Destiny  - 16 -

応急処置の包帯がずれてしまったのか、神田の傷口から新たな鮮血が滲む。
それに気づいたコウはアレンに声をかけた。

「少し先に広い場所があるわ。私のゴーレムを追って」
「あ、はい。一人で大丈夫ですか?」

トマを肩に担いだままそう問いかけたアレンに、コウは肩を竦める。
そして神田の手当に使ってあるコートを指さした。

「こう見えてもエクソシストよ。安心して」

それで納得できたのか、アレンはコウの声に背中を押されるようにして先へと歩き出した。
彼の背が消えるのを待たず、彼女は神田を乗せたアズの方へと向き直る。

「早く彼らの手当もしないとね」

とりあえず目の前の神田の処置を済ませることから始めよう。











足元から鈍い音が響く。
まさかアクマと交戦しているのか、と言う考えも浮かんだが、アズが否定しているからそれはないだろう。
少しだけ足を速めれば、存外に早く開けた空間まで辿り着く事が出来た。
同時に飛び込んできたのは、広いこの部屋を支えていた石柱と思しき巨大なそれを持ち上げる少女。
そして先程よりも若干青ざめた様子で飛んでくるそれを避けるアレンの姿だった。

「アレンー?何やってるの?」
「あ、コウ!!神田は無事ですか?」
「それは大丈夫だけど…」

避けながらも人の心配をする辺り、彼は優しいのだろう。
コウの声を聞いた少女は、今度はその標的を彼女へと切り替えた。
明らかに敵意を持って睨む少女の眼に、コウはうーんと腕を組む。

「とりあえず話を…って言っても無理そうな感じね」

自分に向かって飛んでくる石柱を見ながら呟く。
逃げてください、と言うアレンの声が聞こえるが、後ろに神田を乗せたアズがいる以上その行動は選べない。
やれやれと言った様子で溜め息を漏らすと、コウはその両の手をパンッと合わせた。
真っ直ぐに飛んで来た石柱へと手を伸ばす。

「コウ!?」

避けない彼女に声を上げるアレン。
だが、次の瞬間彼が見たものは…。
コウの手に触れるなり、まるで砂漠のそれのようにサラサラと崩れ落ちる石柱だった。
やがて柱であった頃とほぼ同量の砂の山が、彼女の足元に出来上がる。
驚いたのはアレンだけではなく、少女も同じだった。

「ちょっと悪戯が過ぎるんじゃない?マテールの亡霊さん?」

少女は背後からの声に思わずその身を強張らせる。
慌てて飛びのこうとするも、しっかりと掴みあげたコウの両手がそれを阻んだ。

「あなたが人形だって事くらい、始めから気づいてたわ」
「え…?」
「私はあなたの心臓を今もらおうとは思わない。ただ…彼を治療したいだけ」

コウの言葉が嘘ではないと信じてくれたのか、その眼に映る真剣さに気づいたのか。
少女の纏う、まるで手負いの獣のような警戒心は、一瞬のうちに消え去った。











「ユウ…」

顔色を失った彼を見下ろし、静かにそう紡ぐ。
少しだけ距離を取った所でアレンと先程の少女…ララが話している。


少女を説得してすぐ、コウは自分の学んでいた医療系の錬金術で神田の傷口を塞いだ。
尤も、いつものように最後までは塞がず、自身の治癒力を損なわない程度に抑えてあるが。
その後「先にトマの方を」と言うアレンの申し出を素直に受け取って彼の治療へと取り掛かる。
とは言え、さほど大きな怪我もないようだったので思ったよりも早く済んだ。
アレンの傷は、命に別状はない物だ。
しかし、医者の後ろで怪我や病気を見てきたコウからすれば無理はさせたくない代物である事に変わりはない。

「大丈夫ですってば。コウって結構心配性ですね」
「…私が心配するのは、それに値する人だけよ。お願いだから自分の身体くらい心配してあげて」

呆れたように、しかしどこか懐かしむようにコウはそう言った。
昔にも同じ事を言ったな…と心の中で苦笑を浮かべる。
怪我をして、それでも諦めようとしないあの兄弟に。

ふと甦った記憶に笑みを灯すコウを見て、アレンは首を傾げた。
何かを問う事もせずに少女とグゾルの方へと歩いていったのは、彼の優しさなのではないかと思う。
先程よりも若干楽そうに呼吸を繰り返す神田を見つめ、コウはアズの頭を撫でた。



