Destiny - 61 -
妙だ、と思った。
何と言うか―――まるで、知らない世界に来たかのような、そんな錯覚を覚える。
いや、知らない世界と言うよりは…そう、懐かしい、けれどもどこか違う世界に。
見る風景もどこかしら違っていて、それでも道行く人々は変わらない。
時折青い軍服に身を包む軍人の姿もあったりして―――それが日常だった筈だ。
だからこそ、懐古の念に駆られる自分に、妙だと思った。
首を傾げたくなるのはそれだけではない。
初めこそ挙動不審にキョロキョロとあたりを見回していた、後ろの二人だ。
今では静かに沈黙し、時折何かを探るような目を自分に向けてくる。
知らない人のはずなのに、知っている。
頭では知らないと分かっているのに、身体が彼らを覚えている。
そんな矛盾した感覚に、コウは踊らされていた。
「憲兵にはああ言いましたけれど…もう、行って下さって構いませんよ」
案内は地上までの約束。
それならば、もうすでに日の光を浴びる場所に居るのだから、この先を共にする必要はない。
振り向いてそう言った彼女に、彼らは顔を見合わせた。
「あー…じゃあ、そうさせてもらうさ」
「ラビ!?」
「じゃあな!助かった!!」
まず、オレンジ色の髪の人が答えた。
その言葉に驚く長い黒髪の彼。
しかし、オレンジの…ラビと言ったか。
彼の方が、その黒い人を押さえ込んで連れて行く。
「待って!」
じゃあな、と振られた手、そして去ろうと自分に向けられた背中に、思わず口を開いていた。
自分だって、何故呼び止めたのかは分からない。
けれど、彼らに“置いていかれる”と思った。
それが不安となり、自分の口を開かせたのは確かだ。
その先を紡ぐ事のできない彼女に、振り向いたラビはぽり、と頬を掻いた。
そして、ゆっくりと近づいてくる。
「どうした?」
ぽん、と頭の上に置かれた手が酷く暖かかった。
それに安心させられた自分に驚く。
けれど、その感覚はごく自然に自分の中に落ちた。
「あ…何でもありません。ごめんなさい」
呼び止めてしまって、と謝るが、彼はそんな事は気にしていないと笑う。
いつの間にか神田も彼女のすぐ傍に来ていた。
瞳の奥を探るような鋭い眼差しを向けられ、コウは口を噤む。
しかし、その眼差しの中にどこか暖かいそれを感じ取り、彼女はその表情を緩めた。
「あなたも…ごめんなさい。もう、行って下さい」
安心させるように、けれども有無を言わさぬ彼女の物言いに、二人は後ろ髪を引かれつつもその場を去る。
ある程度歩き、ずっと背中を見ていたであろう彼女から見えなくなったところでその歩みを止める。
「おい。コウから離れて、これからどうするつもりだ?」
「いや…だってさ。コウ、今の状況を理解してないだろ。
そんな状況で知ってる奴にあったら、一番に疑われるのは俺らじゃん。時間の流れは俺らの世界と同じみたいだし」
「…」
当たらずとも遠からず、そう判断した神田は、彼の言葉に沈黙する。
確かに、先ほどの軍人と思しき者の反応を見た限りでは、違うとは言えない。
例えば、この一年の間彼女が行方不明と言う事になっていたとしたら―――疑われるのは、当然自分達だろう。
「で、どうするつもりだ?」
「まぁ、コウが居ないことには話になんないし…。とりあえず、尾けるか」
「…妥当な所だな」
そんなストーカーのような事はしたくはないが、背に腹はかえられない。
眉を寄せつつ答えた神田に心中で苦笑しつつ、彼らは今来たばかりの道を戻っていった。
コウは真っ直ぐに中央司令部には向かわなかった。
自身の中の不安を拭う為に、あえて別の場所へと足を運ぶ。
彼女がそれを向けた場所―――そこは、中央図書館だった。
