Destiny - 48 -
面白い人間だ。
それがティキの率直な感想だった。
敵だと言う事を前面に出していたかと思えば、名前を名乗りあう。
そうかと思えば、猫のようにむき出しの警戒心を見せ付けてきた事もあった。
そして、今。
「…そこ、今度は2行前の後ろから3つ目の単語に掛け合わせて」
「……………」
「そこだって。わかんねぇの?」
「黙ってて」
ぴしゃりとそう言うと、コウは再び万年筆を白い紙の上に滑らせた。
流れるような筆記体が黒いインクの足跡を残していく。
暫し嫌そうに眉を寄せ、やがて先程『そこだ』と告げられた箇所の2行上に視線を移動させた。
その表情は、どうやら手を借りなければならない事に対する拒否の表れだったようだ。
「(何でこんな事に…。)」
誰に向けて舌打ちすればいいのかわからない。
それでも、自分はこうしてペン先を紙に滑らせてゴールにたどり着かなければならない。
敵であるはずの、ティキと向き合って。
二人は人気のない建物の一角で向かい合うように座っていた。
随分と廃れたそこは、以前は喫茶店だったようだ。
今となっては主と役目を失ったテーブルや椅子が直立したり倒れたりと様々。
そんな中でもまだマシと思える空間に、二人は居た。
自分達が敵対するものであると言う認識すら乏しいのではないかと思えるティキ。
一矢報いる事も出来ずに負けるとは思わないが、恐らくこちらも無事ではすまないのだろう。
そんな状況下で、暢気にトントンと指を鳴らす男に心中で悪態をついた。
顔には出さなかった代わりに、ペン先がガリッと紙を引っ掻いてインクを滲ませる。
あ、と思った時には今しがた書き上げた文章の一部分が闇に飲まれた。
――パズルピースがかっちりと嵌る。
「…解けた」
ポツリと呟くコウの声。
その声に、割れた窓ガラスから外の風景に視線を向けていたティキが反応した。
「おめでとうさん。答えは?」
「…。『この本の真価を求むる錬金術師よ。汝の世界の媒介を以って自身の知を示せ』」
解読してしまえば、たったの一文だった。
紋章と対になるページに書かれた十数行に亘る詩のような文章の指していたもの。
それは、この暗号を書いた者からの言葉だった。
「へぇー。そんな事が書いてあったんだ?」
「“へぇー”って…知ってたんでしょ?」
「いや。知ってんのは解き方だけ。更に言うと、さっき教えたヒント以降は忘れてんだよな」
「……………」
解けなかったらどうするつもりだったんだ、と目で訴える。
睨まれた彼は悪びれた様子もなく口元に笑みを浮かべた。
「ま、解けて何より。そんで?優秀な錬金術師殿はこれからどうするわけ?」
テーブルの上に転がっていたガラスの破片を手に取り、手袋に包まれた指がそれをピンと弾いた。
歪な形のそれはくるくると何度か回転した後、カランとその場に転がる。
「これであんたと一緒に居る理由はなくなったわ。お互い見てみぬ振りで構わないね?」
パタンと本の間に先程の紙を挟みこんで閉じると、彼女は椅子から立ち上がる。
シルクハットだけを脱いだ状態の彼は、この廃れた屋内には酷く不釣合いだ。
そして、その顔に浮かべられた笑みも場違いなもののように感じられてならない。
「逃がすと思ってる?」
「…そう言うあんたは、逃げないと思ってるの?」
一歩足を後ろに引けば、ガラスの破片でも踏んだのだろう。
足元でパキッと何かが割れる音がした。
忘れていた緊張が二人の周囲に張り詰める。
「思ってねぇよ。でも、まぁ…逃げるなら…」
そこで、彼の姿が掻き消える。
今度は目の端でその姿の移動を追っていた。
―――身体の反応は間に合わない。
