Destiny  - 59 -

懐かしい夢を見た。

新しく生まれた血の繋がらない妹が自分を起こしに来る。
お姉ちゃん、と可愛らしい声で名前を呼ばれて、眠いけれど必死に頭を働かせたのを覚えている。
普段の寝起きの悪さといったら、何度もぶつけた自室の壁に跡を残しているくらいだ。
そんな自分が、唯一自力で起きられるのはこの妹に起こされる時だけ。
それを分かっているから、両親と呼べる彼らはいつも彼女を部屋に寄越した。
小さな手に引かれてリビングへと降りれば、温かい空気とふんわりと鼻をくすぐる美味しそうな香り。
今日もお寝坊さんね、と彼女、偶の休みくらいゆっくりしたいよな、と言う笑いを含ませる彼。
早く食べようよ、と自分の半分ほどもない身長から見上げられ、そっと頬を綻ばせた。

当たり前のようで、何よりも温かい空間がそこにあった。













ピチョン、と頬に何か冷たいものが落ちた。
それが、自分を夢の世界から引きずり出してくれた原因である事は確かだ。
重い瞼を必死で持ち上げるが、見えるのは闇。
いや、正確に言えば、そうではない。
ただ、目が慣れないほどに暗い空間だった、と言うだけだ。
硬い地面へと横たわらせている身体を起こし、彼女は周囲を見回す。
暗闇に慣れない目では詳細までをはっきりと捉える事は出来ない。
だが、ここがどこかの建物の内部であるという事はわかった。
湿った空気は、ここ暫くはそれを入れ替えるような措置が取られていないものと思われる。

「私…何でこんな所に…?」

首を傾げそうになったところで、遠くから聞こえてくる足音に口を噤む。
数は二つ。
自然と強張る身体は、無意識に足のホルダーへと手を伸ばしていた。

















ドドドド、と形容できそうなほどに騒がしい足音。
少なくとも地上ではないという印象を受けるこの通路には、窓の一つも存在しない。
それだけでなく、土管をその円を半円にする様に切っただけ、と言う印象を与える通路には曲がり角すらない。
ただ、点々と灯っている白い白熱灯だけが頼りだ。
そんな中を、二人は走っていた。
猪の如く、ただ只管真っ直ぐに。

「アレ何なんさ!?」
「俺が知るか!!」
「この通路が行き止まりになったら、俺ら食われるぜ!?」

白熱灯の明かり以外には光を取り込めるものがない。
それ故に、二人が進む先は電灯の明かりの届かない所は闇だ。
まるで、ぽっかりと口を開いている闇に向かって走っているかのような錯覚。
それに竦んでしまえば、前に進む事を恐れた足がその動きを止めてしまいそうだ。
だから、あえて考えない―――それが暗黙の了解だった。
一度足を止めてしまえば、後ろから走ってきているアレが己に襲い掛かるのは間違いない。
暗い中でもその存在ははっきりと見える鋭い牙に、彼らは頭の片隅でアズの存在を思い出していた。

「アレ見てると、アズの牙ってまだ可愛いさ」
「……………」

沈黙は肯定。
恐らく数で言えばラビよりも遥かにあの牙の餌食になっているであろう神田は、何も言わない。
しかし、考えとしては彼と同じなのだろう。
アズのスラリと並んだ牙に、今自分達を追ってきているアレのように常識を逸脱した馬鹿でかさはない。
走りながら首だけを振り向かせたラビは、目に飛び込んできた己の腕ほどの牙にやや青褪めた様子で首を戻す。

「俺、アレに掴まって逃げる自信ないかも」
「うだうだ言ってないで走れ!」
「走ってるって!超全力疾走中!」
「大体、何がどうなってんだ!?」

ラビに対して怒鳴り返すようにして、神田がそう言った。
それにはラビの方も頷く。

「あのノアに何かやられて、闇に飲み込まれたと思ったらこの通路に居て…」
「色々と探ってたらアレ、だもんな」

アレの寝床を荒らしてしまったのかもしれないが、自分達に非はない。
気がつけばこの場所にいたのだから、荒らすも何も不可抗力の一言だ。
そして、数十分に亘る彼らの全力疾走は、体力の限界と言うあっけない幕引きを迎える。
徐々に速度が落ちてきて、膝がガクガクと笑い出す。
止まって応戦すべきか、と二人の意見が一致した所で、天は彼らに味方する―――事はなかった。

