廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:松永久秀08 --
全身が痛む。
その痛みにより、眠りの世界から引き上げられたようだ。
瞼を押し開く事も億劫だが、このまま視界を閉ざしていてもきっと眠る事は出来ない。
無視できないほどに、全身が酷く痛いのだ。
「――――、…」
息の塊を吐き出すのにあわせ、薄く目を開いていく。
昼間なのか、目に映る風景は明るい。
長い間目を閉ざしていた所為だろう。
少し霞む視界で、周囲の状況を確認するように見回した。
左右は大きな布により、その向こうが見えなくなっている。
…と言うよりは、自分の居る場所が他から遮断されるように区切られているのか。
その布の上に書かれている紋には覚えがある。
「…姫さん?」
そんな声が聞こえた。
声がした方を向こうとすると、右肩辺りがズキンと痛んだ。
思わず顔を顰めると、慌てたような足音が近づいてくる。
「無茶するな。今痛み止めを用意するから、じっとしててくれ」
動かなくても見える位置に顔を持ってくると、氷景がそう言った。
答えるにしても喉がかすれていて、声が出ない。
それに気付いたのだろう。
彼は、何も言うなとばかりに視線でそれを制し、身を引いた。
程なくして、ぼんやりと真上を見上げていた視界に彼が入ってくる。
「起きられるか?」
「…大、丈夫」
口の中を湿らせてから喋ると、掠れつつも声が出た。
彼は紅の言葉を聞くと、軽く頷いて彼女が身体を起こせるように背中に腕を差し込む。
背中と言っても、殆ど首辺りを支えるようにして起こしてくれた。
何故その箇所を支えるのか―――そんな疑問は、身体を起こそうと力を入れた時、理解できた。
「――――っ」
「無理すんなよ。背中はかなり火傷が酷いんだ」
上半身を起こした状態のまま、痛みに息を呑む彼女。
氷景は彼女に向かってそう言うと、掌に薬を載せて差し出す。
小さな粒上のそれと、水の入った椀を渡され、紅は順番にそれを受け取った。
下の上に乗せた薬は苦く、思わず眉を顰める。
しかし、文句は言わずにそのまま水で喉の奥へとそれを流し込んだ。
「即効性だからすぐに効いて来る。…手持ちが固形のしかなくて、寝てる姫さんに飲ませられなかったんだ」
すまなかった、と告げる彼に、紅は頭を振った。
それから、まだ痛む身体でもう一度周囲を見回す。
寝転がっていた時とは違うものが見える。
「武田…よね」
「あぁ。松永の所から戻る途中、佐助に会ったんだ。真田幸村に医者を手配してもらった」
「―――政宗様は…っ!!」
松永、と言う単語に反応した紅。
氷景につかみかかるように動いた彼女は、全身を刺される様な痛みに襲われ、身体を折る。
彼はそんな彼女の身体を気遣いつつ、もう一度横たえさせた。
「筆頭は…今、返事を待ってる。だが、崖下には居なかったから…恐らく、奥州に戻ってるだろう」
「…本当、に…?」
「小十郎の奴が武田の防衛線を突破したって話だからな」
佐助が嘘を言うとは思わない。
そして、小十郎が政宗を置いていくとも思えない。
そこから考えれば、小十郎は無事に政宗を奥州まで連れ帰っているはずだ。
氷景がそう説明すると、紅は安心したように身体の力を抜いた。
「武田の方々には迷惑をかけてしまったわね…」
「いや、そんな事を気にするような連中じゃないだろ。それより―――」
「早く帰らないと」
「…いや、それも違う!っつーか、あんたは自分の身体の状態をわかってんのか!?」
氷景の声を遮るようにして紡がれた彼女の言葉。
彼は一瞬呆気に取られたような表情を見せ、それから堪えきれないとばかりに声を荒らげた。
「…分かっているわよ。私の身体が動くのもままならないくらいにボロボロだってことも。
彼らを助けられると思ったこと自体が、自惚れだったってことも。それでも…」
