廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:松永久秀02 --
「松永様!」
見張りとして送り込んでいた兵の一人が戻ってきた。
兵は男の前に跪き、申し上げます、と声を上げる。
「青毛の軍馬を操った女が陣に近づいてきているとの報告がありました。如何なさいますか?」
「女…か」
男は考えるように一歩、また一歩と右に歩いていく。
4歩ほど進んだところで、彼はクルリと踵を返した。
「さて…。どうしたものか…」
忍び込んだ鼠を放っておくか、始末するか。
男は小さく呟く。
そんな男を見て、先ほどの兵が躊躇いつつ口を開いた。
「…不確かな情報ですが、以前伊達に入り込んだ事のある者が、そこでその女を見たと…」
「………それは面白い報告だ」
その報告により考えは定まったらしい。
男はその口元に笑みを浮かべ、兵に向き直った。
「適当に相手をしろ」
「…と言いますと…?」
「死ぬ程度の女ならば用はない。だが、その女は恐らく―――」
その答えを口にすることなく、男は「行け」と命じた。
彼の声の低さに肩を竦みあがらせ、は、と震える声で答えてから慌ててその場を離れる兵士。
それを見送るでもなく、男―――松永久秀はククッと喉を鳴らした。
「竜よりも先に戦姫が釣れた、か…」
報告の女が伊達の戦姫だったとすれば、自分の兵に止める事はできないだろう。
戦姫は千の兵の働きをすると聞く。
多少大げさに噂されているのだとしても、それに見合うだけの実力者と見てまず間違いはない。
自分の期待を裏切る結果にはならないだろう。
松永は間もなく訪れるであろう愉快なひと時のことを思い、その口角を持ち上げた。
鬱陶しい。
まず初めに思ったことだ。
松永の待つここに辿りついたまではよかった。
そこから、大量の松永軍を相手にしている。
正面から堂々と突破した以上、見つかっていないとは思っていないが…何だ、この量は。
一人ひとりはそう強くはないし、ほぼ一撃で事は終わるが、これだけの人数がいてはそれにも限界がある。
それにしても…気になるのは、どの兵も本気で止めようとしていないことだ。
その程度は、刀を交えれば自ずと分かってくる。
この兵士達からは、足止めと言うよりは時間稼ぎにも似た手の抜き具合が伺えるのだ。
彼らの行動の意味する所は何か―――
「…様子見、か…」
背後から狙ってきていた矢を振り向き様に落としつつ、そう呟く。
このままだと本命に辿り着く前に体力を奪われる一方だ。
紅は苛立ちを隠すように無表情を作り出し、腰の関節剣へと右手を伸ばした。
体力を大幅に奪われるのであまり好んで使わないのだが…こう言うときのための武器だ。
感覚を思い出すように軽く、そして強く柄を握りなおし、それを大きく左へと引いた。
勢いよく円を描くように腕を振るえば、遠心力により伸びた剣が兵達を吹き飛ばしていく。
中にはその一撃により身体の各所を失う者もいた。
それぞれが膝を折り、紅の前方に立っている者はない。
見覚えのない武器に、攻撃を逃れた兵達が狼狽するのが手に取るように分かった。
「怪我をしたくなければ退きなさい!!」
澄んでいて、しかししっかりとした意思を持った強い声がその場に響いた。
命惜しさに逃げ出す者のお蔭で、僅かながらも道ができる。
紅はその隙を逃す事無く、関節剣を戻して駆け出した。
我に返り、恐怖を押し込めるようにして向かってくる兵を小太刀でやり過ごし、兵の波を抜ける。
そして、彼女はそのまま真っ直ぐに洞窟の中へと飛び込んだ。
中はひんやりとしていて、所々に氷塊が見えていた。
まるで氷室の様だ、と思いつつ、視界の悪さから慎重に足を進める。
滑るというほどではないが、足元もやや危険だ。
谷を越えるように渡されたつり橋を渡り終えても、尚シンと静まり返っている。
先ほどの兵の波とは打って変わったその静けさが、かえって不気味だった。
いつでも抜刀できるように意識しつつも、片手を空けるべく左の小太刀を鞘に戻す。
出口とばかりに構える大きな扉の前で、紅は一旦足を止めた。
先ほどの一戦の所為で消耗した体力は、この洞窟の間に取り戻せた。
恐らく、この先には松永本人が待っているのだろう。
紅は城で見た地図を思い出しながら、一度深く呼吸をする。
そして、扉に添えた手にグッと力を込めた。
数十分ぶりの太陽の光が差し込み、紅は軽く目を細める。
太陽を直視しないように気を配りつつ、開いた扉をすり抜けた。
自身の重みで再び閉じていく分厚いそれ。
ズン、と低い音を立て、洞窟の口が閉ざされた。
視力が回復し、地理を確認しようとした紅は目の前の光景に目を見開く。
「紅様!!」
そう声を上げたのは、一人ではない。
その声は喜びであり、驚きであり、安堵であり…そして、絶望にも似たものもあった。
崖からせり出したそこに設置された太い柱。
それは2本の紐で支えられており、それを失えば柱は重心を傾けて崖へと落下する。
そんな柱に、伊達の兵達が縛り付けられていた。
たった2本の命綱で保たれている彼らの命。
紅は想像もしなかった状況に、言葉を失った。
これでは、まるで―――
「やはり辿りついたか…」
そんな声が聞こえ、紅は勢いよく振り向きつつ刀を構える。
気配に気を配る余裕すらなくしてしまうとは、何たる失態。
自身の行動に心中で舌打ちをしてから、声の主を見た。
その人物を視界で確認するのとほぼ同時に、紅は凄まじい勢いで斬り込んでいた。
ギィン、と刃がぶつかり合う音がその場に響き渡る。
二人を中心に風が吹き、それが全ての音を連れ去ってしまう。
紅様、そう声を上げていた人質達ですら、声を出してはならないような心境に駆られた。
「…なるほど。良い腕だ」
この一撃の重さは予想以上。
松永は僅かに口角を持ち上げた。
そんな彼に不愉快を露にしつつ、紅は刀を払う反動を利用して後方へと飛ぶ。
「人質を解放してもらう」
「世迷言を…たった一人で何が出来る?」
愉快でならないと言った様子で、半ば笑いながらそう問いかける彼に、紅は目を細くする。
そして、ゆっくりと刀を上段で構えた。
彼女の纏う空気はピリピリと張り詰めていて、伊達兵はごくりと息を飲んだ。
こんなにも怒っている彼女は知らない。
厳しくも優しく、そしていつだって筆頭と共に前を走っていくその背中ばかりを見ていた。
それでも、後ろをついてくる自分達の事を忘れる事はなく、時折振り向いては励ますように微笑む。
筆頭の隣に在るべき人だと尊敬する彼女。
そんな彼女が、自分達のために怒りを露にする姿は、身体が歓喜するほどに嬉しい。
だがしかし…それと同時に、彼女はここに来るべきではなかったと言う絶望感も膨らんでくる。
この残忍で冷酷な男の元に、彼女は来てはいけなかった。
技術も、実力もある。
しかし、彼女には欠けているものがあった。
腕力の差―――それはじわりじわりと彼女を追い詰める。
そこに決定的な差があることを知ってもなお、彼女は退こうとはしない。
徐々に彼女の身体に傷が増え、やがてその場に膝を着く。
「紅様ァ―――ッ!!」
誰がそう声を上げたのかはわからない。
ただ、振り上げられた松永の剣が彼女に振り下ろされる瞬間だけが、こま送りのように視界に映り込んだ。
08.03.13