Destiny  - 29 -

シナリオ、という言葉は嫌いだ。
どんなに頑張ったとしても、その努力さえ認めてもらえないように思えてくるから。
手の上で転がされているだなんて、思いたくない。



「アズ…」

白銀の毛並みは薄汚れていて本来の美しさを気づかせないほど。
浅い呼吸を繰り返すアズを見下ろし、コウは自身の唇を噛み締めた。
口内に広がる血の味がそれを物語っている。

「錬金術で治しちゃいなよ。簡単なんでしょ?」

いつの間に近くに寄ってきていたのか、ロードは座り込むコウの前にしゃがみこむ。

「それが出来たら苦労しない…」
「あはは!イノセンスって未知のものだもんねぇ?流石の『異世界の使徒』も迂闊に手は出せないかぁ」
「…わかっていてやったの…?」

コウの低い声を聞き、ロードは口元を持ち上げながら「さぁね」と答える。
今まで見てきた彼女の性格や言動からして、おかしくはない。

「知ってる?この種のドラゴンの骨って、加工すればそこらの金属よりも遥かに強いんだよぉ」

何かを含ませた物言いに、コウはその時になってようやく視線を持ち上げた。
睨むように目を細めてロードを見る。
楽しげに笑う彼女の表情がより一層苛立ちを募らせた。

「毛だってかなり強いしねぇ」
「何が言いたいの」
「別にぃ?死んでも価値があるんだねって言っただ………っとぉ。危ないなぁ」

ロードの言葉を遮る様にしてコウがその腕を薙ぎ払う。
すでに彼女の手にはいつの間にか握られていた短剣があり、それがロードの服を横一文字に切り裂く。
しかし彼女は慌てた様子もなくそれを避け、結果被害はその服に残った一筋のみ。

「寄生型のイノセンスって、自分に影響が返って来るでしょ?」
「今度は何なのよ!?」
「その点装備型ならその心配がないんだけど…例外もあるんだよね」

ピッと人差し指を立て、ロードはそれを天井へと向ける。
眉を顰めるコウに構わず彼女はにやりと笑った。
その笑みに答えるように宙に浮いていた蝋燭が頭上へと集う。

「…イノセンス自身が適合者を愛しすぎた時。想いの強さが仇になっちゃうんだよ」

立てた人差し指をまっすぐに下へと振り下ろす。
浮いた蝋燭の底の部分が鋭く尖り、それは勢いをつけて下降した。
向かう先にあるのは…いや、居たのは自身で立ち上がることさえ出来ないアズ。
喉を突いたのは、声にならない叫びだった。













波間を漂うようだった思考が急速に覚めていくのを感じる。
まるで何かに誘導されるかのように、はっきりと確実に。
言い知れぬ焦燥感に胸を押しつぶされそうだと言うその感情だけが残り、その意識は完全に覚醒した。

「………」

ゆっくりと開いた視界はどこか懐かしいもののように感じる。
見慣れない白い天井を見つめ、コウは時の流れについていかない思考を動かした。

「…コウ?目が覚めた?」

知らない場所、知らない時間。
その中で唯一覚えのある声が耳へと届く。
理解するなり安堵に、力を抜いてしまう身体は正直だった。
鉛のように重くなった身体は動きそうになく、仕方なくその視線だけを彷徨わせる。

「動かない方がいいって。かなり怪我も酷いさ」
「………ラ、ビ…?」

自分が横たわっているらしいベッドの脇に置いた椅子に腰掛けていたのは彼だった。
確認する必要などなかったが、上がってしまった語尾に彼は苦笑を浮かべて頷く。

「身体は?痛い所はないか?」
「…動かない」
「だから怪我が酷いからだって。妙なことに殆ど治ってるけど…それでも怪我してたことに変わりはないだろ」

腕を持ち上げようとしたことに気づいたのか、ラビはそう言って彼女の行動を止める。
がたんっと椅子を動かす音を立てて、彼は立ち上がった。

「んじゃ、ちょっとジジイに連絡してくっから。大人しくしてろよ?」
「ブックマンも来てるの?」
「うん。ついでにコムイも来てるぜ」

そう答えると、それ以上コウが何も言わない事を確認して彼は部屋を出て行った。
その背を見送るでもなく、彼女はただ見慣れることのない天井を見つめる。


何故、ラビがここに居るのか。


それを理解するには頭の動きがあまりに悪い。
考えることを放棄し、休息を求めるかのような自身にそっと苦笑を浮かべる。
そして誘われるように目を閉ざした。
眠気が押し寄せるかと思ったが、意外にも冴えているらしい。
ただ暗闇に身を潜めるようにして考えることを諦めた。
時間の流れすらも感じ取れない瞼の奥で、無の世界に身を漂わせる。
足音が聞こえたのはそれから数分後のことだった。












「お久しぶりです、ブックマン」
「ああ。調子はどうだ?」
「身体が鉛のように思えること以外は特に問題ありませんね」

後、少し思考が遅いようですけれど、とコウは答える。
そうするとブックマンは先ほどラビが腰を下ろしていた椅子に座り、彼女を見た。
まだ薄っすらと傷跡の残る彼女の腕を持ち上げ、そこに指を滑らせる。
治りを確かめる行為を繰り返した後、彼は頷いた。

「確かに怪我の後遺症も残っていないようだな。白髪の小僧と言い、お前といい…つくづく妙な身体を持ったものだ」
「白髪…アレン・ウォーカーの事ですか?」
「そうだ。尤も、あちらの小僧はすでに動けるまで回復しているが…」

布団の上に広げた針をしまいながらブックマンは答える。
ベッドを挟んで彼の反対側に居たラビは口を閉ざしてそれを聞いていた。

「今はどう言う状況なんです?」
「…コウよ。今は身体が休息を求めておるのだ。何も考えず、時に身を任せておけ」
「そう言う訳には行きません」

強く言ってのけたコウに、ブックマンはペイントに包まれた目を軽く見開く。
彼女の言葉は予想通りだったのか、ラビは苦笑を浮かべて首を振った。

「コウ、話なら俺がしてやるよ」
「ラビ…」
「っつーわけで、暫く動けねぇから。コムイによろしくな」

そう言ってまるで追い出すかのように退出を促すラビ。
ブックマンもそれ以上止めるつもりはないらしく、溜め息と共に部屋を出て行った。

「……遠まわしに聞くのは嫌だから、先に聞いておくわ。…アズは?」

椅子を引いて腰を下ろすなり、ラビはコウに質問を投げかけられる。
すでに回復した思考で一番に考えたのはアズの行方。
目覚めてからすでに数時間が経過しているが、彼の姿を一度たりとも見ることは出来なかった。
それどころか、その存在を感じることすら出来ない。
初めての感覚にコウはシーツの中で手を握り締めた。
本当は、頭の片隅ではわかっている。

「……………アズ、は…」

躊躇うように言葉を詰まらせ、ラビは口を開く。
それだけでその答えを表しているように思えた。

06.03.04