが、コウは次第に全員を見回すようになった。
彼らが頷くのを見て、続ける。
「でも、千年公がアクマを持ち込み続けることに歯止めをかけられてはいない」
「…現状では、そうですね」
「誰がこの世界のアクマを破壊していくの?」
「……………でも、千年公は明日にやってくる…そのはずですよね?」
アレンの言葉にコウは「可能性でしかない」と答える。
そう、今までは一定の周期でアクマを送り込んでいた。
しかし、これからは?
確定的なことなど何一つ分かっていないのだから、どうなるかなんて分からないのだ。
「最大の問題は…私達四人で、千年公との対決なんて…無理だって事」
コウは溜め息と共にそう零した。
それは、考えたくはないけれど、考えないわけにはいかないことだ。
エクソシストを含む多くの者が殺されたあの事件は、まだ記憶に新しい。
少なくとも、向こうにはそれだけの実力を持った一人はいるということ。
刺し違える覚悟でその一人を倒せたとして、千年公が残り何人の部下を引き連れているのか…それすら不明だ。
異世界にアクマを発見したから増援部隊を頼む。
それを教団に告げに行くことすらも、世界を渡る1つのカウントになってしまう。
縦しんばそれが伝えられたとしても、今度もこちらの世界に戻ってくることが出来るかはわからないのだ。
「残されている道は…この世界を諦めて、向こうに帰って千年公を潰す」
「でも、それは…!」
「私には出来ない。ここには、向こうの世界にも変えがたい大切な人たちがいるから」
彼らの住む向こうの世界だって、大切だ。
けれど、今存在しているこの世界を捨てることが出来る筈などない。
ラビの声を遮るようにして、コウははっきりとそう告げた。
その表情は、確かな覚悟を決めたもの。
しかし、何故か見ている者に不安を掻き立てるような…そんな表情だった。
そう、例えて言うならば…死を覚悟した者の、強い表情。
「…三人にお願いがあるの」
一度顔を俯けてから、コウはそう言って話を切り出した。
そして、アレンから受け取っていたヴァリーヴドラゴンのそれを彼に差し出す。
「向こうに帰って欲しい」
予想外と言えば予想外。
けれど、頭の片隅では彼女はそう言うのかも知れないと考えていたような気がする。
驚きに表情を染め、言葉なくそこに居る彼らに向けて、彼女は続けた。
「三人は、向こうで他のエクソシストと協力して、千年公を倒して欲しいの。
今こうしてこちらの世界との関わりを作っている以上、そこから攻めればきっと尻尾を掴む事ができると思うから」
だから、今がチャンスなのだと。
コウはそう言ってから、受け取ろうとしないアレンの手を取ってその掌に赤い宝玉を載せる。
先ほどのように、まるで渦を巻くような色の変化は無い。
「お前はどうするつもりだ?」
神田の声は思ったよりも冷静なものだった。
彼は怒るかもしれないな…と思っていたコウにとっては少しばかり予想外。
けれど、冷静に…しかし、どこか怒っているのはその空気から伝わってきた。
あえてそれに触れないように、悩むような素振りを見せてからコウは答える。
「…説明して分かるかは微妙だけど…。
この錬成陣がここにあるという事は、誰かがこちら側から向こうの世界への道を作ったって事」
少し向こうに見える錬成陣を指して、そう説明する。
錬金術を知らなくても、その程度ならば理解は出来るだろう。
錬成陣が存在する為には、その知識を持った錬金術師が必要である―――それさえわかってもらえれば十分なのだ。
「その錬金術師を見つけないと…千年公を何とかしても、意味がない」
「それなら、僕達も一緒の方がいいですよ。ほら、一人よりは…」
ね?と首を傾げたアレン。
彼を見てから、ラビ、神田と順に視線を動かして、最後に足元にそれを落とす。
言い難そうに眉間に皺を寄せて、コウは二・三度躊躇ってから口を開いた。
「…エクソシストは、対アクマとしては凄く優秀…それは認める。だけど…錬金術に関しては、その辺の人と何も変わらない。
………私の言いたい事…わかるよね?」
言葉は濁してあったけれど、その示す意味は分かる―――分かってしまう。
一般人に等しい彼らを守りながら、敵と言える錬金術師と対峙する事はできない。
元々医療の道を究めた彼女は、相手を傷つける事に対しては酷く臆病なのだ。
エクソシストとなってから一年。
初めは、それこそアクマに対しても、人と同じように傷つけることを憚られていたほどだ。
それを知っているラビと神田は、それ以上何も言えなかった。
守られるつもりはない。
けれど、結果としてそうなってしまったのでは意味がないのだ。
彼女が言うように、自分達が知る錬金術師と言うのは目の前の彼女と、そしてロイ。
金髪の少年もそうだと言っていたが、彼の錬成を見た事はない。
知識は、あまりに少なすぎた。
「向こうの世界には確実に戻れるんか?」
「うん。90%以上の確率で…ううん。必ず、戻すから」
「………わかった」
「ラビ!?」
頷いた彼に、アレンが驚いたようにその名を呼ぶ。
彼女一人を残していく事に、何故納得してしまうのか。
確かに彼女の言っている事は分かるけれど、これはあまりに危険すぎた。
「コウを一人で残していくなんて、無茶ですよ!」
「…どの道、俺達には手は出せねぇんだよ」
ラビに食って掛かるアレンに対し、声を上げたのは彼ではなく神田だった。
その言葉に、アレンは「何故?」とでも言いたげな視線を向ける。
「錬金術師は人間だろ。アクマとは違う。…お前は、人を殺すのかよ」
「…っあ…」
失念していた。
自分達が戦ってきたアクマは、兵器だ。
人であったけれど、人ではないもの。
だが、錬金術師は違う。
彼らは「人間」なのだ。
「準備もあるだろうから、向こうに帰すのは明日にしておくわ。…アレン、納得してくれるね?」
神田の言葉により、アレンも納得せざるを得なかったのだろう。
俯いて眉間に皺を刻み、それでも彼は小さく頷いた。
誰も口には出さないけれど、頭では理解している筈だ。
明日、向こうの世界に帰してもらうと言う事は―――コウと、別れると言う事。
アレンが持ってきたヴァリーヴドラゴンの心臓はすでに限界で、使えるのは一度きり。
今回三人を送り帰すことに使ってしまえば、彼女の分はないのだ。
「………戻ろうか。ロイさんに話さないと…」
誰も言わないのは、きっと別れを受け入れたくないからなのだろう。
コウが苦笑にも似た寂しげな笑みを浮かべてそう言って、率先して水路を引き返していくのに続く。
地上に出るまで終始無言で、四人分の足音だけがその場に響き渡った。
四人が去った例の錬成陣のある部屋に、一つの人影が姿を現した。
床の上に刻まれたそれを足で踏んで部屋の中央に移動してから、彼女らが去った出口を見る。
「困るなぁ…今頃こっちに帰されてもさ。あの男と同じように邪魔だったから使徒に選んだってのに…」
声からすると、どうやら男性のものらしい。
少し高めで、どこか呆れた風なそれ。
「ったく…これだから、頭がキレる奴って面倒なんだよ。……契約違反はどっちかな…ねぇ、千年伯爵?」
誰に向けるでもない、嘲りを含ませた声色が響く。
やがて、彼はクルリと踵を返し、漆黒の長髪を揺らしながら闇の中へと消えていった。
07.05.12