廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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振り上げられた刀を見つめ、紅は冷静だった。
隙だらけの一撃は、彼女からすれば時間が止まっているようなものだ。
例え自分の刀があろうがなかろうが、結果は変わらない。
紅が刀を手放した理由はただ一つ―――夕日の刀を、彼女自身から外すためだけ。

「そんな震える刀では、人は斬れませんよ」

紅の声が、夕日の耳へと届く。
振り上げた腕が動かない。
気付けば、前から伸びた彼女の手が、夕日の持つ刀の柄の先を押さえていた。
手首だけを動かそうとしても、刀はピクリとも反応しない。

「人を斬るには覚悟が要るんです」
「覚悟ならあるわ!私は、紅ちゃんを―――」
「いいえ、出来ません。あなたも、優しい人ですから」

出来るはずがない、と紅は微笑んだ。
夕日を支配していた狂気が揺らぐのを見て、大丈夫だと確信する。
彼女はまだ、戻れる。

「私は…悠希を連れて帰るのよ!あの子を守るって…両親に誓ったんだから!!」

我武者羅に刀を動かそうと暴れる夕日。
紅は小さく表情を歪め、空いた手で刀を掴む彼女の手首を握りしめた。
指の関節を使って強く握りこめば、痛みによって握力が緩む。
その隙を見逃さず、一瞬の勢いで刀を奪い、手の届かない遠い所へと放り投げる。
真っ直ぐに飛んだそれがドンと音を立てて床板に突き刺さった。

「私が悠希を巻き込んで、帰る方法を探す事もせず、この世界に生きる意味を見つけてしまった。
ごめんなさい。何度謝っても、きっと足りない。私…夕日さんの気持ちを考えた事もなかった」

残してきた家族の事を考えた事はある。
けれど、それはあくまで自分の家族の事だけ。
その家族だって、悠希から「大丈夫だ」と聞かされていたから、あまり気にしていなかった。
自分の生きる場所はここなのだと、その想いには迷いがなかった。
紅の家族の事は、後から来た悠希から聞くことが出来ていた。
では、悠希の家族の事は?
今更、自分の愚かさに気付き、吐き気がした。
「悠希を育てる事だけを考えて頑張ってきたあなたが、彼女を失ってどう思うか…」
初めての恋に溺れ、それ以外の全てを見ていなかった。
それが、自分の罪。
夕日の持つ刃を受ける事で、彼女が満足するなら―――そうすべきなのかもしれない。
けれど、例え許されないとしても、死ぬわけにはいかないから。
この命は自分一人のものではないのだと、知っているから。

「許さなくていい。私を恨んでください。けれど…お願いだから、こんな場所に身を置かないでください」

ここは、彼女がいるべき場所ではない。
事情を話し、政宗を説得して城へと連れて帰ろう。
彼女を救ってくれた竹中は敵だけれど、恩人でもある。
彼には、自分が個人的に感謝を伝えよう。

「だから―――」

ふと、夕日を見つめる紅の目が見開かれた。

「―――っ氷景!!!」

咄嗟に、その名を呼ぶ。
恐らく、この場の誰よりも紅を理解し、眼差し一つで考えを読み取ってくれる、彼の名を。
名を呼ばれるのよりも僅かに早く影が動き、一直線に飛んできた矢を弾いた。
その音を聞いて、夕日が驚いたように振り向いた。

「…悠希…?」

夕日の声が震える。
入口、彼女の背中側に立ち、矢を放った状態のままで驚きに表情を染めているのは、悠希だ。

「姉、さん…?」

この動揺を見る限り、彼女は紅の前に立つ背中を夕日と知らず矢を放ったのだろう。
紅もまた、悠希がここに居る事に驚き、思わず氷景に視線を向ける。

「紛れ込んでたらしい。さっき、筆頭が気付いた」
「…そう」

呼ぶ前に動けたのは、いずれここに来るだろう悠希の動向に注意していたからなのだろう。










「姉さん、本物…なの?」
「悠希…」
「どうして…どうして、姉さんまで…!?」

悠希の声が純粋な驚きとは別の色を含む。
それが、拒絶にも似た否定の音を含めていたことに、この場の誰もが気付いた。
もちろん、夕日自身も。

「…そう、よね…」

顔を俯かせ、呟く夕日の声が低くなる。

「悠希には…もう、大切な人がいるんだもの…」

誰かに聞かせるためのものではなく、自分自身に言い聞かせるためのように。
夕日の声に、紅が眉を顰めた。
しかし、次の瞬間、彼女は持っていた小太刀を抜いて振り向く。
ヒュン、と空気を裂いて伸びてきたそれを正面から受け止めた。
刃同士が弾けた後、ジャランと足元に蜷局を撒く。

「やれやれ…相変わらず、君には隙がないね」
「竹中…」
「夕日。君にあげられる時間は終わりだ」

腕を引いて関節剣を手元へと戻した竹中は、覆面の下で目を細める。
動かない夕日に苛立ったのか、パシン、と刃を手の平で鳴らした。

「―――来るんだ」

低くなった声は、紅や悠希が知る以上の意味を持って夕日の耳へと届く。
ゆるゆると顔を上げた彼女は、悠希を見ることなく身体を反転させ、竹中の元へと歩いていく。

「姉さん!!」

引き止める声に、一瞬だけ揺れた横顔。
けれど、彼女は足を止めることなく竹中の隣へと立った。

「…まったく、憎らしいくらいに良い軍だよ、伊達軍は。誇っていい」

竹中はそう言って肩を竦めた。
挑発するような声にも、紅は冷静な目を返す。

「この城は好きにするといい。いずれ…近い決着の時に、奥州ごと受け取ることにするよ」
「悪いけど、逃がすつもりはないわ」
「…これでもかい?」

その言葉と共に刀が夕日の喉に添えられた。
悠希が息を飲み、紅は心中で舌を打つ。
夕日自身がそうするのと、竹中がそうするのとでは意味が違う。
彼は、必要があれば躊躇いなど微塵も見せず、彼女の喉を掻っ切るだろう。

「今回は、彼女の切実な望みを叶えただけだ。それに…焦る事はない。決着の時は近い」

刀を納め、歩き出す竹中に続き、夕日も姿を消す。
紅たちはただ、それを見送るしかできなかった。

11.04.29