廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:松永久秀09 --
馬に乗ると言った時には、氷景や武田の軍医のみならず、幸村や佐助にまで反対された。
特に幸村の反対と言ったら、紅が呆気に取られて言葉を失うほどだった。
佐助や氷景は忍として己を律する術を持っているし、軍医は基本的には目上の者に強くは出られない。
紅に全面的に強く反対できる者がいるとすれば、それは彼以外にはいなかったのだ。
最終的に折れたのは紅の方で、輿を用意すると言った幸村の申し出を丁重に断り、氷景に頼ることになった。
「お世話になりました」
自分の足で立ったまま、紅は頭を下げる。
そんな彼女に、幸村は首を振った。
「某は何も。怪我は殆ど治っておらぬ故、奥州に戻られたらしっかりと養生されよ」
「そう…ですね。暫くは無理できそうにありません」
自分の様子がわかっていないわけではないから、紅自身も苦笑を浮かべるほかはない。
ここで無理をすれば身体がどうなってしまうのか。
それがわからないほどに馬鹿ではないのだ。
尤も、奥州に戻れば無理などさせてもらえるはずがないけれど。
「…防衛線を通らせてくださったことにも、感謝しています」
「構わぬ。怪我を癒し、再び見える時を楽しみにしているとお伝えくだされ」
「ええ、必ず」
次に会う時には戦場かもしれないと言うのに、別れに悲壮感はない。
それでも、きっとその時になったとしても…二人は、刀を抜くだろう。
それがこの時代、刀を持って戦うと決めた者の宿命であり、そして覚悟なのだ。
そうしている間に、氷景の方も準備ができたようだ。
近づいてきた彼は、背中に紅を背負った。
背中に火傷を負っている彼女の状態を考慮した結果だ。
袈裟懸けの傷が辛くないと言えば嘘になるけれど、こちらは止血もかねてしっかりと包帯が巻いてある。
「紅さん紅さん。ひとつ、いいこと教えてあげるよ」
そういってひょいひょいと手招きする佐助。
彼に耳を寄せるように少しだけ状態を動かせば、彼は小さく笑ってこう言った。
「伊達の人質はまだ生きてるよ」
あれから一週間。
殺すつもりがあるならば、その日のうちに全て片付けてしまっているだろう。
一週間の間生かされているのだとすれば、ここ数日で殺されると言うことはない。
風の噂であるはずがないのだから、佐助自ら動いてくれたのだろう。
「…っ。あ、りがとうございます…」
可能性が見えた。
紅は言葉を詰まらせながらそう告げる。
氷景は二人の会話が終わると、軽く地面を蹴った。
初めは彼女の傷を考えてゆっくりと走っていたが、紅が慣れ始めた事に気づくと徐々に速度を上げる。
そうして、林の中を走り続けた。
ふと目を覚ました時には、すでに見慣れた風景がそこにあった。
どうやら、道中の辛さを軽減するために、眠ってしまっていたようだ。
睡眠薬を混ぜた薬だ、と説明されたのを思い出す。
見えたのが天井ではなかったのは、自分がうつ伏せの状態になっているからなのだろう。
少し遠いけれど感じる気配は城で働く者のそれだ。
「いつの間にか帰ってきたのね…」
氷景の気配が近くに感じられないのは、状況を確認しに行っているからなのだろう。
それを考えると、城に戻ってからあまり時間は経っていないのかもしれない。
布団に自分の体温が移りきっていないのも、その証拠だろう。
それらを確認すると、紅は身体を起こそうとした。
しかし、力を入れると全身がズキンと痛む。
どうやら、痛み止めが切れているらしい。
厄介なことだな、と思いつつ、もう一度枕に額を預ける。
現代のようにやわらかい枕はない。
しかし、彼女の身体を考えてくれたのか、ゆるく折りたたんだ着物が枕の代わりとして頭の下に挟み込まれていた。
用意してくれたのが誰かはわからないけれど、心中でその人物に感謝を述べる。
そこで、紅は近づいてくる気配に気づいた。
それを感じ取り、安心したのだろうか。
すっと肩の力が抜けるのを感じる。
今まで身体が緊張していたらしいのだが、気づいていなかった。
そんな自分に苦笑いしつつ、ぐっと力をこめて身体を起こす。
布団の上に正座して、その人が到着するのを待つ。
スラッと襖が開かれ、その姿が視界に入り込んでくる。
「政宗様…」
一言も声をかけずにこの部屋の中に入れる人物は一人しかいない。
何より、紅は気配で彼が近づいてきていることを知っていた。
間違えるはずなどなかった。
起きているとは思わなかったのか、政宗は軽く目を見開く。
しかし、すぐに眉を顰め、背後で襖を閉ざす。
そのまま大股で近づいてくる彼は、無表情に近く、それが彼の感情を表しているようでもあった。
「…調子はどうだ」
そう問う声は低い。
全身を確認してから、紅は問題ないと示すように頭を振った。
大丈夫だと答えるには傷が多すぎる。
しかし、悪いと答えられるほど、紅は無神経ではなかった。
「政宗様…申し訳―――」
謝罪の言葉は最後まで紡がれなかった。
パンッと乾いた音が部屋の中に響く。
「…お前じゃなかったら殴り飛ばしてる所だ」
「………はい」
大した痛みを伝えてこない頬を軽くなぞってから、紅はそう言って顔を俯かせた。
政宗が険しい表情のまま彼女の前に膝を着く。
「俺を待たずに動いて、お前の望む結果が得られたか?」
「……いいえ…っ」
ここで泣いてはいけないと、唇をかみ締める。
彼の言葉により、思い出してしまった光景。
手の平に残る、摩擦によるその傷跡が、より一層その光景を鮮明にした。
命が手の平をすり抜けていく感覚を思い出し、紅の指先が震える。
「何で俺を待たなかった…。俺は、お前に俺の代わりをさせるために留守を預けてるわけじゃねぇ」
「…政宗様の代わりが務まらなければ、留守を預けていただく意味がありません…っ」
部下からの報告を聞き、政宗の帰りを待つだけならば、誰にでもできることだ。
そんな風にただ待つだけの妻にはなりたくない。
だから刀を握り、馬術を極め、政を学んで、彼に追いつこうとしているのだ。
ぐっと拳を握り締める彼女に、彼は小さく息を吐き出した。
「勘違いするな、紅」
久しぶりに名前を呼ばれた気がする。
政宗は俯く彼女の手を握り、硬く閉ざされた指を解いていく。
「俺がお前に望むのは、俺の代わりじゃない。お前が出来る事をやればいいんだ。
感情で動いて、力で突き進んでいくのは俺の役目だろ?」
苦笑いを浮かべ、政宗は空いている方の手で彼女の頭を撫でる。
「無茶に動くなんて、お前らしくない。冷静なお前なら…俺が帰るまでの間に完璧に軍を整えたはずだ」
「………はい」
「わかったら、二度とするな。
―――まぁ、領内のいざこざはお前の手腕でどうにでも出来るだろうから、そこは任せる」
わかったか?と問いかけられ、紅は何度も頷いた。
気を抜けば涙がこぼれてしまいそうで、声を発することが出来ないでいる。
そんな彼女に気づいたのか、彼は仕方ないな…とばかりに肩を竦める。
傷に触らないように気を配りつつ、彼女の肩を抱き寄せた。
08.04.22