廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 番外編:まつ 摺上原双竜陣02 --
三つ並んだお握り全てが男の腹に収まり、漸く正常な思考が戻ってきたようだ。
彼はまつ同様に深く頭を下げた。
「某、前田利家と申す。誠かたじけない。実に美味い握り飯だった」
「雪耶紅と申します。お気に召したようで何よりです。お怪我はありませんか?」
お握りに美味いもまずいもあるのだろうか。
そんな事を考えつつ、口をついて出てくるのは全く違う事だ。
世渡りが上手くなっている気がするなぁ、と思いつつ、そう尋ねる。
彼は今一度自身の身体を見下ろし、怪我がないことを伝えた。
「それはそうと…。まつ、そろそろ城に戻らぬか?」
「何を仰います、犬千代様!新鮮で美味しいと噂されるお野菜は目前です!もう少し辛抱なさいませ!」
「しかし、旅先では心行くまで飯が食えん。某はまつの美味い飯を腹いっぱい食いたいのだ」
「まぁ!そう言われるとまつも嬉しゅうございます。でも、お野菜は諦めませんわ!」
何だか居心地の悪い空気になってきた気がする。
そろそろ帰りたいなぁ、と思っていた紅は、ふとある言葉が脳内に留まっている事に気づく。
「(…新鮮な野菜って…)」
まさか、だろう。
いや、そんな筈は…。
否定しようと思うのだが、これが中々難しい。
相手が別の人だったならば、そんな馬鹿な理由で、と笑って否定も出来よう。
しかし、それを言っているのが目の前の二人なのだ。
この二人だと、どうもありえる気がしてならない。
「あの…もしかしなくても、野菜を求めて遠路遥々奥州まで…?」
控えめに声を掛ければ、二人の桃色の空気の応酬が途絶える。
まつが嬉しそうにはい、と頷くのを見て、紅は心中で脱力した。
「一応、名目は犬千代様の甥を探しに来たのですが…。
道中、とても美味しいお野菜を育てておられる方が居ると聞き、つい進路を変更してしまいました。
お台所を預かる者として、美味しい食材を諦める事は出来ませんわ」
スラスラと詰まる事もなくそう言い切る彼女。
そこまで言った所で、彼女はポン、と手を叩いた。
「紅様は奥州で暮らしておられるのですか?」
「ええ。そんな、様だなんて…私に必要ありませんよ」
「では紅さんとお呼びしますわ。紅さんはその方について何かご存知ありませぬか?」
きらきらと期待に満ちた視線が紅へと向けられる。
その噂の人物は、恐らくあの人のことなのだろう。
紅自身も毎日のようにその野菜を食べているのだから、その質の良さは舌が覚えている。
「…えっと…」
「はい!」
「………伊達軍に、そんな人が居ると…噂は聞いたことがあります」
「誠にござりまするか!?伊達軍ですね!」
言い終えるが早いか、まつはスクッとその場から立ち上がった。
以心伝心と言うか、利家も同様に立ち上がり、すでに馬に乗っている。
「まつ!行くぞ!!」
「はい、犬千代様!紅さん、お元気で!!」
ひらりと利家の後ろに飛び乗ると、二人を乗せた馬は真っ直ぐに東へと駆けていく。
止める間もなく走り去ってしまった彼らに、残された紅は呆気に取られた。
行動力があるなんて可愛らしいものではない。
あれは猪突猛進だ。
「…君、置いていかれちゃったね」
虎吉と寄り添うようにしてそこに残っている馬の頬を撫でる。
ヒン…とどこか寂しげな鳴き声をあげた。
「って言うか、城は北なんだけど。あっちは…双竜陣があるんじゃなかったっけ…」
この辺りの地理を思い出しつつ、紅はそう呟いた。
それから、鐙に足を掛けて虎吉の背に跨る。
残った馬をどうしようかと悩んだが、ゆっくりと彼を進ませた。
