Destiny - 26 -
長針、短針が共に空を仰ぐ。
それに導かれるように、奇怪がその顔を覗かせた。
部屋中だけでなく、街全体が長短の針を持つ時計に包まれる。
「コウ!!!」
隣の部屋からアレンの焦った声が聞こえてきた。
アズの様子を見るためにと部屋を移ったのが悪かったらしい。
「何が起こってるの?」
未だぐたりとしているアズを腕に抱き、コウは隣…例の置時計のある部屋へと駆け込んだ。
と同時に、グンと身体を引っ張られる。
「どこかに捕まってください!」
そんな声を聞き、コウはすぐに扉の枠に手をかける。
未だ身体を引く力を感じるが、耐えられないほどではなかった。
反対の枠へと手をかけているアレンと彼に支えられるリナリーが目に入る。
「どう言う事?」
「時計が逆戻りし始めたんです」
「…置時計がイノセンスか…」
街の到るところに現れた時計は、虫が群れを成して移動するように置時計に向かって吸い込まれていた。
「アズ、苦しいけど我慢してね」
腕の中で僅かにもがいたアズに、コウはその身体をもう一度強く抱きしめる。
弱りきった彼ではこの時計の流れに巻き込まれてしまうだろう。
置時計の長針、短針が何度も回る。
そして時計の群の流れが終わり、時計は朝の7時を指した。
同時に、部屋の中に電灯ではない明かりが差し込んでくる。
「朝ぁ~~!!?」
アレンの大声と共にベッドに横たわっていたミランダがむくりと起き上がる。
31回目の10月9日が始まった。
「さっきの「時間の巻き戻し」といい、これといい…
コウの言うように、この時計がイノセンスで間違いなさそうですね」
ミランダ以外は触れることの出来ない置時計を前に、アレンはそう言った。
アレン、リナリーそしてコウが試したが、誰もこの置時計に触れる事は出来ないのだ。
「問題はこの奇怪がどうすれば治まるかよねー…適合者が近くに居ればいいんだけど…」
そこまで言って、コウはふと口を噤む。
そして酷く真剣な表情で続けた。
「最悪、一生適合者が現れない可能性もある」
「こ、恐い事言わないでくださいよ!」
縁起でもない!とアレンがはち切れんばかりに首を振る。
目が回るんじゃないかなぁと思いながらもコウは彼の行動を楽しげに見ていた。
彼がぐたりと床に座りこんで額を押さえたのをきっかけに、コウはミランダの方を向く。
「で、ミランダの心当たりは?」
「心…当たり…」
「ほら、何でもいいの。時計がこうなったのは何か原因があるハズだわ」
リナリーが言葉を繋ぎ、本当の10月9日を思い出すよう促がす。
ミランダは彼女の言葉を受け、その日の出来事を思い浮かべた。
「………あの日は………私が100回目の失業をした日で…」
その桁外れな数字に三人が驚くが、彼女を邪魔せぬように声を出さないよう必死で堪える。
彼女の話によると、本当の10月9日は彼女が100回目の失業をした日。
さすがにその数が三桁ともなればいくら人よりも慣れているであろう彼女とて感傷もひとしお。
置時計の前で酒を煽り、彼女はこう言ったそうだ。
『明日なんかこなくていい』
現状は正しくそれだ。
時計がミランダの願望を叶えたと言う状況から導き出された答え。
「ミランダ。あなた、まさか…………………このイノセンスの適合者…?」
リナリーがそう言った。
その言葉にアレンが驚くが、コウは納得したように頷く。
「ミランダ!時計に奇怪を止めるよう言ってみて!」
てきごうしゃ?と首を傾げるミランダに、リナリーやアレンが言う。
彼女は訳がわからないながらも時計に向かって口を開いた。
「時計よ、時計よ。今すぐ時間を元に戻して~~~」
中々ファンシーな言葉である。
さすがに25歳と言う年齢の彼女には恥ずかしかったのか、ミランダは頬を染めて時計と見詰め合っていた。
そんな中、彼女が言い終わるや否やリナリーとアレンが駆け出す。
そして机の上に置かれていた新聞をバッと開いた。
書かれていた日付は『9 OCTOBER』…10月9日のままである。
二人は揃って肩を落とした。
「てきごうしゃって何なの?」
一人冷静にその場に残っていたコウに、ミランダが質問する。
コウは彼女を一瞥した後、言葉を選ぶように顎に手をやった。
「…簡単に言えば、イノセンスの持ち主なんだけど…。イノセンス自体もよくわからないのに難しいよね」
「はぁ…」
「イノセンスにとって、唯一の人物。詳しい事は抜きで…そんな感じでいいと思うよ」
多分ね、とコウは笑った。
そして膝の上のアズを撫でる。
そんな彼を見下ろしながら、ミランダはふとコウを見た。
「この子は…?」
「…私のイノセンス」
「イノセンスって物じゃないの!?」
驚くミランダ。
しかし、それも無理はないことだろう、とコウは思う。
「そうとは限らない…みたい。私にも…誰にも、よくわからないんだ」
「…色々とあるのね」
「うん。でもね、私はこの子が好き」
コウの言葉に反応したのか、アズは僅かに首を持ち上げて撫でる手に擦り寄った。
そんな彼の反応に微笑みを浮かべるコウ。
「皆に認めてもらわなくても…。ただ一人、誰かが私の唯一だったら…存在理由はそれで十分だから」
ミランダは彼女の言葉に目を瞠る。
そして同時に、自分と同じ考え方だと思った。
古道具屋で今しも捨てられそうだった、誰を主人とも認めなかった時計。
決してまわせなかったネジが自分の手で回り、時計に息吹きが戻ったあの瞬間。
この時計だけは自分の存在を認めてくれたのだと思ったから。
「…私も…たった一人でいいと…思うわ」
ミランダの言葉にコウはアズから彼女へと視線を移動させる。
そして、彼女の浮かべた柔らかい表情にコウは頷いた。
「同じ考えを持っている人が居てよかったよ」
コウがそう言うと、ミランダはより一層笑みを深める。
笑顔と言葉に、思わず涙が零れそうだった。
「コウさーん!一緒に考えて!」
新聞を片手にリナリーが向こうの部屋から走ってくる。
そんな彼女を受け止め、コウは苦笑を浮かべた。
「はいはい。んじゃ、とりあえずこの奇怪を止めるように頑張ってみましょうか」
アレンも揃い、一行は再び頭をつき合わせて考え始めた。
『ミランダの気持ちが前向きになれば奇怪も止まるんじゃない?』
と言うコウの曖昧な言葉により、三人はミランダに再就職させるよう手を尽くしてみた。
時計の奇怪を目の当たりにしてから三日。
劇場のチケット売りの仕事に、ミランダと共にアレンが就いていた。
アレンは持ち前のパフォーマンスを生かして大道芸を、ミランダは自身の雰囲気を大いに活用して魔女に。
それぞれ演劇の雰囲気を掴んでチケットを売りさばいていた。
「コウさん、そろそろアレンくんのところに行かない?」
この三日の間で5件クビになっているミランダだ。
そうそう仕事は決まらないかもしれないと、コウとリナリーは共に彼女に出来そうな仕事を探していた。
「あー…そうだね。そろそろ行こうか。…またクビになってても困るし」
「コウさん…縁起でもない事言わないで…」
「はは。ごめんごめん」
そんな風にして二人はバイト先に戻ってきた。
丁度、ミランダとアレンも休憩に入ったらしい。
建物の中へと去っていくその背中を追って、コウとリナリーも同じく建物へと向かう。
06.01.05