廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 番外編:まつ 摺上原双竜陣01 --

紅が城を出るのは、何も珍しい事ではない。
彼女の土地を見に行ったり、斥候と共に国境に向かってみたり、虎吉の運動がてら遠乗りに出てみたり。
とにかく、彼女は行動的だ。
城の中でじっとしているような女ではないと分かっている政宗はそれを咎める事もなく自由にさせている。
と言うより、5回に2回は彼も共に出かけるのだから、文句を言う必要がないのだ。
そして、今日も今日とて、城を出た紅は奥州内を南下していた。





「天気がいいね、虎吉」

今日の名目は虎吉の運動である。
この所、城内での仕事が忙しくて彼に構っている時間がなかった。
漸くゆっくりと出来る時間を得た彼女は、馬屋の兵から「虎吉の機嫌が悪い」と相談を受けていたのを思い出す。
そして、空いた時間で彼のご機嫌でも取っておこうと朝から馬装を頼んでおいたのだ。
心地よい風が吹く草原を虎吉の背で揺られながら歩く。
久々の遠出に満足しているのか、虎吉の足取りも軽やかだ。
見晴らしのよい草原は、数十メートル先までしっかり見通すことが出来る。
現代ではありえない光景だな、と思いつつ、視界のずっと先に目を向ける紅。
そして、ふと何かを見つけた。

「…馬………と、人?」

まず馬が出てきたのは、それが猛スピードでこちらに向けて走ってきているから。
野生の馬が駆けていても別に珍しい事ではないため、人が乗っていると断言できなかった。
その上に人が乗っていると理解できたのは、3秒ほど経ってからだ。
よく分からないが暴走しているらしい馬とその上に人。
そして、暴走した速度ではなくその後を追って来るもう一組。

「…止めた方がいい…のかしら」

そもそも、どこの人かもわからない。
奥州内の人間なのだろうか…そんな事を思いつつ、紅は虎吉の手綱を持つ右手を引く。
くい、と虎吉が馬首を動かし、その二組の方へと向き直った。

「ちょっと行ってみようか、虎吉」

そう言って腹を蹴れば、虎吉は命令通りに短い草の上を駆け出す。














暴走馬との距離が約30メートル。
随分とその姿も克明になった。
紅はその馬の背で首にもたれかかるように倒れこんでいる人間を見て、軽く眉を顰める。
裸…ではないが、それ同然ではないか。
普段からその格好なのか、中々良い色に焼けた身体をダランと馬の上で伏せている…男性…だろう、多分。
あんな露出狂のような女性が居るとは思いたくない。
紅は、後ろからついてきている人もそんな格好だったならば、見なかったことにしようと心に決める。
そして、縋るような思いを胸にその後ろの一組を見た。

「…良かった、普通ね」

こちらはどうやら女性のようで、必死に馬を操りながら何やら声を上げている。
一度では聞き取れなかった紅は、その声に意識を集中させた。

「―――ょさまーっ!!手綱を!」

どうやら、名前と共に手綱を取れと叫んでいるようだ。
必死に声を掛けるも、前の男性は同じ姿勢のまま紅の方へとどんどん近づいてくる。
はぁ、と短く息を吐き出し、紅は虎吉の馬首を返した。
彼らに背を向けるように位置を整え、上半身だけで振り向く。
20メートル、10メートル、8メートル、6メートル…。
残り3メートルほどの所で、虎吉の腹を蹴る。
一気に加速した彼は、持ち前の俊足で暴走する馬に追いつく。
紅は手綱を片手で操り、虎吉の速度を調節しながら隣を並走した。
そのまま足でしっかりと鞍を挟み込むようにして、空いている腕を男性の馬へと伸ばす。
速度をあわせているとは言え、別々に走っている馬だ。
一度で手綱を取る事は出来ず、舌打ちをしてもう一度腕を伸ばす。
指先に引っかかったそれを無理やりに掌に引き寄せ、しっかりと握りこんだ。
そこから先もまた難関だ。
虎吉の速度を徐々に落としつつ、それに合わせる様に暴走した馬を落ち着かせなければならない。
手綱を取ってから数十メートルも移動して、漸く馬がその足を止めた。

「…大丈夫ですか!?」

ひらりと虎吉の背中から降りると、馬の背に凭れかかる男性に声を掛ける。
うぅ、と言う呻き声が聞こえ、僅かに安堵した。

「大丈夫ですか?手をお貸ししますから…」
「………―――」
「はい?」
「……………腹減ったぁ…」

―――雪耶紅、初めて空腹が原因で馬術を誤る人と出会いました。











呆気に取られていた紅だが、とりあえず男性に手を貸して馬から下りてもらう。
また下手な事をして暴走されたら、今度は助ける気にはならないように思ったからだ。
彼を降ろした所で、漸く後ろの女性が追いついてきた。
彼女は身形も構わず馬から飛び降り、座り込む男性の元へと駆け寄ってくる。

「犬千代様!お怪我はありませぬか!?」

男性の身を案じつつ、その身体に目立った外傷がないことを確認する。
それにホッと安堵の息を零し、それから紅を見上げた。

「何とお礼を申し上げてよいのか…!本当に、ありがとうございました!」
「いえ、別に構いませんが………あの、失礼ですが、その方はどうして…」

理由を聞いてしまったのは、先のあれが幻聴であると思い込みたかったからなのかもしれない。
しかし、そんな紅の思いに反して、女性は申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「どうやら朝餉の量が足りなかったようで…。偶々馬を2頭にした事が仇になったようです」

あぁ、やっぱり空腹が原因なんですね。
軽く眩暈を覚えつつ、紅は今一度自分の常識を見つめなおした。

「申し遅れました。私、前田利家が妻、まつと申します。この度は大変ご迷惑をお掛けいたしました…」

草原に正座し、そう名乗って頭を深々と下げる。
場所が場所なので何とも様にならない光景なのだが、とりあえず紅もその場に座った。

「雪耶紅と申します。あの、どうぞお気になさらず…」

頭を上げてください、とそう言えば、彼女…まつは静かにそれを持ち上げた。
そして、もう一度お礼を言い、柔らかく微笑む。
それに吊られるようにして、紅も何とか笑みを浮かべられるまで落ち着きを取り戻した。
だが次の瞬間、その穏やかな空気は一変する。

「まつ~…某はもう駄目だぁ~…」

ガクッと全身の力を抜いて草原に横たわる彼。
まぁ、大変!と彼に向き直るまつを見て、紅はふと自分の荷物を思い出した。

「あの…お握りでよろしければ、召し上がりますか?」

遠足じゃないのだから、と言ったのだが、ほぼ無理やりに渡されたそれ。
まさかこんな所で役に立つとは思わなかったけれど。

08.01.14