Destiny  - 31 -

「――――!!」

誰かの怒鳴り声に、コウはふと瞼を持ち上げる。
昇ったばかりだった日が高い位置にあることを確認すると自身に苦笑を浮かべた。
結局あのまま眠りについてしまったのだなと。
再び隣の部屋から聞こえてきた声に誘われるようにベッドから降りる。
随分と身体の方も回復したらしく、ブックマンの言っていた『妙な身体』と言うのも頷けるなと思う。
脇に畳んであったコートを肩に羽織り、棚の上に置かれていた銀時計をズボンのポケットに押し込む。
カチャリと言う小さな音と共に部屋の扉を開けば、隣の部屋から細く伸びてきている明かりが見えた。
廊下が薄暗い所為か、それは意外にもはっきりと床に姿を浮かばせている。
細く開いた扉に、まるで吸い寄せられるかのように足を動かした。









「コウを置いていく!?何言ってんだよ!!」

ダンッと脇にあった机に拳を振り下ろし、ラビは言った。
その表情には怒りが滲み出ている。

「コウちゃんを危険な任務に連れて行くわけにはいかないよ」
「そんなの関係ないだろ!今までだってちゃんと任務をこなして来たんだ!」
「はっきり言おう。イノセンスを持たない彼女は足手まといだ」
「コムイ!!!」

今度こそラビは明らかな怒を露にした。
傷つき、失ったことに涙した彼女を『足手まとい』といった彼の言葉は許せる筈がない。

「いくらコムイでも今の言葉は許せねぇ!」
「ラビ」

ブックマンですらもはや彼を止めることを諦めたその時。
彼を止めたのは静かな声だった。
油切れの所為かキィ…と音を立てる扉を押し、コウは部屋の中へと入る。
驚いた様子で自分に集う視線を物ともせず、彼女は口を開いた。

「ありがとう」

ラビの隣まで歩いてコウはそういった。
その微笑みは全てを受け入れているように見える。

「コムイさん。話は大体わかりました」
「………すまない」
「いいえ。当然のことだと思います。けれども、ひとつだけよろしいですか?」

人差し指を立て、コウは彼の許しを請うように見つめる。
何を言い出すのかと言う表情を浮かべた後、コムイはゆっくりと頷いた。

「出発はいつですか?」
「リナリーが目覚めないことには…」
「わかりました。彼女が目覚めた時が刻限ですね」

コウの言葉に内心首を傾げる彼ら。
そんな彼らにコウはふっと笑みを浮かべた。

「時間をください。それだけです」

そう言うとコウは羽織ってきたコートを肩から脱ぐ。
そしてそれをコムイに差し出した。

「預けておきます」

それだけを言うとコウはくるりと踵を返して部屋を出て行った。
呆気に取られた様子でそれを見送ったラビだが、はっと我に返ると急いで彼女の後を追う。

「…強いな、あの娘は」
「………そうですね。下手な大人よりも世界を知っているように思えてきます」

コムイは自分の腕の中にあるコートを見つめた。
清々しいほどに潔い彼女に、この道しか選べないと思った自分の発言を悔やむ。












「コウッ!」

背中にかかった声にコウは振り向く。
彼女の黒鳶の髪が動きに合わせて揺れ、やがてその白いシャツの上に流れる。

「あ、ラビ。丁度良かったわ」

先程コムイの言った言葉を忘れているはずがないのに、コウは笑顔でそんな事を言う。
まさかエクソシストに未練がないのかという考えが過ぎるが、即座にそれを打ち消す。
彼女はコムイに「預ける」といってコートを渡したのだ。
返す、と言った訳ではないのだから戻る意思があるのは明らか。

「アズの所へ案内して」
「…アズ…の?」
「うん。ちゃんと、向き合わなきゃ」

悲しさの色が浮かんでいないわけではない。
けれども、彼女は確固たる意思を持ってそう言った。
ラビは少しだけ考えるように口を閉ざし、やがて静かに頷く。

「案内するけど…一つだけ」
「何?」
「………無理、すんなよ」

彼の言葉にコウは軽く目を見開き、しかし口元の笑みを戻して口を開く。

「了解」







廊下を進んだ先にあったのは、固く閉ざされた部屋。
どこか暗い影を背負うようなその部屋の前でラビは立ち止まった。

「先に入るか?」

気遣うようにコウを振り向き、彼は問いかける。
彼女は迷うことなく頷くと、そのドアノブに手を掛けた。
電気のついていない部屋は窓から差し込む陽の日差しのみの明るさ。
しかし、それでも決して暗いとは思わない。
部屋の中心、白いシーツの上に横たえられたその身体の脇には、まだ新しい花束が添えられていた。

「…ありがとう」

傍らまで歩み寄ったコウは、ドアの所で壁にもたれたラビに向けて言葉を発する。
彼は返事をしなかった。
そして、コウもそれを望んでいたのかそれ以上彼に意識を向けない。

「ごめんね」

そっとその毛並みを撫でれば、白いそれが彼女の指を易々と受け入れる。
それを数回繰り返した後、コウは胸の前でそっと両手を合わせた。
祈るような仕草にも見えたが、彼女の意図はそれではない。
すぐに離した両手を、今度は横たわるアズ下にあったシーツへと落とす。
バシンッという錬成反応の後、シーツから片方だけの手袋が出来上がった。
その甲の部分にはラビには理解できない模様が描かれている。

「危ないから、気をつけて」

ラビに向けてそう言うと、コウはその手袋を自分の利き腕である右にはめる。
その手をアズに向けて伸ばし、そして指を弾いた。
宙を火花が走り、やがてアズの身体は一瞬のうちに焔に巻かれる。
突然目の前に現れた火にラビは言葉を失った。




アズの身体が焔に包まれたのを見届けると、コウはもう一度両手を合わせ、今度は床に手を付く。
途端に床が形を変えてアズの身体を焔ごと包み込んだ。
丸いドーム型のそれが出来上がると、彼女はポケットから銀時計を取り出して秒針を見つめる。
1分ほど経ったのを見て、コウはその外側を錬金術で取り払った。

「い、今の何?」
「錬金術で焔を起こしたの。…私の上司が得意だったから、覚えてたわ。

火は酸素がなければ燃えることはないから、後で包み込んだのはそれを消す為」

そう答えると、コウは感情の読み取れない表情でそれを見下ろす。

『この種のドラゴンの骨って、加工すればそこらの金属よりも遥かに強いんだよぉ』

覚えておきたくない記憶だとしても、脳は自身の役目を確かに果たしていた。
そっと目を閉ざすコウだが、そこから涙が流れることはない。
泣くことで全てが解決すると言うならば彼女はそうしただろう。
しかし、それは所詮自慰行為にしか過ぎないことを彼女は理解していた。
彼女に悩んでいる時間はない。

「こんな中途半端に立ち止まるわけには行かないから…」

小さな呟きと共にコウは再び両の手を合わせた。

06.03.09