「うっそ!!行き止まり!?」

驚くべきスピードで向かってくる前方には、壁。
それを視界に捉えるなり、彼らは顔を見合わせた。

「アレに勝てる自信あり?」
「お前はどうなんだよ?」
「自信はねぇさ。まぁ…やれるだけやるしかねぇけど」

そう言いながらも、今までの戦歴からか、二人の手にはすでに自身の得物がある。
壁にぶつからないように速度を落とし、やがて手が冷たいそれに触れた。
弾む呼吸をそのままに彼らはそれに背中を預けるようにして振り向き、そして構える。
まだ少し遠いけれど、確実に近づいてきているそれは、この距離で見ても大きい。
すぐ前まで迫ってくれば、その巨体は彼らの身長の三倍ほどだ。
自分達が見てきたアクマとは似ても似つかないその姿。
それは、例えるならば獅子やら鳥やらを全て足して、凶悪な部分だけを選んだようなもの。
顔のパーツの基本は獅子で、口元から見え隠れする牙といえば竦みあがらせるには十分な代物だ。
何が入っているのかは知らないが、瞳孔は縦に裂けていて、それがまた恐ろしい。
地面が揺れそうな巨体が近づいてきて、彼らは息を呑んだ。

「アクマ…じゃねぇよな」
「違うだろ」
「ってか、俺達の世界に存在していい生き物じゃねぇよ」

いくらアクマとの戦闘経験を積もうとも、それはアクマでなければ有効ではない。
目の前に迫るそれは明らかにアクマとは異なっていた。
状況を理解する前にそれとの戦闘の迫っている今、あれやこれやと考えている余裕はない。
とりあえず、今はアレを何とかする事だけを、そう考えが一致した。
鷲のような鍵爪が振り上げられた所で、二人は同時に床を蹴る。

「一気に片付けるさ!火ば――――」

槌の面に『火』と言う文字を浮かび上がらせたまま、ラビは高々と跳んだ。
そこから重力を味方につけてそれを振り下ろそうとした彼に襲い掛かったのは、その背後から迫っていた太い尾。
まるで蛇のようなそれは、分厚いゴムで殴られたような衝撃を与えた後彼の身体を吹き飛ばす。

「ラ―――っ!?」

彼の名を呼んだところで、神田にも同様のそれが襲ってきた。
それを間一髪の所で逃れるも、同じそれが彼の背後から迫っていて、結果としてはラビと同じ所に吹き飛ぶ。
二股の尾は、それ自体が意思を持つかのように自由に動いている。
初めのラビは壁に、そして次の神田はそのラビにぶつかるようにして壁にぶち当たった。
二度の衝撃は、やや脆くなったそれを破壊するには十分な力だったらしい。
ビシッと亀裂が入り、そして彼らの身体を巻き込んで崩れる。
身体のあちらこちらが軋む中、二人は振ってくる瓦礫を逃れるように移動した。
あの通路は、先ほど行き止まりだと思った位置で、壁一枚を隔ててこのだだっ広い空間へと繋がっていたらしい。

「っは…何だよ、あの予想外の馬鹿力…!」
「…悪かったな」
「あぁ、ダイジョブだって。それより、アレ―――」
「キメラ…」

不意に、二人の背後からそんな声がした。
覚えのありすぎる声に振り向いた彼らの視界に映ったのは、その想像を裏切らない人物。

「コウ!!」
「無事だったんさ!?」

振り向こうとした所で背中が悲鳴を上げて、二人は眉を寄せて呻く。
そんな彼らを一瞥し、コウは彼らの脇を通って歩いていく。

「コウ!危ねぇよ!!」
「下がっていてください。一般人にアレの相手は荷が重い」

そう言うと、彼女は止める声すら聞こえないかのようにそのまま進み出る。
それ…合成獣の標的が、二人から彼女へと移った。

「獅子に鷲に蛇…まるでキマイラね」

空想上の生き物の名を挙げ、彼女はそっと自身の手を合わせる。
そして、咆哮を上げたそれが自身へ向かって走り出したところで、その手を床に付いた。
まるで生物のように蠢いたコンクリートのそれが、合成獣の四肢を絡め取る。
それが動きを止めざるを得ない状況になったところで、彼女はそれに向かって走り出しながら両手を合わせた。
動く首だけを使って食らい付こうとしてきたそれを難なく逃れ、その背に飛び乗る。
そして、両手をその背に触れさせた。

「ごめんなさい」

その声は誰に届く事もなく、掻き消される。
彼女の手が触れた部分から錬成反応が全身へと走り、バシュッと弾け飛んだ。
それの身体から噴出した赤が彼女を濡らす。
流れるようなその一連の動きを、ラビと神田は口を挟む暇すらなくただ呆然と眺めていた。

07.02.03