「グゾルはね。もうすぐ動かなくなるの…。心臓の音がどんどん小さくなってるもの」

“動かなくなる”と表現したのは、彼女が人形である故の事だろうか。
グゾルにもたれるようにして、彼女は続けた。

「最後まで人形として動かさせて!」

人形とは思えない、哀しくて必死な眼差しだった。
不意に、コウの視界の端で黒が動く。
視線を落せば、それは薄く目を開いた神田が動いた所為だとわかった。

「ダメだ」

まだ起きるなと、そう声を発しようとしたコウよりも先に彼は口を開く。
そしてまだ痛むであろう身体を無理やりに起こした。

「その老人が死ぬまで待てだと…?この状況でそんな願いは聞いてられない…っ」
「神田、傷が開く」
「俺達はイノセンスを守るためにここに来たんだ!!」

触れた傷口が熱を持っている事に気づいたコウは軽く眉を寄せる。
寝かせようとするコウの手を弱く制し、彼は続けた。

「今すぐその人形の心臓を取れ!!」

彼の強い言葉に、アレンは口を噤んだ。
コウは何も言う事が出来ずにただ沈黙を貫いた。
恐らく、今神田が行動を起こす事を望んでいるのはアレンだ。

コウの目から見ても彼は優し過ぎた。
もし、この場にアレンが居なくて、そして自分が彼の立場に立たされていたとすれば。
迷いながら…涙を流しながらでもララの心臓を奪うだろう。
彼女の心臓を守りながらグゾルの死を待つのは、怪我をしている二人を抱えていては難しい。
エクソシストにとって優先すべきはイノセンスの保護。
その為には、時として己の感情も殺さなければならないのだと…コウは身体でそれを覚えた。

「俺達は何の為にここに来た!?」

答えないアレンに向かって神田が再度声を荒らげる。
それと同時に、彼の呼吸も徐々に荒さを取り戻しつつあった。
聞かないとわかっていても、コウは神田の動きを制するようにその腕を握る。

「…と、取れません」

視線を落とし、アレンはそう言った。

「ごめん。僕は取りたくない」

彼がそう答えるだろうと言う事は、コウにもわかっていた。
一年前の自分と同じだな、と内心苦笑を浮かべる。
彼の答えに、神田は先ほどまで横になっていた自分の枕代わりに使われていたアレンのコートを彼に投げた。

「その団服はケガ人の枕にするもんじゃねぇんだよ…!!」

少し動くだけで痛む傷口に思わず歯を食いしばり、彼は続ける。

「エクソシストが着るものだ!!!」

神田は言い終わるが早いか、己のコートをバサッと羽織って身体を無理やりに動かす。
アクマの攻撃を受けた時に裂けたそれに染み込んだ血痕が痛々しい。
立ちすくむアレンの横を通りぬけ、彼は六幻を片手にグゾルらの方へと歩く。

「犠牲があるから救いがあるんだよ、新人」

自分に対してではないとわかっていても、その言葉は深く胸を抉る。
まだ神田に明らかな敵対心を向けられていた頃、コウも同じ内容の事を言われていた。
どうあっても慣れる事の出来ない言葉だが、それが間違っているとは思わない。
コウは膝の上のアズを下ろして神田を呼び止めた。

「神田。イノセンスは私が…」

自ら憎まれ役を買って出ている神田。
怪我を負っている彼にこれ以上の負担をかけたくないと、コウは湾曲した鉄柵からダガーを作り出す。
怯えの表情を露にするララに戸惑いを見せるも、その足は止めずに神田の横に並んだ。
しかし、彼はコウを一瞥すると首を横に振る。

「…下がってろ」

短く息を吐き出す彼を見れば、その傷が開きつつある事は否めない事実。
それでも尚任せようとしない以上、引きとめる時間は惜しいように思えた。
コウが放したダガーが足元に落ち、砂の上にサクッと軽い音を立てて刺さり込む。

「お願い、奪わないで…」

ララの声を無視するように、神田は静かに彼女の心臓へと刀の切っ先を向ける。
グゾルは彼女を隠すようにその腕の中に抱き込んだ。

「やめてくれ…」

老人独特の少ししわがれた声が震える。

「じゃあ僕がなりますよ」

彼らを庇い、アレンはその間に滑り込む。
六幻の切っ先が彼の団服のローズクロスを睨みつけた。

05.11.08