廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:松永久秀01 --
その報せは突然やってきた。
政宗の留守を任された紅は、丁度訓練の時間であった。
伊達兵の中に彼女の実力を軽んじる者は居ない。
誰もが奥州第2位の強さを誇っていると理解し、尊敬と憧れの念を抱いている。
だからこそ、彼女が鍛錬場に顔を出した時のみ聞くことが出来る助言はまた一味違う。
「左右の手の間隔が狭いわね。それだと構えた時にバランスが取れないわ」
通常の木刀よりも短く作られたそれを片手に、紅はそう言って助言した。
姿は不良と呼ぶに相応しい…と言うよりも、それ以外に呼び方がわからないような兵は、素直に頷く。
「もう一本お願いします!」
「…じゃあ、あと一本だけ」
そう言って笑い、紅は木刀を構える。
助言の後に追加の一本を求められることは少なくはない。
寧ろ、求められない方が少ないくらいだ。
初めは各兵の時間が短くなるからと思っていた彼女も、全員がそうなので構わないだろうと思っている。
一本の後、気になった所を助言し、その後もう一本。
これが、一人の兵に費やす時間だった。
「政宗様はこちらにいらっしゃいますか!?」
鍛錬場の入り口からそんな声が聞こえた。
様子を見るようにと防戦一方だった紅は、その声に早々に決着をつける。
紅がくるりと踵を返すと、進行方向に群がっていた兵らが一斉に左右に割れた。
「政宗様は小十郎様を連れて北の国境に向かっておられるわ。どうしたの?」
そんな紅の声に、例の言葉を発した兵は膝をついて頭を垂れる。
彼は、絞るような声で告げた。
「松永久秀と名乗る男が斥候を人質に取り、筆頭を出せと…!」
「…松永久秀…」
名前を覚えこむようにと、その名を呟く。
聞いたことのない名前だ。
悠希あたりに聞けば何かわかるのだろうけれど、生憎そんな悠長な状況ではない。
先ほどまでの訓練とは一変、刺すような空気を纏う彼女に、鍛錬場の中が凍りつく。
「人質は何人?」
「およそ30人です!」
「…今回の斥候は、50人ほどだったわね。………残りはどうしたの」
「――――…っ。松永兵に待ち伏せされ…っ」
唇を噛み締める彼に、紅は「そう…」と表情に影を落とす。
無言のままに木刀を片付けると、襷を解く。
「詳細を聞くわ。用意を整えて。暁斗、あなたの判断で雪耶の家臣の中から3人集めて」
「は!」
そう言うと、紅は自分も用意を整えるべく足早に鍛錬場を後にする。
彼女が消え、漸くその場の緊張が解かれた。
気がつけば握り締めた手の平がじっとりと濡れている者も居て、その緊張感が窺える。
「紅様怒ってたよな…」
「あぁ。ぶちきれ寸前って感じだったぜ…」
背筋を逆立たせるほどの怒気は、鋭く冷たかった。
自分たちが向けられているわけではないのに、そう感じるほどなのだ。
向けられる本人だったらと思うと、ゾッとする。
その後はとても訓練と言う気分にはなれなかった。
紅の殺気も原因の一つではあるが、それよりも仲間のことが心配だったのだ。
自分たちにどうすることも出来ないとわかっていても、のんびりと訓練などしていて良いものか。
誰もが口を噤み、場内は今までにないほどに静まっていた。
「状況は最悪ね」
地図を見下ろし、朱色で書き加えられた情報を見下ろした紅がそう呟いた。
指定されている場所に向かうには、洞窟を抜けなければならない。
しかし、洞窟と言えば満足な明かるさは期待できないだろう。
視界が悪い中、待ち伏せの予想されるそこを通るにはそれなりの準備が必要だ。
本当ならばすぐに氷景を向かわせ、情報を探らせるのだが…彼は政宗についていっている。
