Destiny - 72 -
独特の湿気た空気が肌に絡みつく。
鼻を突く異臭は、恐らく獣が住処としている所為だろう。
それに襲われた覚えのあるコウ、神田、ラビはその事を思い出していた。
「…なぁ、またあんなのに出くわしたりは…」
「しないと思うよ。あれはキメラって言うんだけど…錬金術師の中でも、キメラを錬成できる人は少ないから」
パシャンと足元の水が跳ねる音が聞こえる。
コウの言葉に、神田が声を上げた。
「錬成にレベルでもあるのか?」
「レベルって言うか…知識、だね。その錬成しようとするものに対する理解力―――簡単に言えば、それ」
「って事は、よく知っているものじゃないと錬成は出来ないんですか?」
「そうでもないよ。ただ、応用は利かないから一般的な錬成になるかもしれない」
「なら、そのキメラを錬成できる奴はもっと多いんじゃ…」
ラビの質問に対し、コウは少し沈黙する。
そして若干表情に影を落としながら、口を開いた。
「生きたキメラを錬成できるのは、ごく一部だよ。殆どは…死んでしまうから」
しん、とその場に沈黙が下りる。
「生き物同士を合成する…それが合成獣。
命あるものを錬成する時、術師は知識と理解以上に、生命の流れを知らなければならない」
その流れを断ち切ってしまえば、掛け合わせたどちらの命も奪う事になる。
両方を組み入れつつ、その生命の流れを失わせない―――キメラを生かすという事は、それだけ難しい事なのだ。
「一匹のキメラを作るのに、何十もの命が犠牲になってる。それが…錬金術の本質」
「そんな…何で、キメラを作る必要があるんですか?」
「錬金術の限界を探しているのかもしれないね。いつか、その錬金術が人の為になる事を祈って、奪うの」
救う為に、奪う。
矛盾しているけれど、その経緯があって、漸く医療に錬金術を生かすことが出来るようになってきているのだ。
実験に使われるのはいつだって弱い生き物達で、その現実に泣いた事もある。
けれど、人の命を救いたくて…医療錬金術の道を選んだ。
「守りたかった筈なの。なのに…私は、いつだって奪う事しかできない」
彼女が指しているのは、アクマのことなのだろう。
三人は言葉には出さなかったがそれを感じ取っていた。
アクマを破壊すると言う事は、二人の人を殺すと言う事だ。
その身体になってしまった人と、その身体に入った魂。
魂を解放してあげるためには、イノセンスによる破壊しかない。
分かっているけれど…結局は、奪うのだ。
「奪ってばっかりじゃないです」
ポツリと。
アレンはコウの方を向かずに前だけを見据えてそう言った。
「僕は、何度もコウの錬金術で怪我を治してもらいました。確かに僕の怪我を奪ったとも言えますけど…」
そうは思わないでしょう?