じっとしていられなかった。
政宗の帰りを待ち、彼と共に発つのは簡単だったのだ。
しかし、人質である彼らがどんな思いでそこにいるのかと考えると…身体が、動いていた。
「守りたかったのよ。あの人が守りたいと思うものを。だけど…私は、まだ弱い…」
守るためには、強くなければならない。
こんな風に傷を負い、動けなくなるようではいけないのだ。
強く…もっと、強くならなければ。
「強くならなきゃ…あの人と同じものを見ることすら出来ない…」
呟くようにそういった彼女に、氷景は口を閉ざした。
言いたい事は沢山ある。
言うべきだろうと思うことも、沢山ある。
けれど、どれも自分が言うべき言葉ではないように思えた。
彼女の言葉への答えを持っているのは、自分ではない。
答えるべきなのは、彼女が隣に立ち、同じものを見たいと切望している政宗以外にはありえないのだ。
「…氷景。お願い。奥州に帰りたい」
痛みによるものなのか、その言葉によるものなのか。
どちらかは分からないけれど、薄っすらと潤んだ目が氷景を見上げてくる。
彼女の身体を思うのならば、もう少し…せめて、後一日だけでも身体を休めるべきだ。
元より、安静な場所で治療を行なう必要があると医者から言われている以上、奥州に帰るのは早い方がいい。
「…耐えられるのか?」
「耐える」
上半身を起こしただけでもあの痛みだ。
氷景が運ぶにしろ、紅が自力で動くにしろ…身体に負荷を掛ける事は必至。
それを踏まえた上でそう尋ねた氷景に対し、紅は頷きながらそう答えた。
その目が不安に揺れているように感じるのは、恐らく痛みに対するものではない。
政宗の安否を確認できない今の状況に対して、彼女は不安を抱いている。
それを拭い去る為にも、彼女を奥州へと連れて帰ってあげなければならないのだろう。
「―――…分かった」
「氷景…!」
「正し、もう一度武田の医者に診てもらう。
無茶は承知で、一刻も早い治療の為に姫さんを動かしてもいいか―――それを聞いてからだ」
恐らく、医者は目を白黒させて反対するだろう。
確かに一刻も早い治療が必要とは言え、動かす事が危険だと言う事に変わりはない。
尤も、氷景はたとえ反対されたとしても、それを押し切るつもりで居る。
彼が医者に診せる理由は、『動かす為の手当て』を施してもらう為だ。
自分の言葉に紅が納得したように再度頷くのを見届け、氷景は隔てられた布の向こうへと消える。
「無茶な計画を立てるもんだな、お前も」
「…聞いてたのか」
少し進んだところで木に凭れる様にして立っていた佐助に視線を向ける。
彼は氷景の視線を受けて、軽く肩を竦めた。
「肋骨が三本やられてる上に、全身の打ち身。左腕も骨にヒビが入ってて、肩から脇腹にザックリ。
この状態の紅さんを動かそうって言うお前もかなり無茶だと思うぜ」
それを頼む紅さんも紅さんだけどな。
呆れたようにそう言った佐助。
氷景は彼の言葉に溜め息を吐き出した。
「早く連れて帰って筆頭の姿を見せねぇと、姫さんの精神の方が先にやられちまう」
「…独眼竜の傷は酷いのか?」
「…姫さんが庇ったから、命に別状はないし、姫さんよりは軽い。だが、重症だってことに変わりはない」
本当は、彼女が目を覚ます少し前に、奥州からの返事を受け取っていた。
それを伝えなかったのは、彼女がすぐにでも帰ると言い出すことが分かっていたから。
結局、少し回り道をしただけで結果は同じ事になってしまったのだが。
「まったく…。医者は呼んでおいてやるよ。旦那に報告するついでにな」
「お前には世話になったな、佐助」
「礼はどっかの国家機密で勘弁してやるよ」
そう言って、佐助はひらひらと手を振りながら去っていった。
彼の背中を見送りながら、氷景は長い溜め息を吐く。
「主人に甘い忍だなぁ、俺も…」
静かに呟く氷景の声を聞く者は、この場所には居ない。
08.04.18