Destiny - 63 -
それなりに人の姿のある廊下。
司令部内で、しかも勤務時間中とあればそれもおかしな話ではない。
そんな廊下を、死神でも思わず道を譲りそうな形相で進む一人の男。
名を、ロイ・マスタングと言う。
彼は眉間に深々と刻まれた皺をそのままに、只管その長い足を動かして玄関へと急いだ。
その後を、リーチの差にくじけそうになりながらも必死についていく一人の憲兵。
事の次第を報告するなりデスクをバンと叩いたロイ。
その後は物も言わずに部屋を出て、今のように足並み早く歩き出してしまった。
怒らせてしまったのだろうかと、半分泣きっ面だ。
「マ、マスタン、グ大佐!話は、まだ、途中で…!」
必死に追いかけつつ、息の上がった身で何とか報告を続けようと躍起になる。
だが、それすらも彼の耳に届いているのかわからない。
それほどに、ロイの背中は全くの無反応だった。
この憲兵は、コウ・ラビ・神田の三人を見つけたあの人物だ。
同僚の助言を受けて、彼は早々にロイに報告に向かった。
そして、ただ一文こう発言したのだ。
「コウ・スフィリア少佐を発見しました」
大佐と言う地位の者を前に、緊張した声で何とかそう言いきったのだ。
それ以降の説明は一切させてもらえない。
すでに10メートル以上は間が空いてしまって、もうこのまま諦めてしまおうかと思ったその時だ。
彼の向こうに玄関が見えたところで、その背中は止まっていた。
何とか彼に追いつくと、その憲兵は漸く停止の理由を悟る。
「あぁ、大佐。丁度良かっ―――」
鋼の錬金術師、ことエドワード・エルリック。
彼の言葉を遮るようにして、上司であるロイは再び動き出した。
「マスタング…大佐…」
金髪の少年の隣で、どこか所在無さ気に視線を彷徨わせる彼女には見覚えがある。
自分が先ほどロイに報告した彼女だ。
戸惑いに満ちた声で呼ばれた名前すら、耳に入っているのかわからない。
ロイはただ無言で彼女の腕を掴むと、そのまま踵を返して廊下を歩き出した。
来た時と殆ど同じ速度で歩く所為で、腕を掴まれている彼女は半ば駆ける様にして付いていく。
そんな二人に金髪の彼と、その弟が続き、憲兵は一人取り残された。
「あぁ、あなた」
「は、はい!」
「詳しく聞かせてもらえるかしら?」
「はい!実は―――」
「…わかったわ。ありがとう」
最後の最後で、漸くその存在を思い出してもらえた彼は、一度敬礼の姿勢をとった後自身の持ち場へと戻った。
狭くはないけれど、呆気に取られるほど広いわけではない。
そんな部屋に、パンッと乾いた音が響いた。
その場に居た誰もが、その行動に出るとは思わなくて、ただ目を見開く。
しかし、当の本人…ロイは相変わらず険しい表情で、今しがた頬を打ったコウを見下ろしていた。
「何か、言い訳はあるかね」
「……………」
「あの日、私はお前に与えられた研究室を訪れた。その意味はわかるか」
声が怒っている。
ピリピリと肌を刺す、なんてものではない。
触れれば火傷を負うのではないかというほどの怒りが、彼の表情・声・態度…その全てから感じ取ることができた。
彼の言う「意味」を、恐らく正しく理解している。
あの日、と言うのは自分の記憶の空白が始まった日のことだろう。
「何故人体錬成を行なった!!!あれほど何度も…人を造るなと…っ」
「…っ」
「ヒューズが死んだあの日も言った筈だ!人を…ヒューズを造ってはならないと、そう言っただろう!!」
コウは彼に視線を返すことが出来ず、ただ顔を俯かせた。
怒鳴られることだって慣れていない。
思わず涙が滲みそうだったけれど、それは許されないような気がした。
あの日、あの時の事ははっきりと覚えている。
幾度となく書き直し、書き直し、書き直し…満足の行く答えを導き出した翌日だった。
普段は誰でも自由に入ることが出来るようにと開け放っている研究室の扉を、あの日だけはしっかりと施錠した。
「――……ごめんなさい…」