「これは置いていって貰おうか」
背中から声がして、胸元の宝玉が白い手袋に包まれる。
その赤と白とのコントラストが何とも言えず美しかった。
だが、そんな事を考えている余裕など、彼女にはない。
「う、そ…」
コウは自分の胸元に、信じられない光景を目の当たりにした。
彼は今も尚赤いそれを手の中で遊ばせている。
その手は、背後から真っ直ぐに宝玉を握っていた。
彼女の胸元を貫くようにして。
「そう硬くなるなって」
その身長差から自然と頭の上から声を掛けられることになる。
僅かに屈んでいるのか、彼の声は耳のすぐ脇で聞こえた。
鼓膜を震わせるそれすらも何故か恐ろしくて、身体を震わせなかったのは奇跡だと思う。
「痛みはないだろ?」
彼の言葉通り、確かに痛みはない。
寧ろ彼の手の存在を感じられず、ただ宝玉が揺れるのにあわせて動くチェーンがその存在を教えている。
身体を何かが通り抜ける感覚など今までに体験した事はなく、コウは指一本すらも動かす事を忘れていた。
「これが、俺の能力。触れたいと思ったものだけに触れる」
言い終わると同時に、彼の手の中にあった赤がするりと白を通り抜けた。
ピンと張ったチェーンが首にその重みを伝えてくるのを感じた。
彼の言う事が本当ならば、今彼は「この宝玉に触れたい」と思うことをやめた、と言う事だろうか。
未だ自分の胸元を貫いたままの手が、まるで種も仕掛けもありませんとばかりに裏返ったりと遊んでいる。
「中々面白い能力だろ?」
「…離して」
「こうやってさ…」
コウの声など聞いていないのか、初めから聞く気がないのか。
恐らく後者と思われるような声色で、彼は手を少し下に動かした。
感覚はないが、気持ちが悪い。
両胸の谷間を貫いていたそれは下部へ移動しただけでなく、肘の辺りまで露出させた。
ひたりと、首に冷たい布の感触。
「掴むも掴まないも、俺の自由」
鳩尾辺りを通った手が首を掴んでいる。
普通ならば体験するはずのない事だ。
今彼が一瞬でも触れたいと思えば、この身体には風穴が開くのだろうか。
そんな事を考えてしまえば動く事など出来ない。
「ま、そう怖がるなよ。まだお前を殺すつもりはねぇから」
首が解放されると同時に、身体を通っていた腕が抜かれる。
完全に彼が離れたと認識して視線を下ろすが、コートにも穴など全く開いていない。
だが、何となく内臓がひんやりとしていたあの感覚だけは暫く忘れられそうになかった。
非現実的だと思いながらも、この世界に来てからと言うものそれを受け入れられるだけの体験を繰り返している。
絶対的な差を感じ取ったコウは、逸る鼓動に軽い眩暈を覚えた。
「今までの元気がすっかり萎えちまったな」
「…っるさい」
顔を覗き込もうとした彼を睨みつけ、動きたがらない身体に鞭を打って距離を取る。
コウの返事にティキは軽く肩を竦めた。
「…それが言えるなら十分、か」
さっきのこの男の動きを考えれば、自分との速さの差も歴然だ。
それなりに場数を踏んできたと思っていたが、とんだ思い上がりだったらしい。
自分自身に向けて舌を打ち、コウは自分の甘さを呪った。
コートの中で身じろぎする存在を意識しつつ、降参とばかりに溜め息を吐き出す。
「(…ラビ達と別行動するんじゃなかったな…。連絡は取れないし。)」
襟元から少しだけ顔を覗かせたゴーレムを、襟を正す振りをして中に促す。
後悔と言う物は後からやってくるものなのだと、この時になって痛感する。
「んじゃ、暫く一人旅に同行してもらいましょうか、お嬢さん」
恭しくシルクハットを胸に当てた彼から、コウは返事を返すこともなく視線を逸らした。
06.09.17