Destiny - 68 -
触れているだけで、安心できる。
まるで失くしていた半身が帰ってきたかのように、心が穏やかになった。
不安すらも拭い去る事のできた、この腕の中の温もりを愛おしく思う。
まだ身体の疲労が抜けきらないのか、眠っているわけではないけれど目を閉じているアズ。
彼を見下ろし、コウは静かに笑みを浮かべた。
「なぁ、コウ。こいつ、さっきはかなりでかかったよな?あれと、これが同一生物?」
信じられないのだろう。
エドが控えめにそう尋ねれば、コウは薄く苦笑を浮かべて頷いた。
黒い毛並みのアズも、この腕の中で眠る小さな白いアズも同じなのだから、そうだ、としか答えられない。
「何か…夢でも見てるみたいだ…」
自分が見えている世界など、本当は凄く小さいのだろうか。
予想外と言うか、現実離れしたことばかりで、頭痛を通り越して寧ろ頭が考える事を放棄しているようにさえ思う。
ここまで来て全部嘘でした、なんて言われれば、きっと笑い飛ばす事はできない。
それほどに、頭の片隅が彼女の話を受け入れようとしていた。
不意に、コウの膝の上で丸くなっていたアズがバッと顔を上げた。
やはり彼の存在が気になって、じっとその動向を見守っていたロイたちが何事だ、とコウを見る。
だが、彼女はアズを見つめていてその視線に答えてくれそうにない。
『アクマ。コウ、アクマ』
「!!」
アズの声にエクソシスト三人の表情が変わる。
ロイたちがそれに対して大きく反応を見せる理由はなく、寧ろアズの声に対して驚愕の表情を見せた。
「アクマ…?って!そいつ、人間の言葉まで話せるのかよ!?」
人語を話すキメラは見た。
けれど、それだって人と犬とを合成して生まれたキメラで、現実はまだ不可能だ。
つくづく現実離れしている、と驚く。
しかし、コウには…いや、コウだけでなく、ラビや神田にも、彼の声に答える余裕はない。
ピスピスと鼻を鳴らして盛んに匂いを気にするアズに、三人は一言も言葉を発しなかった。
「…場所はどこだ?」
待つことに焦れたのか、神田がアズに向けてそう問いかける。
自分達が元居た世界だったならば、迷わず飛び出して行っただろう。
しかし、ここはいわば異世界だ。
不用意に突き進んでしまう事の危うさは、この世界に来てすぐ、身をもって体験している。
あんな化け物のようなものが町中をうろついているとは考えにくいが、同じ轍を踏むつもりはなかった。
『近い。アズ、案内?』
くりんとした青い目がコウを見上げ、そう問いかける。
三人は迷う事無く頷いた。
それを見て、アズはコウの膝の上で翼を広げると、ふわりと飛び上がる。
いつもの事なのだが、飛び上がる際には彼の重力や体重はゼロになっているのは、と思う。
それほどに、まるで羽根のように軽く飛び上がるのだ。
翼の大きさと身体の長さを考えれば、それもあながち間違ってはいないのかもしれない。
バサッと翼を羽ばたかせて窓から飛び出したアズを追って、三人は黒いコートを翻して駆け出す。
「コウ!」
最後尾を走ったコウの背中にそんな声が掛かる。
切羽詰ったロイの声に、彼女は仕方なく振り向いた。
「大佐は道路の封鎖を!アクマが居るならば通行されては危険です!」
彼が何かを言う前にそう言い終えてしまう。
思わず頷く彼を見届ける事もなく、彼女は前を走っていった二人を追った。
まるで台風が去ったかのように、当事者達が忽然と消えてしまった室内。
シンと静まり返る中、アルが身体を動かした際に発せられた金属音だけが響いた。
「兄さん」
「おう。大佐!道路の方、頼んだからな!」
「ま、待て、鋼の!どこに行くつもりだ!?」
「コウを追うに決まってるだろ!アクマって奴が本当なら、あいつらの話は全部事実だって証明になる!」
走り出してしまった兄弟を、それでも尚引きとめようと声を掛けるが、所詮は無駄な足掻きだった。
忌々しくも舌を打つと、ロイは己の部下を振り向く。
「あの方角を調査、現場から半径200メートルを封鎖だ!道路も裏道も、全部塞げ!私はコウを追う!」
最後まで紡ぐや否や、彼は返事も聞かずにエドたちに続いた。
残された彼の部下は敬礼でそれを見送り、その背中が見えなくなったところで各々が機敏に動き出す。
「報告します!中央通りより北に約500メートル、浮遊物体による襲撃を受けました!」