城から出ない自分より、政宗様と共に行った方が役に立つ。
渋る氷景をそう説き伏せ、彼と共に向かわせたのだ。
「ここは、やはり筆頭の帰りを待つのが上策でしょう」
「しかし、松永と名乗る男がその時間を許すかどうか…」
家臣らが互いの意見を出し合う。
それらを聞きつつ、地図を見下ろす紅。
「…多勢を向かわせると、力で対抗していると取られてしまうでしょうね。それなら…向かうのは少数」
彼女の呟きに、その場はしんと静まり返る。
そんな変化を気にすることもなく、彼女は自身の考えをまとめるように続けた。
「これ以上の被害を出さない為に――――…私が行くわ」
「紅様!?」
「何を仰いますか!!」
「そのようなこと、雪耶の家臣一同で反対いたします!」
彼女の結論に、その場がざわめく。
交互に声を上げる彼らを他所に、彼女は地図を折りたたんだ。
そして、依然として反対の声を発する彼らを一瞥し、口を開く。
「命令よ。政宗様が戻られたら…必ずお止めして。何があっても私たちを追ってこないように」
「紅…様?」
「松永の狙いが政宗様の刀である以上、あの方を向かわせてはいけない。
私たちは、政宗様も…刀も、失うわけには行かないのだから」
彼だけは何があっても守らなければならない。
紅の強い思いを耳にした彼らは、その口を噤む。
「…最後の譲歩です。筆頭が戻られたら、氷景を向かわせます。それだけはお許しください」
「……ええ、わかったわ」
氷景ならば、戻ってその話を聞けば城で待機するなど、考えもしないだろう。
家臣の一人の申し出に、紅は頷いた。
そして、壁の所に立て掛けていた小太刀を腰に挿す。
背中に流していた髪を高い位置で結い上げつつ、外への道を歩き出した。
彼女に付き従うようにして、室内の一行が移動する。
「紅様…くれぐれもお気をつけください。松永久秀は残忍な男です」
紅のすぐ後ろに並んだのは、何とか報告を持ち帰ってくれた例の兵だ。
彼自身はその目で松永久秀を見ている。
だからこそ、彼女を止めるべきだと言う想いが未だに残っていた。
「あの野郎、俺達の仲間を嘲笑いながら…っ」
その時のことを思い出したのか、彼はそう言って言葉を詰まらせる。
そんな彼に、紅は足を止めた。
「私も…悔しくてならないわ。死んでいった彼らの為にも…人質は助け出す」
そのために、彼女は単身で松永の元へと乗り込もうというのだ。
それを過信だと言う者は誰一人としていなかった。
過信なのかも知れないけれど、現状でそれを実行する事の出来る可能性を持つ者は、彼女以外には居ない。
政宗の判断を仰ぐべきだと思う反面、巻き込んではならないと思う。
あの人は、人質の存在を知れば間違いなく自ら乗り込んでいってしまうような人だから。
手早く準備を済ませ、馬屋へと辿りついた紅。
彼女は丸めた指先を唇へと運んだ。
ピュイ、と短く指笛を吹けば、運動場に居た青毛の馬が耳をピンと立てる。
彼は紅の姿を見るなり、即座に柵の方へと駆け寄ってきた。
「虎吉の馬装を」
「はい!」
世話役にそう指示を出し、準備が整うのを待つ。
彼女の纏う張り詰めた空気に気付いているのか、いつも以上にいきり立つ虎吉。
手綱をしっかりと装着し終えた所で、彼は一度大きく嘶いた。
「…よろしくね、虎吉」
そう言って彼の首をポンポンと強く撫で、鐙を使ってその背に乗せた鞍に跨る。
腰の刀が邪魔にならないようにと一度着衣の裾を捌いてから、そこに居る家臣らを一望する。
「頼んだわよ」
「紅様も、お気をつけて…」
そう言って一人が彼女の外套を差し出す。
それを羽織り、小さく安心させるような笑みを残した。
は!と声を掛けて腹を蹴れば、虎吉は有り余る力のままに勢いよく走り出す。
08.03.04