Destiny - 54 -
夜の終わりは、いつ見ても綺麗だと思える。
況してや、今までずっと…失ったかもしれないと思っていた存在が隣にあれば、なおさら。
しかし、現状はそれを楽しめるものではない。
傍らに立つ二人と視線を合わせないように目を落とし、ぎゅっとコートを握る。
神田とは、彼が行動を共にしていた二名よりも早く合流できていた。
彼らは夜明けまでにマリのゴーレムを辿り、彼のところに集合する約束を交わしている。
コウと神田が彼の元を訪れたのは、二人が合流してから小一時間ほど経過してからだった。
あの後、彼のゴーレムを辿っている最中にもアクマに邪魔され、不必要に時間を消費してしまったのだ。
アズが居なかった間、コウはずっと銃とダガーでアクマとの戦闘を切り抜けてきた。
今夜、久しぶりに彼と共にアクマと対峙したわけだが…やはり、誰よりも動き易い。
それを肌で感じた時、彼女の口元は嬉しそうに弧を描いていた。
実感が胸を占める。
しかし、そんな時間は長くは続かなかった。
神田との会話の中で浮かんだ不安が蘇ったのは、マリと合流してから。
ポツリポツリと、数分おきに2、3言話しては沈黙。
そんな風に数時間を過ごせば、彼女達を見下ろしていた月が随分と角度を変えていた。
逃げる夜を追うように、陽が迫っているのを感じる。
「…アズ…夜が、明けるね」
発動したアズは、その身を漆黒に塗り替えてコウを背に乗せていた。
バサリ、バサリと羽ばたきながらも、あまり上下に動かないように気を配ってくれているのが分かる。
そんな彼の頭を撫で、コウはポツリと呟いた。
間もなく夜が明ける。
それは、最後のエクソシスト…デイシャを待つ時間の終わりを示していた。
アズはコウに負荷が掛からぬよう、ゆっくりと彼らの元へと降り立った。
体重を感じさせないほどに軽やかに地面に足をつけると、彼女が降り易いようにと身を伏せる。
トンと彼女がブーツを鳴らし、立った。
発動をやめたアズの身体が純白へと変化し、同様に大きさも縮む。
とは言っても、もうコウの肩に乗れるほどではなかった。
長さは襟巻きにすると考えれば、優に2回は巻けるだろう。
「アズ」
『?』
神田に名前を呼ばれることは、そう多いことではない。
アズは首を傾げながら、そのラピスラズリをはめ込んだような目を彼へと向ける。
クリクリとした、屈託の無いそれが彼の真剣な表情を映した。
「デイシャの匂いを辿れないか?」
『…デイシャ、誰?』
「………あぁ、そうか…匂いを追うのは無理だね。アズはデイシャに会った事がないよ」
会わせた覚えのないコウが納得したように頷いた。
彼女自身も、デイシャと顔を合わせたのは一度きりだ。
しかも…入団したての頃に食堂で。
あの時は、採血をしたいからとアズはコムイに預けられていたのだ。
「危険だと思えば容赦なく噛み付いてよし」と言う彼女の言いつけを守り、コムイの手に歯形を残して帰ってきた。
因みに、後から聞けばよく分からない薬品を彼に打とうとしたらしい。
自業自得だ、と言う言葉と共に、彼女もコムイを殴っておいた。
彼に手を出すのは、後にも先にもあれっきりだろう―――たぶん。
困ったように、指示を仰ぐべく彼女を見上げるアズ。
そんな彼の眼差しに苦笑し、コウは神田の方を向いた。
「デイシャの持ち物は?何でも構わないけど…」
「そんな物はないな。持ってるか?」
神田の問いかけにマリはゆっくりと首を振った。
普通は、持っていないだろう。
かもしれない、と言う可能性にかけたのだが、やはり駄目だったようだ。
彼女が溜め息と共に肩を落とそうとした、まさにその時。
――パタパタ――
羽音が聞こえた。
「…デイシャのゴーレムだ…………」
