Destiny - 47 -
「あ、ちょっと待ってください」
歩き出そうとした背中を引き止める。
奇怪な姿で振り向くその人物こそ、黒の教団と対する千年伯爵だった。
「何ですカ?」
彼は独特の語尾で言葉を終わらせつつ、引きとめた人物に問いかける。
声を返されたのは、先程草臥れた容貌から一転、紳士のような服装に身を包んだ男。
名を、ティキ・ミックと言う。
「ほんのちょっとね。用事があるんスよ」
彼はニッと人の良い笑みを浮かべ、そう言った。
そして、次の瞬間には冷たくすら感じる笑みへとそれを摩り替える。
「大事な、用事がね」
足元に落としていた目線。
ふと、自分の進行方向に人の気配を感じ取ったコウは、ゆっくりと顔を上げた。
そして、向こうから歩いてくる人の姿をその目に映す。
見覚えはない。
だが、その人物の持つ雰囲気には覚えがあった。
「ここにいるって事は、聞こえたらしいな」
「おかげさまで。随分と化けるものね、どっちが本当のあなた?」
「さぁ?どっちも俺さ」
ニヒルな笑み、とでも言うのだろうか。
向けられたそれに対し、コウも不敵なそれを返す。
弱い部分を見せるわけにはいかない。
全身の細胞がそう訴えてきた。
これを、本能とでも言うのだろうか。
「初めまして?異世界の使徒サン」
彼はシルクハットを頭から外し、恭しく頭を垂れる。
手に持ったそれを胸元へと添えた彼に、コウは表情を変えずに口を開く。
「初めまして、ノアの一族さん」
「あれ?知ってるんだ」
意外、とでも言いたげな声を発する。
彼の反応には一々癇に障る部分があるコウだが、表情を変えない辺りは流石と言えるだろうか。
尤も、冷え切ってしまった笑顔から十分にそれを悟る事は出来る。
二人の間には、一瞬では踏み込めないギリギリの距離があった。
言葉を交わすには広く、無関係を装うには狭い程度の距離。
「それで、あなたは一体何を教えてくれるの?ノアについて?それともアクマ?もしくは――…千年伯爵?」
挑発めいた言葉を発すれば、ティキの顔が最後の部分で僅かに変化を見せる。
ごくごく小さな、注意していなければ絶対に見落としてしまうようなもの。
だが、それを見落とすようなコウではない。
「私が、ノアが千年伯爵と関係があると知らない筈はないでしょう?エクソシストを馬鹿にしてる?」
「まさか」
肩を竦める態度にコウの眉間に皺が一筋追加される。
彼女の変化が楽しいのか、それとも別の要因があるのか。
兎にも角にも、ティキは楽しげな表情を浮かべた。
「残念。そのどれも外れ」
「…馬鹿にしてるなら駅に帰るわ」
くるりと踵を返すコウ。
敵に背を向けるのは危険極まりない行為だが、攻撃されても反応できるだけの距離は見誤っていない。
歩き出そうとした彼女の背中に、彼は声を掛けた。
「汽車は1日2本。午前午後でそれぞれ1本ずつな」
一歩目を踏み出したコウの足は、それ以上進む事無くピタリと止まる。
因みに今の時刻は、確認するまでもなく午後だ。
高く昇り、若干傾いている太陽がそれを教えてくれている。
「あんたは何がしたいの…っ?」
怒りを噛み締めた所為で、語尾が若干強まってしまった。
怒鳴り散らさなかっただけマシだ、とコウは思う。
「俺が教えんのはそれ」
コウの口調が変わったからだろうか。
彼のそれにも、少しばかり変化が見られた。
畏まった口調から、あの汽車の中での彼のようなそれに。
ティキの指差した方向にあるのは、コウ。
「?」
「あー違う違う。あんた自身じゃなくて、こいつ」
背後で声がしたかと思えば、わき腹から差し込まれた手にピンとそれを弾かれる。
胸元で揺れたのは、赤い宝玉だ。
理解するや否や、コウの手はごく自然にダガーを抜き取っていた。
「警戒心強…。まるで猫だな」
コウは一瞬のうちに身体を反転させ、ティキの首元に冷たい刃を当てた。
彼は特に抵抗も見せず、まるで降参とばかりにその両手を肩ほどに持ち上げる。
先程までは冷たい貼り付けたものだとしても、笑みを浮かべる余裕があった。
だが、今の彼女にその余裕はない。
一瞬で背後を取られた自身に、内心舌を打ちつつ少しずつ距離を取る。
「これが…何だが知ってるの?」
「あぁ、当然。とりあえず、そのイノセンス下ろさない?」
「…下ろすと思う?」
じりじりと下がり続け、二人の間には漸く3メートルほどの距離が出来た。
コウの言葉に彼はやれやれと首を振る。
確かに、これだけ警戒しているのに武器を下ろすような馬鹿は居ないだろう。
「…じゃあ、とりあえずそのままでいいか。何が聞きたい?」
「………名前」
「あぁ、それの?ヴァリーヴドラゴンだろ。知らなかったのか?」
「知ってるわ。あんたの名前を聞いてんのよ」
予期せぬ言葉に、ティキは暫し彼女を見つめ「俺?」と問い返す。
若干苛立った様子でコウが頷いた。
「あー…ティキ。ティキ・ミック。どうぞよろしく…?」
語尾が不思議に持ち上がったのは、よろしくしてもいいのだろうかと言う一瞬の迷いからだろう。
本来、こうして名乗るのも何だか奇妙なものだ。
「コウ・スフィリア。じゃあ、早速だけど…聞かせてもらおうかな。知っていること、全部」
「全部はー……うん。無理」
「…じゃあ、話せる事全部」
埒が明かないと判断したのか、コウは潔くそう言った。
それならば何も問題ないだろう、とでも言いたげな視線が彼に向けられる。
「まず、確認な。錬金術は使えるんだろ?」
ピッと彼の人差し指が空を仰ぐ。
コウは声を発する事無く、首を上下に動かす事で返事をした。
「もう一つ。本…見つけただろ、異世界の」
二本目の指が立ち上がる。
Vサインをするような形で、彼はその手をコウの前に差し出した。
と言っても、二人の間の距離はそれが彼女に届くような短い距離ではない。
「…これ、でしょう?」
持ち上げたコウの手にあったもの。
それは、少しばかり草臥れた表紙を持つあの本だった。
06.09.02