あの謝罪は、誰に対するものだったのだろうか。
間違いがないことを何度も確認した錬成陣。
それの上に材料を置いて、そして―――
「残された“もの”を見て、お前の居ない部屋を見て―――私が、どれだけ…!!」
「ごめ…なさ…っ」
叩かれた頬よりも、彼をここまで怒らせてしまった自分が情けなくて…痛くて、苦しい。
じわりと浮かんだ涙は、今度こそ止められなかった。
泣いてはいけない、そう思うのに、止まらない。
次から次へと溢れるそれの所為で、視界はすぐに見えなくなってしまった。
「ごめんなさい…っ、ロイさん…!」
震える唇でその名前を呼び終えたところで、身体が引き寄せられる。
痛みすらも感じさせるような強い腕に抱きしめられ、コウは青い軍服を握り締めた。
「無事で…よかった…!」
「ロイ、さん…っ」
「…私は…お前まで失ったのかと…」
包み込んでくれるその腕に亡き養父の影を重ね、コウの涙腺はもう一度緩み出してしまった。
コウが泣き止むまでの長い間、ロイはずっと彼女を抱きしめ続けていた。
何も会話はなかったけれど、居心地の悪い空間ではなかったと思う。
もう大丈夫、そう思った頃、彼もそれを感じていたのか腕の力を緩めて彼女を解放する。
そして、部屋の隅についていた水道で濡らしたハンカチを彼女に渡すと、そのままドアの方へと向かった。
「…もういいんですか?」
がちゃりとドアを開いた先には、不自然な人だかり。
そのどれもが見たことのある顔で、微妙としか言えない表情の人、やら笑って手を振る人やら…色々だ。
「あぁ、構わない。君の気配りに感謝する」
「いえ、コウのためですから」
そう言うと先頭に居たリザがロイの脇を通って部屋の中へと入る。
そして、現状把握に忙しいコウの前に立つと、ロイと同じように彼女をぎゅっと抱きしめた。
「もう…あまり心配させないで…」
「ごめんなさい、リザさん…」
しばし彼女の温もりを堪能するかのように、その背中に腕を回す。
彼女もぎゅっと抱きしめてくれて、また一粒だけ涙が零れた。
「………で、この頬は大佐が原因かしら…?」
その場の空気がピンと張り詰める。
いくらか低くなった声でそう問いかけられると、コウは「はは…」と口元を引きつらせた。
大事な彼を売るような事はしたくないのだが…こう言う時の彼女の刃向かう度胸はない。
後ろでロイも同じように口元を引きつらせているのが見えて、その光景が懐かしく感じた。
ゆっくりと振り向くリザに、面白いほどに肩を跳ねさせるロイ。
静かに、けれどもズイズイと言葉で責められる彼を見ていたコウは、後ろから頭の上にポンと手を乗せられた。
その手のお蔭で振り向く事は出来ない、けれど、目はその手の主を見上げる。
「長い家出だったな、コウ」
「ハボックさん…」
彼らも、きっと怒っていたのだろう。
けれど、その役はロイに任せたようだ。
彼らは怒りなど全く見せず、ただ優しく微笑んでくれた。
自分にとってはまだ一週間と経っていない。
だが、一年もの月日が流れてしまっている。
その時の流れを、何故か身体が覚えていて―――だからこそ、体と心の差に戸惑う。
「コウ!そいつらへの愛想の前に中尉を止めてくれ」
いつの間に後ろに回りこんだのか、ロイがコウの背を押してリザの前へと進み出させる。
そうして暫し見詰め合い、やがてヘラリと愛想笑い。
途端にリザの表情が苦笑のそれへと切り替わり、仕方ないわね、と呟く。
「相変わらず…中尉はコウには弱いな」
「一番弱い大佐の台詞ではないかと思います」
素っ気無くもそう答えると、彼女はデスクの方へと歩いていく。
先ほどの話に戻すつもりはない、と言う姿勢の表れだろう。
彼女を見送った後、ロイは静かに息を吐き出した。
そして、何も言わずに見上げていたコウの頭にポンとその手を乗せる。
「遅くなったが…」
「?」
「おかえり、コウ」
人の涙腺なんて、所詮は緩いものなんだなって実感した。
07.03.12