Destiny - 52 -
バシュンと目の前から一瞬のうちに光が消える。
先ほどまで眩いほどのそれを放っていたはずの宝玉も、それと同時に跡形もなく消え去った。
それを包み込んでいた手は不自然な空間を作り、虚空を握っている。
「アズ…?」
不安が一気に押し寄せてくる。
自分を保つ為に、大切に…ひと時も肌から離す事無く持ち続けていたそれが、消えた。
まさに、一瞬。
瞬きの暇すらなく、それを引き止めるために動く暇すらなく。
忽然と消えてしまったと言う事実だけが、そこに残っている。
「―――――っ」
吊るす物を失った鎖が、コウの首元からスルリと抜け落ちて地面にとぐろを巻く。
それを追うように彼女の身体は折れ、冷たいアスファルトに膝を着いた。
今まであったものを抱きしめるように腕を動かし、声なき声を上げる。
開いた唇は、声と言う音を発してはくれなかった。
夜が明けるのを待たず、神田はコウを辿っていた。
幸いと言うか何と言うか、彼女は先ほどから一歩たりともその場から動いては居ない。
すでにノアと接触した…ということも考えられたが、それならば移動しないと言うのはおかしい。
だが、万が一の考えが脳裏を過ぎり、彼は速度を速めた。
カウントダウンでもするかのように、彼のゴーレムが「目標まで1キロ」と声を上げる。
よし、もう一息。
心の中でそんな事を考えたのとほぼ時を同じくして、彼の視界に白い影が下から入り込んだ。
「っ!!」
咄嗟に身体を捻る事で、それとの接触は回避する。
同時に六幻を片手に構えてそれに向き直るその速さといえば、場慣れしている以外の何物でもない。
「アクマか!?」
アクマならば、問いかけるのは馬鹿らしい行動だ。
しかし、何故かすぐさま斬りかかる事が出来なかった。
3メートルほどの距離を開けて対峙するその白い何か。
肩の辺りから左右に伸ばした翼が、位置を保つように上下に揺れ動く。
今までの奇怪な形のアクマとは一転して、どちらかと言えば何か動物を連想させるような形だった。
大きさは、神田の1.5倍ほどだろうか。
襲い来るでもなく、警戒するでもなく―――それの青い目に映るのは、興味が近い。
『――――…』
「?」
エコーが掛かったような音が聞こえた気がした。
初めはアクマのノイズかとも思ったが、それらしい気配は無い。
『―――…ウ………ュウ…』
ユウ。
途切れながら紡がれた単語は、彼にはそう聞こえた。
それの示すところは、自分の名前なのか、それとも別の何か意味を持つものなのか。
今のところどちらと判断する事はできそうにはない。
しかし、何故か自分の中から警戒心が薄れていくのを感じ、慌てて気を引き締めた。
彼の刀を向けられながら、それは首を傾げるように動かし、そして彼をじっと見つめる。
その純粋な眼に、神田の脳裏に過去の映像が浮かんだ。
「………………………アズ…か?」
その名を呼ぶと同時に、ラピスラズリをはめ込んだようなその眼が嬉しそうに輝いた。
そして、スイッと彼の方へと近寄ってくると、そのコートに鼻面を摺り寄せる。
『ユウ、ユウ』
「…お前、話せたのか…。っつーか、死んだんじゃなかったのかよ」
『ユウ、久しぶり?』
「…ラビのデマか…?いや、それより…話せるのか?」
『コウ、どこ?』
会話が成り立たない。
ただでさえ単語で話す彼…アズの声は、聞き取るのが難しい。
それに加えて、こちらの言い分を聞かないときたものだ。
神田は今しも怒鳴りそうになる自分を、彼の口元から覗く牙を見る事で何とか抑え込む。
正直、あの綺麗に並んだ鋭い牙に身体を貫かれて無事で済む自信は無い。
いくらかなりの再生力を持つ自分とは言え、痛覚はあるのだ。
無駄な痛みは遠慮したいと言うのが本音のところ。
「アズ。今からコウと合流する。だから―――」
『見つけた!』
自分の声を遮るように、ピンと耳を立てて素晴らしいスピードで飛んでゆくアズ。
すでに卵大まで小さくなった彼に、遅れを取った神田はピクリとこめかみを引きつらせる。
「…最後まで聞けよ!」
届かないと分かっていても、怒鳴らずには居られなかった。
だが、いつまでもそうしているような神田ではない。
見えなくなりそうなその背中を追って、彼は屋根を蹴った。
聞こえたのは、バサッと言う翼の音。
あぁ、幻聴まで聞こえてくるほどに渇望していたのだろうかと、自嘲めいた笑みを浮かべる。
いつまでもこうして地面にしゃがみ込んでいても仕方がない。
コウは、ぐるぐると脳内で色々な感情をめぐらせながらも、どこか吹っ切れたように身体を起こした。
そして、目の前に飛び込んできた白を思わず掴む。
「羽…」
真っ白なそれは、幾度となく目にしたもの。
掌に乗ったそれに向けていた視線を、そっと上に持ち上げる。
また、さっきの幻聴が聞こえたような気がした。
「ア…ズ…?」
闇夜の中、満天の星空を背景に浮かぶ白いそれが視界を覆い尽くす。
自分よりもいくらか高い位置から見下ろす青く優しい眼。
姿かたちに違いはあれど、そこには確かに覚えのある眼差しがあった。
そっと伸ばした手が不安に震えるのを感じる。
もし、これが夢だったなら…そう考えてしまう。
だが、差し出した手に触れたその感触は、どうあってもそれが偽りの物ではない事を示していた。
「――――っ」
こみ上げる感情を表す言葉は無い。
ただ縋るように、その白く美しい毛並みに抱きついた。
少し前までは抱きしめると言う表現が正しかったのに―――頭の片隅でそんな事を考える。
『ただいま。コウ、ただいま』
聞こえてきた声に目を見開き、でもそれを問いただす事はなく。
コウはそっと眼を伏せ、月明かりを反射させるその毛並みに顔を埋めた。
「…おかえり」
漸く、前方に白いアズの姿を捉える。
息を切らせて走ってきたと言うのに、結局彼が止まるまで追いつくことは出来なかった。
最後とばかりにダンと強く足場を蹴り、その場に降り立つ。
身体が重力に合わせて落下を始め、足が着くまでの間にアズと、その毛並みを抱きしめるコウの姿を捉える。
「コウ!」
無事だったか、と安堵が彼の脳裏に過ぎる。
まさか二度もノアに捕まるようなヘマはしないと思っていたが、やはりその姿を直接見るのとでは安心感が違う。
声に反応して顔を上げた彼女は、今はっきりと彼の姿を捉えた。
「ユウ!無事だったんだ」
「それはこっちのセリフだ」
「あ…そうだね。急に通信を切って…心配した?」
少し笑顔を浮かべて問いかける彼女に、ラビのように当然だろと返せないのが彼だ。
代わりに、ふんっと顔を背ける事でそれの返事をする。
そんな反応があまりにも彼らしくて、コウは声を出して笑った。
こんな時だと言うのに、久しぶりに心から笑ったような気がする。
ひと時の夢であったとしても、それを後悔しないように―――コウは、もう一度強くアズを抱きしめた。
06.11.16