Destiny - 50 -
目の前に積まれているのは、ロードの宿題の数々。
その向こうに見える三人を視界に納めないように、コウは精一杯顔を背けていた。
身体ごとではないのは、彼女の身体が豪華な装飾の椅子に束縛されているからだ。
少し手を動かせばガチャリと鳴る手錠の存在が憎い。
椅子の背もたれの後ろに両腕を回すようにして、そこに手錠が嵌っている。
あえて誰の趣味なのかは考えないことにしよう。
顔を背けたところで、身体が動かせないならば視界の端に映ってしまうのは当然の事だ。
ロードの宿題を手伝いつつ、千年伯爵はティキにトランプカードを提示する。
「そんな事を敵の前で言うなんてね…私が邪魔しないとでも?」
いい加減この姿勢で口を閉ざしているのに飽きたのか、コウは珍しくも挑発的な言葉を吐いた。
口角を持ち上げると言うオプションも忘れない。
三人の視線を受けて尚、コウはそれを崩す事無く睨み返す。
彼女の切れるような鋭い眼光の先にいるのは、敵の親玉とも呼べる彼だ。
その独特の笑みを一瞬たりとも消す事無く、彼はシルクハットが落ちない程度に首を傾げた。
「では、取引をしましょうカ」
「…取引…?」
「我々の邪魔をしなければ、あなたの可愛いヴァリーヴドラゴンを元に戻す方法を教えてあげますヨ」
「…っ」
千年伯爵の楽しげな声に、コウは思わず息を呑んだ。
しかし、一度目を閉じるとその同様を裏に隠して彼を見返す。
「私はエクソシストよ。そんな取引には応じないわ」
「…おかしいですネ?あなたは元の世界に戻りたくないんですカ?」
「元の世界………何故…」
「元々そのドラゴンは世界を渡る生き物。特殊な能力を秘めたその子なら、異世界との境界すらも越えル」
ガチャンと手錠が激しく椅子の背にぶつかった。
拘束されている事すら忘れ、コウは彼に掴みかかろうとしたのだ。
外れる事は無いと頭の片隅で理解しながらも、彼女は腕を動かす事をやめない。
「何故それを知っているの!?まさか、私をこの世界に送り込んだのは…」
「私じゃありませんヨ。あなたがこちらに来たのは、偶然の悪戯でス」
事も無げにサラリとそう答える彼の表情に変化はない。
これも一種のポーカーフェイスと呼べるだろう。
ギリッと噛み締めた唇の端から赤いそれが一筋流れ落ちる。
眉を寄せたのは、口内に広がる鉄の味だけの所為ではないはずだ。
「錬金術を使おうとしても無駄だよぉ?コウに関しては色々と調べてあるからね」
コウは両手同士が手錠で繋がれている訳ではない。
それぞれが、椅子の足と繋がれているのだ。
彼女は両手を合わせることが出来ない―――つまり、錬金術が使えない。
辛うじて爪の先ならば掠ることもあると言う程度の、明らかに仕組まれた距離。
届かないと知りながらも手を動かす彼女を、ロードは楽しげに見つめていた。
「諦め悪いよね、コウってさぁ」
「…錬金術師の中で諦めのいい人間なんて、私は知らないわ」
皆、それぞれに形あるもの、もしくはないものを作り出そうと、自分の限界まで突き進む。
コウが知ってるのは、そう言う人間ばかりだ。
一年も前の事だが今でも鮮明に思い出せる彼らに、まだ自分はあの世界から離れられていないのだと悟る。
とうの昔に忘れて、過去の事に出来ていると思っていた。
だが、それは自分の中でフィルターを作り出していたに過ぎない。
「いいねぇ、人間の悪足掻き。馬鹿みたいで見てて面白いよぉ?」
「―――悪足掻きかどうかは…」
バシンと錬成反応がコウの手元を中心に起こる。
見慣れぬ光に、ロードだけでなくティキも目を見開いた。
だが、伯爵だけは以前感情をつかませない表情だ。
「結果を見てから言う事ね」
カシャンと手錠がコウの手元から落ちると同時に、彼女は椅子から立ち上がる。
そして、その足で部屋唯一の扉へと駆け出した。
錬金術を使う間も惜しく、ブーツの足でそれを蹴り開く。