どうやら頭の良い馬らしく、栗毛の馬は虎吉に続くように歩いてくる。
「まぁ、城で待っていれば出会うでしょうから…一緒に行こうか」
後ろをついてくる馬にそう声を掛け、軽く虎吉の腹を蹴った。
紅が城に着いたのは日が暮れる間際だった。
多少は疲れたようだが、虎吉も例の馬も元気そうな様子。
馬屋の兵に虎吉を預けるついでに、栗毛の馬の世話も頼んでおく。
「紅様。どうされたんですか、この馬」
「んー…一応、預かりもの…かな。迎えに来なければ軍馬にするから、そのつもりで世話をよろしく」
「はぁ…。まぁ、了解しました」
不確か極まりない紅の言葉に、とりあえず頷く兵士。
紅はよろしく、と言い残して馬屋を後にした。
まず何よりも風呂。
土埃の汚れを落とすために、紅は足を進める。
いつもよりも少し長めの風呂を終え、廊下を歩いていた紅は前から角の向こうに政宗の気配を捉えた。
少しだけ足を速めて角を曲がれば、足音に気付いていたらしい彼がこちらを向いて僅かに口角を持ち上げる。
来い、とばかりに手を招かれ、迷いもなく彼の元へと足を進めた。
「帰ってたのか」
「はい。先にお風呂を頂きました」
「あぁ、構わねぇよ。1日中出掛けてたな」
「半日ほどにするつもりだったのですが、色々とありまして…」
そう答えている途中で、政宗の手が手拭いで髪を拭う紅の手首を取る。
思わず彼を見上げた彼女に視線を向ける事無く、目はその掌を見つめたままだ。
「手綱で引っ掻いたのか?」
珍しいな、と呟きつつ、彼の長い指が掌に残る擦り傷を撫でた。
すでに瘡蓋になっているそこは、触れられると少しだけ痛みを伝えてくる。
思わず逃げるように動いた手に、彼は少し表情を歪めた。
「手当ては?」
「必要ないかと思いまして…この程度、舐めておいても治ります」
「ほぉ…?俺に舐められるのと、手当てをするのと…どっちがいい?」
そう問われ、紅は言葉を理解すると同時に腕を引く。
だが、それで逃がしてくれるような人ではない。
がっちりと掴まれた手は殆ど動かなかった。
紅は短く息を吐き、手当てします、と答える。
「いい子だ」と笑い、舐める代わりとばかりに手の甲に唇を落とす政宗。
「部屋に手当ての用意をさせとけ。風呂から出たら手伝ってやる」
「いえ、別に一人でも…」
「利き腕が負傷してんのに出来んのか?」
「……………お願いします」
にやり、と形容できる笑顔で問われ、紅は渋々ながらも頷いた。
手当ての用意は後で楓にでも伝えておけばいいだろう。
紅は政宗に手首を掴まれたまま、そんな事を考えていた。
「この怪我は、“色々とあった”ことが原因か?」
全てお見通しなのだろうか。
見下ろしてくる独眼を見つめ返し、紅は頷いた。
「ま、害がないならいいが…あんまり無茶はすんなよ。痕が残ったら勿体無いだろ」
「勿体無いかどうかはわかりませんが…分かりました」
「それと、話は変わるが…明日は忙しくなりそうだ。詳しい事は氷景から聞いておけ」
そう言うと彼は漸く紅の手を解放した。
そのまま歩いていく彼を見送り、周囲の気配に集中する紅。
どうやら、丁度いいことに氷景はこちらに向かってきているようだ。
「氷景」
少しだけ大きめに声を上げれば、その場に姿を見せる彼。
何と言うか…忍と言うのは神出鬼没だ。
気配が読めなければ、人間なのかと疑いたくなる所だろう。
「明日って何かあった?」
「どうやら、久しぶりに双竜陣を動かすらしい」
「双竜陣を…。………まったく、運がいいのか悪いのか…悩む所ねぇ…」
明日の双竜陣は少し荒れそうだ。
政宗が喜びそうだな、と楽しむ彼を思い浮かべ、小さく笑みを零す。
そんな彼女に、氷景は不思議そうに首を傾げた。
08.01.15