チラリと音源を横目で捉えたマリが、そう告げる。
足音は無く、ゴーレムの羽音だけが寂しく響く。
その意味するところを、口に出したいとは思わなかった。
「アズ、匂いを追える?」
ゴーレムは常にエクソシストと共にある。
匂いが移っていてもおかしくはないだろう。
コウの言葉を理解し、アズは羽ばたくゴーレムの元まで飛んだ。
そして、鼻を近づけて何度かクンクンと匂いを嗅ぐ。
『大丈夫。匂い、ある』
「案内できる?」
コウが問いかければ、彼は空を仰ぐように鼻を持ち上げた後『こっち』と飛んだ。
確認する必要など、無いのかもしれない。
だが、もしかしたらと言う淡い期待が彼女らを動かすのだ。
もしかしたら、怪我で動けないのかもしれない。
もしかしたら、今漸くアクマを片付けたところなのかもしれない。
自分に都合の良いようにと運ぼうとする思考とは裏腹に、心は酷く冷めていた。
どこかで、すでに諦めている。
コツコツと三人分の足音が耳に届く。
後ろを振り向いて姿を確認したわけではないが、その音は二人が自分に続いている事を教えていた。
やがて、少し開けた場所へと進む。
そこで先を進んでいたアズがコウを待っていた。
彼女がアズに近づけば、どこか甘えるように、励ますように…アズは彼女に寄り添う。
「デイシャ…」
見上げるのは、何の変哲も無い街灯だ。
そう、何の変哲も無い―――それに鎖で絡まっているデイシャの姿がなければ。
身体は地面に垂直に、腕は水平になるよう、彼の身体には鎖が通されている。
まるで彼の肉体で逆十時を描いているようだ。
言葉も無く立ち尽くすコウの耳に「ガッ」と言う鈍い音が聞こえた。
ゆっくりと振り向けば、足元に視線を落とす神田とマリの姿が視界に入る。
神田の足元の地面が一部崩れている事から、先ほどの音は彼が起こした物なのだと悟った。
「本部に連絡を…」
「私がしよう」
コウの言葉にマリが頷き、背中を向けてどこかへと去る。
恐らく、少し距離を置いたところで連絡するつもりなのだろう。
『大丈夫?コウ、神田』
「うん、平気。…慣れてるから」
そう答えて、彼女は薄く微笑んだ。
その笑みは悲しげだったけれど、涙が流れる事はない。
それほど親しい間柄ではなかったからだろうか。
それとも、血肉滴るようなグロテスクな亡骸ではないからか。
覚悟が出来ていたからか。
どの道、とどこか乾いた心に、コウは自身の心中を悟って自嘲の笑みを零した。
――随分と、人の『死』になれてしまった。
「…ノアの仕業か?」
今まで沈黙していた神田がそう呟いた。
それは、コウに答えを求めているように感じる。
「…恐らく。彼のイノセンスが見当たらない」
こんな不自然な亡骸を前に、その辺に居るかもしれない殺人鬼を思い浮かべるほど馬鹿ではない。
コウの言葉に気付いたのか、彼もキョロキョロと辺りを見回した。
しかし、彼のイノセンスを発見する事は出来ない。
そうしている間に、連絡してくると言って離れていたマリが戻ってきた。
「ここにファインダーが派遣された。デイシャは本部まで送られる」
「そうか」
「それから…コウ」
「ん?」
「本部が連絡を待つと言っていた。恐らく、行方不明の件だろう」
マリの言葉にコウは今更ながら自分が何も言わずにラビ達の元を離れた事を思い出す。
あの時は、兎に角アズの情報を得る事しか頭に無く…残された彼らのことまで考えていられなかった。
あれから連絡も取れていないのだから、心配しているだろう。
「わかった。すぐに連絡するよ」
そう答えると、コウは襟元からゴーレムを取り出しつつ歩き出す。
追従するアズを眺めていた神田だが、やがて息を吐き出しつつレンガの壁に背中を預けた。
06.12.10