Destiny - 19 -
靴音が耳に届く。
控えめではなく、明らかな意思を持って己の意識を覚醒させようと立てたらしい音。
彷徨っていた意識が覚醒し、浮上する感覚に身を委ねる。
ぼやける目で見上げた視界に、サラリとした黒髪が映りこむ。
「…ユウ?」
「んな所で寝てるとお前でも風邪引くぞ」
「………お前でもって何、お前でもって」
暗に『何とかは風邪を引かない』と言うあれを指されているように感じるのは気のせいではないだろう。
むっと口を尖らせるコウの反応など関係ないとばかりに、神田は長い溜め息を漏らした。
「モヤシの所に行くんじゃなかったのかよ?」
「何か色々と考えてたらね…」
番犬よろしくコウの足元に蹲っていたアズが彼女の頬を舐める。
慰めるように頭に届いた声が心を潤すようだった。
彼の頭を撫でると、コウはよっと反動をつけて立ち上がる。
いくらか縮んだ神田との身長差のままに彼を見上げ、微笑んだ。
「行こうか」
走ってきたアズに腕を差し出し、そこを伝って彼が肩へと落ち着くのを見届けると、コウはゆっくり歩き出す。
数歩遅れて歩き出した神田の方を肩越しに振り向きながら彼女は声をかけた。
「コムイさんの用は何だったの?」
「次の任務の話だ」
「…へぇ。本部に戻らずにそのまま、ってところかな」
普段ならば総本部でほんの少しなり身体を休め、コムイから次の任務を受ける。
今、向こうから次の任務の話が上がると言う事は、本部に帰還せずに次の任務へと移ると言う事だ。
「あ、詳しい話は後でいいよ。どうせアレンにも説明しなきゃなんないでしょ?」
「…そうだな」
任務について語ろうと口を開いた神田だが、それよりも一瞬早くコウがそう言った。
確かに二度手間になると判断した彼は彼女の提案に頷く。
「………そろそろだよね」
不意に、並んで足を進めていたコウが口を開く。
まるで呟くように小さかったその言葉は、それでも確かに神田の耳へと届く。
追うように聞こえてくる歌声に、彼は「あぁ」と小さく返した。
「哀しいな…こうする事でしか、何かを救えない事が」
犠牲の上にしか成り立たないそれを、果たして救済と呼べるのだろうか。
確かに千年伯爵は無差別に殺戮を繰り返す兵器を生み出し、それは尚も成長を続けている。
それを止めなければならない事はわかっているし、何より自分もあの悲しい兵器を止めたいと思った。
しかし―――
「…迷いそう。あの哀しい声を聞いてると」
もう途切れ途切れになってしまっている彼女の声。
最期の時が近いのだと知るには十分だった。
正直な所、コウはこんな事を口にすれば怒られるだろうと思っていた。
気の長い方ではない彼だし、何より彼のアクマに対するそれはまるで憎悪。
「…お前、もう帰れ」
「は?」
動かしていた足を止め、神田はコウの方を向いてそう言った。
予期せぬ言葉にコウは図らずも間の抜けた声を返す。
「あの人形の最期は近い。それが嫌なら、先に帰ってろ」
「あぁ、そう言う事か」
漸く理解できた、とコウは頷く。
しかし、考える間もなく彼女は首を振った。
「ケジメだから。私がこの道を選んだ…この生き方を選んだ、ケジメ。哀しいけど、受け入れるよ」
そう言って笑みを浮かべる彼女は美しかった。
容姿や言動ではなく、その直向きな心が。
神田はそれ以上何も言わず、たった一度だけ頷いて再び歩き出す。
「何寝てんだ。しっかり見張ってろ」
膝に埋めた顔を上げる事の無いアレンに、神田はそう言って声をかけた。
尚も同じ体勢をとるアレン。
「あれ…?全治5か月の人がなんでこんな所にいるんですか?」
「治った」
「ウソでしょ…」
信じられるはずの無い言葉にそう返すアレンの声を「うるせぇ」と一蹴し、神田は先程の事を彼に話す。
「コムイからの伝達だ。俺はこのまま次の任務に行く。お前とコウは本部にイノセンスを届けろ」
「………わかりました」
「…了解」
アレンのくぐもった声とコウの声が重なる。
そんなアレンを見上げ、彼よりも数段下に腰を降ろした神田は言う。
「辛いなら人形止めてこい。あれはもう「ララ」じゃないんだろ」
「ふたりの約束なんですよ。ララを壊すのはグゾルさんじゃないとダメなんです」
腕で顔を隠したまま、彼は静かにそう答えた。
ここに居る者の中でその約束を聞いたのは彼だけ。
だからこそ、アレンは誰よりも心を痛めているように見えた。
「甘いな、お前らは。俺達は「破壊者」だ。「救済者」じゃないんだぜ」
アレンと括られた人物はコウに他ならないのだろう。
救いになる言葉ではなかったが、それでも神田の言葉はコウの迷いを僅かに晴らした。
声を上げたアレンのそれを遮るように、突風が彼らを包む。
風が運んできたのは、歌声の無い沈黙だった。
「歌が、止まった…」
――それでも僕は、誰かを救える破壊者になりたいです。
人形は、少年の中に小さな決意を残した。
05.11.29