何かで頭を打ったのか、コメカミから血を流して部屋に飛び込んできた憲兵。
彼の言葉により、リザたちの動きはより鋭くなった。
「コウ、戦えるか!?」
「アズがいるから大丈夫!何だか、感覚が戻ってきてる気がするしね!」
「無理そうならすぐに下がれよ。邪魔だからな」
「誰に向かって言ってるの?」
ポンポンと成り立つ会話に、神田とラビは人知れず表情を緩める。
見えない壁一枚を隔てて会話をしていたような先ほどまでとは、全く違う。
まるで、自分達と過ごした一年を忘れているなんて、嘘のように自然な遣り取り。
アズの速度についていくのは中々骨の折れる仕事だったけれど、それでも足取りは軽い。
飛ぶが如く。
驚くような速度で駆けていた彼らの耳に、低い爆発音が届いた。
―――近い。
レンガの建物沿いに走っていた三人は、この建物の向こうに原因があると気づいた。
そうすれば、速度はより速くなる。
ザッと地面を滑る様にして建物沿いに右へと曲がれば、そこに見えたのは何度となく目にした光景。
ゴロゴロと浮いているボール型のアクマとまだ人の形を見せているそれ、崩れた町並み。
「何でこの世界にアクマが居るんだよ!?」
そう言いながら、ラビはすでに発動させていた槌を構えて走り出す。
「知るか!俺達がここに居るんだ、アクマが来てたって何も不思議じゃねぇ!」
六幻の刃がきらりと太陽を反射させた。
「何にせよ、アクマが居るなら壊す!それだけで十分でしょ」
ごく自然にホルダーから抜き出した銃を構え、彼女もまたコンクリートを蹴った。
そして、前方で自分を待っていたアズに視線を向ける。
「アズ!」
その名を呼びながらトンと地面を蹴って、空高く跳び上がった。
コウの声に答えるようにアズの身体を錬成反応に似た光が包み、漆黒の毛並みが露になる。
迷いなく彼女の足元へと翼を羽ばたかせ、その背で彼女を受け止めた。
ブーツで背を傷つけないように膝で降り立ったコウは、間髪容れずに銃口をボール型のアクマへと向ける。
一体を破壊したラビが反動を利用して後方へと下がり、その間を神田が引き継ぐ。
その連携が途絶えた一瞬、別のアクマの銃口が彼らを狙った。
だが、それが火を噴くよりも、コウの指が引き金を引く方が早い。
レーザーのように赤い一直線の軌道を描いた灼熱のそれが、アクマの脳天に風穴を開けた。
ドンッとアクマが壊れる爆発音を聞きながら、次なるそれへと照準を合わせる。
「数が多い…!」
見れば、ボール型ではなく、まだ人型を取っているアクマまで居る。
世界を流れたにしては、数が多すぎるように感じた。
「これは…まさか…」
嫌な考えが三人の脳裏を過ぎる。
手は休めていないのに、一向に数が減らないのだ。
アズの息が向かってきていたアクマ三体を消し炭にした所で、コウはその背から飛び降りる。
「上から見ていて!」
『了解!』
タンッと膝を折って衝撃を和らげ、同時に側方へと転がりながら三発撃ち込む。
一回転して態勢を整えた彼女の背中を狙う人型のアクマ。
しかし、それは弾を撃つ前に地面より上がった火柱によって破壊される。
コウはもう一度地面を蹴って、トンとその背中をラビのそれに合わせた。
「これ、いつかの状況を思い出さない?」
その一言で、ラビは全てを察した。
「…っあぁ、思い出すさ!あん時は、アレンも一緒に大騒ぎしたよな!」
彼女の言葉に一瞬息を呑むも、前に迫ってきたアクマに槌を振り落としながら口角を持ち上げる。
嬉しさを隠し切れない、と言うその表情は、背中を合わせる彼女には見えなかった。
「“巻き込むな”よ?」
「…“そっちも”ね」
いつかに交わしたと同じそれを、今度は逆の立場で交し合う。
そうしてクスリと笑みを残し、互いが前方へと走り出してその背中を離した。
自然と、寂しさは感じさせない。
「何だよ、これ…!」
「!?」
自分達を追ってきたらしいエドたちが角を曲がってきたままの姿勢で固まっているのが見えた。
小さな声を爆音の合間に聞きとめたコウは、彼らを狙うアクマに目を見開く。
同時に周囲を見回すが、神田もラビも、アズでさえ、間に合いそうにない。
「エド、駄目!逃げてっ!!!」
彼の金髪が揺れ、コートとは違う赤によって攫われた。
07.04.10