Destiny - 18 -
静かな歌が聞こえていた。
澄んだ子守唄は風に乗ってコウの元まで届く。
ふわりと窓から入り込んだ風が彼女の髪を揺らし、そして優しい音を聴覚に送った。
コウは後方で誰かが動く気配を感じて、アズを撫でていた手を止める。
「ユウ、動いちゃ駄目だよ」
誰かが、ではない。
この部屋の中にいる人間は二人だけなのだ。
「もう治った」
「…相変わらず人間離れした身体です事」
むくりと身体を起こした神田に、コウはやれやれと溜め息をついた。
初めの頃は、それこそ目が飛び出すのではないかと言うほど驚いたものだ。
今こうして落ち着いているのも、一年と言う月日が慣らしてくれたからに他ならない。
「一度詳しく研究させて欲しいものね、まったく」
コウがしていた研究と言えば錬金術を医療へと生かすためのものなのだから、この世界では無理かと思われた。
だが、それ以上に彼女の研究心を燻る物が、この世界には多すぎる。
黒の教団…エクソシスト総本部に居る間、コウは殆どの時間を研究へと注ぎ込んでいる。
最近ではコムイに並ぶほどの知識を身に付け始めていると言う事でも有名だった。
「…お前の人体実験に協力しろっつーのか」
「人体実験だなんて人聞きの悪い。後世に生きる人の為の貴重な犠牲よ」
「……………酷くなってるじゃねぇか」
「そうとも言うねー」
コウは軽い調子で笑い声を上げる。
しかし、彼女の目は声とは裏腹に笑っておらず、依然として廃墟の方へと向けられていた。
自分を振り向かないその背中に、神田が口には出さない不安を感じている。
時折ザァッと風が吹く度に歌声が途切れ、コウの纏う空気が翳る。
「…お二人とも。本部からの連絡です」
コンコンと言うノック音と共に開かれた扉からトマが入り込んだ。
彼はその背に負っている荷物の受話器を神田へと差し出す。
「…コムイか?」
確認のように問いかければ、トマはその頭を上下させた。
若干嫌そうに眉を寄せた神田だったが、それ以上は何も言わずに受話器を受け取る。
それを耳に当てた途端に彼の眼が細くなった。
恐らく、コムイが電話機の向こうから彼の不機嫌を逆なでするような事を吐いているのだろう。
それがありありと想像できたコウはクスクスと笑いを零す。
「文句はアイツに言えよ!つか、コムイ!俺アイツと合わねェ!!」
アイツが指す人物は、恐らくアレンの事だろうなとコウは思う。
そして、無理やり点滴を引き抜こうとしている神田の手を止めた。
「ちょっと。そんな事したら肌が痛むでしょ」
そう言って彼の手を退け、コウは手順通りに点滴の針を抜き去る。
まだ半分ほどしか終わっていないのだが…これ以上彼をベッドに縛り付けておくのは不可能らしい。
溜め息をついたコウの耳に、コムイの声が届いた。
『神田くんは誰とも合わないじゃないの。ま、そこにいるコウちゃんは別みたいだけどね』
「別じゃねェ」
『所でアレンくんは?』
「…まだあの都市で人形と一緒にいる!!」
綺麗サッパリ無視された事に腹を立てているのか、彼の言葉に腹を立てているのか。
どちらか解らないが、とにかく神田が不機嫌である事に変わりはない。
もっとも、彼が上機嫌と言うのも想像しがたい物だが。
「神田ー。もう行くの?」
「あ?コムイちょっと待て」
コウの声を聞いた神田が電話口のコムイを止め、彼女を振り返る。
受話器の向こうで『僕よりコウちゃんの方が大事なの!?』等と妙な事を騒ぐコムイの声が響いていた。
「何だ?」
「もう行くの?退院許可下りてないけど」
「必要ないだろ」
「…ま、神田がいいならいいけど…」
彼女の言葉で話は終わったとばかりに、神田は再び受話器へと向かう。
騒ぐコムイを「うるせぇ」の一言で一蹴してしまう辺りに彼の性格がうかがえる。
「ちょっとちょっと!何してんだい!?」
そう言って病室に飛び込んできたのはこの病院のドクター。
怪我の程度がわからない筈のないコウは、彼の心配に苦笑を浮かべた。
名刺と胴に巻いてあった包帯を渡してさっさと病室を出て行ってしまう神田。
下にあったはずの痛々しい傷痕はその名残すらも残してはいなかった。
彼を追うようにしてコウも立ち上がる。
「ドクター。何かあれば私が付いておりますので」
営業スマイルを浮かべてそう宥め、アズを肩に乗せて病室を出て行った。
残されたドクターの困惑した顔など、彼らには関係のないこと。
『今回のケガは時間かかったね、神田くん。コウちゃんが言うには結構酷かったらしいよ』
「でも治った」
『それにしても、だよ。彼女には感謝しておきなよね。報告してきたコウは本当に落ち込んでたよ』
コムイの声に神田は暫し沈黙して、聞こえるか聞こえないかと言うくらいの音量で「ああ」と答えた。
その後聞こえた声は、いつものふざけた調子ではない。
『時間がかかってきたってことはガタが来始めてるってことだ。計り間違えちゃいけないよ。
キミの命の残量をね…』
「神田!!放ってかないでよ!」
コムイの声に続くように聞こえたコウの声。
神田が思わず肩を揺らせば、追いついた彼女が不思議そうに彼を見上げた。
そんなに驚かせたか?と言う表情を浮かべている。
彼女に何でもないのだと言う風に手を振って、神田はコムイに用件を促がす。
彼の行動に疑問を残したコウだが、すぐに足を進めだした。
「神田、私アレンの所に行ってるから」
そう言って彼が何かを答える前にアズと共に走り出す。
その背を見送りながら、神田はコムイから次の任務についての話を聞かされた。
カツンカツンと、足音が響く。
それを止めようともせず、コウは歩いていた。
「アズ…ユウは何を隠してるんだろうね?」
コウはポツリと零した。
その声は小さく、風に巻かれれば届かないのではないかと言うほど。
「あんなに酷い怪我が三日で治るだなんて…」
浮かぶのは所詮向こうの世界での知識だった。
仇とも言える、存在…限りなく不老不死に近い彼ら。
そんなはずは無い、とコウは首を振る。
「ありえない。ホムンクルスは…向こうだけの存在。何より、この世界は錬金術が衰退しすぎてるわ…」
これがコウの調べた結果だった。
自分でも元の世界へと戻れるように様々な情報を集めたが、どれも彼女の望む答えを記してはいない。
「真理とヘブラスカが言っていたことが本当なら…私は…」
―――二度とあの世界の地を踏む事はないだろう。
口に出す事を憚られるような、そんな答え。
それは結論として彼女の内に残ってしまった。
かすかに届く子守唄に、コウはそっと目を閉じる。
心地よい歌声に身を任せ、今だけはそれを考えずにすむようにと。
05.11.23