彼の言葉に彼女は僅かにその目を見開いた。
「誰かのために覚えたコウの医療錬金術は、ちゃんと人の為に生かされてるんですよ」
「アレン…」
「奪ってばっかりじゃないんです。それに、コウも聞いたでしょう?アクマに囚われた魂の声を」
彼に言われて、コウは今までに破壊してきたアクマの記憶を呼び起こす。
解放された魂が柔らかく微笑んで、それから―――
「ありがとう、そう言ってただろ?」
親しい人の身体を奪い、人の命を毟り取っていく。
それから解放された魂は、いつだって感謝の言葉を残して消えていた。
「…考えすぎなんだよ、お前は。それとも、錬金術師って奴らは皆こんな風にややこしいのか?」
呆れた風な声も、自分の行動を否定するものではない。
「命を奪ってきた過去が今に繋がっているなら、これからそれよりも多くの命を助けましょう」
ね、と微笑まれる。
コウはその笑顔から逃げるように顔を俯かせた。
ポタリと彼女の足元で音がしたけれど、誰もそれを気にする事はない。
「色々と考えちゃって…駄目だね。この世界は、私にとってあまりにも多くの記憶を抱えすぎている」
考えないようにしていても、目の前にある存在を無視する事は難しい。
だからこそ、今までの自分の生き方までも見つめなおしてしまうのだ。
ありがとう―――今は、自分達が破壊した人たちの最期の言葉を信じてみようと思う。
「そうしてる間に…」
「…着いた、な」
ラビ、神田と言葉を紡ぐ。
彼らが先に見据えているのは、数日前に訪れた広い空間だ。
何かの儀式的な意味のありそうな陣が刻まれたその部屋に、アレンは不思議そうに周囲を見回す。
あの時はそんな余裕がなかった神田やラビも同じだった。
それに対し、コウは一人その陣の元まで歩き、調べるようにそれの上を撫でたりしながらぶつぶつと呟く。
「これ…錬成陣だ」
「錬成陣って、あれだよな?錬成に使うときの模様」
「うん」
「何を錬成するんだよ?」
「待って、今それを調べてるから」
そして、それ以上の質問は受け付けないとばかりに彼らに背を向ける。
錬成陣の上を撫でたかと思えば、天井を見上げている。
その次の瞬間にはぐるりと部屋の中を見回していたりと、コウの動きは忙しい。
こっちの方面は全くの素人である三人は、暫くの間蚊帳の外に捨て置かれた。
そうして何分か経ってから、コウは漸く結論を導き出したらしい。
「わかったのか?」
「うん。何かを生み出す錬成陣じゃないって事は。決定的なものが足りないの」
そう言われても、彼らにはその意味すらよく分からない。
とりあえず、その道のエキスパートであるコウがそう言うのだから、そうなのだろう。
そんな程度だ。
不意に、部屋を見回したコウがアズの存在を目に止める。
いつだって自分の傍を離れない彼は、何故だか部屋の外の崩れた壁の脇に居た。
「アズ?」
何でそんな所に…。
そんな思いを込めてその名を呼べば、存外に早く返事が返って来る。
『それ、嫌い』
「それって…錬成陣?」
そう質問を返せば、肯定の答えが返って来る。
それを聞き、コウはふと何かに気付く。
「アレン。ヴァリーヴドラゴンの心臓はどうした?」
「あれなら、ここに…」
コウの言葉に、アレンはすぐにそれを取り出そうとした。
しかし、ポケットに手を突っ込んだ途端、彼は「熱ッ」と声を上げてそれを引っ込める。
「アレン!?」
「大丈夫ですよ。ただ…心臓がやたらと熱くなってて…」
彼がそういい終わるが早いか、コウはそのポケットに手を突っ込む。
そして、明らかな熱を帯びているそれを引っ張り出した。
鮮やかだった赤はより深い色へと変化し、まるで脈打つかのように宝玉の色を瞬かせている。
「あ、熱くないのか…?」
「慣れてる」
「あぁ、なるほど」
ラビが納得したのかそうでないのか微妙な返事を返した。
しかし、そんな彼の行動を横目で捉えていたコウは、すぐに手の中に視線を戻す。
ピキン。
赤い欠片が散った。
それを見るなり、コウは自分の足もとを見て、それから慌ててアズの元まで駆け寄る。
意味の分からない彼らは、彼女の背中を見送るも、すぐにそれを追った。
「どうしたんだよ?」
神田の質問に答えず、コウは再び手の中のそれを見る。
赤みは前に見たときと同じくらいに戻っていて、あれほどの熱さもどこかへ消えうせていた。
「あ、元に戻りましたね」
「…錬成陣に反応したのよ。やっぱり、これが錬成陣の核なんだ…」
小さく呟いた彼女は、ヴァリーヴドラゴンの心臓を軽く握る。
「多分だけど…あっちに帰れる」
この言葉に初めて、彼らは漸く己の状況を悟ったのだった。
07.05.01