情報を得るにはここが一番だ。
重い扉を押し開けて中へと入れば、独特の本の匂いが鼻を掠めていく。
カウンターを横目に、コウはブーツを鳴らして中を歩いた。
人気のある蔵書ばかりが並べられた棚の前へと歩き、ごく自然にその中から一冊を取り上げる。
ペラペラと中身を吟味するかのようにページを捲り、たどり着いたのは最後のページを更に捲った所。
そこに、目的の物はあった。
「日付欄は…」
貸し出しカードの日付スタンプを上から順に追っていけば、その数字が徐々に現在へと近づいてくる。
カード半ばで、それをなぞる指は止まった。
そこに押されているのは、丁度彼女が知る最後の日付。
そして、コウはまた一段そこから指を下ろす。
「…っ」
思わず息を呑む彼女に気付いた者は無い。
ドクンドクン、と胸が奇妙にざわめく。
指は、知っている日付から更に十数段も降りて、漸く最後の欄へとたどり着いた。
最後に押されている日付は、自分の知るそれからは11ヶ月と二週間ほども進んでいる。
これの示す所は、つまり―――
「一年後―――って事なの…?」
昼下がりの少し忙しい時間。
図書館の中は大した人数でもなくて、呟いた声を咎められる事は無かった。
頭の回転はそう悪くは無い。
数少ない情報の中から適切なものを選び取り、そして正しい答えを導き出した。
理解してしまえば、先ほどの憲兵の言葉も頷ける。
ロイがセントラルに移った事を知らないのは当然だ。
自分は、その時居なかったのだから。
「…何、この消失感は…」
一年後の世界だと言うことを、何故かすんなりと受け止めている。
そのことも驚きなのだが、それよりもこの持て余している感覚だ。
何か、すっぽり抜け落ちてしまっているような…そんな感覚。
思い出そうとしても、それが何に関係するものなのかさえ分からない。
「頭…痛い…」
無いものを思い出そうとすれば、脳に負担が掛かるのは当然だ。
パズルのピースをなくしてしまったように、そこだけが抜け落ちている。
ただ漠然と、それが自分にとって酷く大切なものであったと覚えていた。
だからこそ思い出そうとする頭が、それ以上の酷使を拒んで悲鳴を上げている。
コウはカウンターからは陰になっている位置で、本棚伝いに座り込む。
親に怒られて身を縮めて涙を流す幼子のように、自身の殻にこもるようにとその身体を抱きしめた。
どのくらいの時間をそうやって過ごしていたのだろうか。
「大丈夫ですか?」
不意に、どこか篭った声がした。
自分に向けられるものであると気付いたのは、硬い何かが腕に触れたから。
ピクリと肩を揺らすも、コウは顔を上げる事は出来なかった。
「…大丈夫じゃ…なさそうですね。えっと……あ、兄さん!」
「ったく。こんな所に居たのかよ。本棚の陰になって全然………どうしたんだよ、そいつ」
「それが、具合が悪いみたいで…」
「…お前は…。猫でも何でも、弱いもんに引かれる奴だなぁ、ホントに」
どこか呆れた風な声が近づいてくる。
そして自身の膝に顔を埋めたままのコウの肩に、手が乗せられた。
それに応えるように、ゆっくりと頭を上げていく。
「なぁ、あんた。具合が悪いなら病院に…」
ずっと視界を閉ざしていた所為で、図書館の中に差し込む日差しさえ眩しく感じた。
その中で、やや心配そうな表情で自分を見つめる金の双眸。
互いの眼が、これ以上ないほどに見開かれた。
「エド…ワード……?」
「嘘だろ………まさか、本当に………コウ…なのか…?」
コウにとっては、ついこの間まで顔を合わせていたはずの二人。
けれど、懐かしいと感じてしまった―――その理由を、彼女は未だ理解できずにいる。
07.02.20