回し蹴りの要領で足技を食らったそれは、不気味に形を歪ませて廊下へと吹き飛んだ。
「わぉ、豪快~」
彼女が走り去った後、ロードはぽっかりと口を開いたままの入り口の方を見てそう笑った。
そして、軽やかに椅子から立ち上がるとコウを拘束していたそれの元まで歩く。
彼女が腰掛けていた椅子の足に、赤く掠れた錬成陣を見た。
「血の錬成陣…。指先を傷つけて書いたんだな」
銀色に光る手錠にも同様の赤が付着していて、かなりの傷だという事が窺える。
指先と言う神経の集中している部分をそれだけ傷つけられる彼女に、感心したように溜め息を吐いた。
「逃げてしまいましたネ。どうしましょうカ」
「…仕事ついでに捕まえりゃいいんスね」
今後の処置を問うような言葉ではあったが、明らかに「捕まえて来い」と言う意思が見えている。
ティキがそれに気付かないはずも無く、彼は溜め息と共に頷いた。
そして、先程伯爵から渡されたカード二枚を指に挟み、そそくさとその部屋から立ち去ろうとする。
「ティッキィー。手伝ってくれてありがとぉ」
ロードが彼を呼び止めてそう言えば、苦笑に似た笑みを浮かべつつこう返した。
「……………家族だからな」
部屋に残った千年伯爵とロードそして伯爵の傘であるレロ。
ロードは羽ペンを動かして白紙を文字で埋めつつ、そう言えば、と口角を持ち上げた。
「人が悪いなぁ、千年公も。何が偶然の悪戯なのぉ?こっちに来るように仕向けたじゃん。
―――向こうの連中と取引してさぁ」
彼女の言葉に、伯爵の笑みが明らかに深まった。
「大体、あのまま取引続けてれば楽だったんじゃないのぉ?アクマが量産出来て」
「まぁ、パイプがなくなったのは惜しい事をしましたけれド…アレが戻ればいつでも出来ますからネ」
「そろそろ時期も丁度いいしねぇ。きっかけさえあれば、多分いつでも復活するんじゃないのぉ?」
「そうですネ。あの本を解読したなら…ヴァリーヴドラゴンが戻る日も近イ。その為にも彼には頑張ってもらいましょウ」
後半部分は、今はここには居ない人物に向けられた物だ。
「…っは…」
全力で走り続けたコウは、弾む呼吸を整えるのに時間を要した。
見覚えの無い町並みはまだ静まっていて、人が活動すべき時間ではない事を教えている。
彼女は胸を大きく上下させながら、コートの襟元から黒いゴーレムを取り出した。
その際、布と擦れた指先がズキンと鈍痛を伝える。
親指の爪を使って傷つけた人差し指の腹。
第二関節の辺りまでぱっくりと開いたそれは、少し指先を動かしただけでも痛みを訴えてくる。
そこから流れ出た赤が、その白い指先で乾燥していた。
傷口ではない部分のそれをパラパラと指先でこそぎ落とし、傍らを飛ぶゴーレムの動きに注意しながらも視線を落とす。
あそこから逃げ出すには、両手を同時に自由にする必要があった。
動かせばズキンと痛む右手と左手を、ゆっくりと合わせる。
出来上がった円を力が循環し、そして―――
「…とりあえず、これで大丈夫ね」
ぺろりと人差し指を舐め、そこにあった赤のヴェールを取り除く。
その下にはいつもと変わらぬ指先があった。
傷口が完全に塞がっている事を確認するように何度か親指で撫でながら、コウはゴーレムを見上げる。
「ラビに繋いで。リナリーでも構わない」
語りかけるようにそう言って、トンとレンガの壁に背中を預けた。
コウが身を潜めたのは、町並みの大通りから少し奥に入った辺り。
知らない土地でこれ以上足を踏み込むのは危険と判断した結果だ。
暫し沈黙していたゴーレムがパタパタとコウの肩に舞い降りた。
「…繋がらない…?この辺の地形が悪いのかな…?じゃあ、誰でもいいから…一番近いエクソシストに」
そう言ってゴーレムの頭と呼べるであろう部分を撫でる。
空を仰いで沈黙していたゴーレムは、やがて雑音の後彼女の求める『一番近いエクソシスト』に繋いだ。
『――――…誰だ?』
06.11.03