廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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「豊臣が兵を挙げた」

夕餉の後、政宗は紅と小十郎以外を部屋から出した。
そして、開口一番、それを告げる。

「氷景の情報だ」

間違いはない、と言う政宗の言葉に、部屋の隅に現れた氷景が頷く。

「様子見なのか、将として出てきてるのは竹中半兵衛だけ。豊臣自身はまだ出てきてない」

竹中半兵衛―――その名に、紅が無言で唇を結ぶ。
小十郎が用意した地図を見ながら、軍の位置に石を置く氷景。

「紅、お前は今回は―――紅?」

地図を見ていた政宗が彼女を呼ぶ。
いつもなら即座に返事の声が上がるのだが、返ってくるのは沈黙ばかり。
異変に気付いた政宗が顔を上げても、彼女は何か考え込んだ様子で視線を落としていた。

「紅!」

彼女の視界に差し込んだ手で指先をパチンと鳴らす。
そうすることで漸く意識を取り戻した彼女は、即座にすみませんと謝罪を口にした。

「どうした?疲れてるなら、もう―――」
「いえ、大丈夫です」

続けてくださいと言う彼女の強い言葉に遮られ、政宗は僅かに表情を歪める。
気を悪くしたわけではない。
その行動が、紅らしくないと感じたのだ。

「今回の戦は、そう規模の大きい物じゃない。お前は城に置いて行く。わかってるな?」

戦に参加しないと言うことは、既に決まっていたことだ。
あえてそれを確認する意味は、念押しなのだろう。
紅は問いかけに沈黙を返す。
そして、決意したように視線を上げた。
政宗の前で深く頭を下げる。

「申し訳ありません。今回のみ………私も将として軍に加わります」
「姫さん!?」
「紅様、何を…!?」

驚きの声を上げたのは氷景と小十郎だ。
政宗は、声もなく目を見開き―――そして、彼女の真意を見定めるように、目を細めた。

「理由を聞く」

その言葉が来ると予想していた。
紅は何も答えず、氷景と小十郎を見る。
視線だけで何かを察した二人は、静かにその部屋を後にした。
気配が消えたところで、紅はもう一度政宗に向き直る。

「今日、これを受け取りました」

そう言って手渡された手紙を読んだ政宗が、眉間にしわを寄せる。
無理もない―――彼ならば、すぐに家紋が竹中半兵衛のものだと気付いただろう。

「この際、渡された経緯はどうでもいい。どういう意味だ?」
「――――」

そう問われ、紅は政宗から視線を逸らすことなく、ただ唇を結んだ。
答えるつもりがないことは明白。
数秒間の沈黙の末、深い溜息を吐き出したのは彼の方だ。

「お前の腹にはガキがいる。それを理解した上で―――戦に出るのか」

最早、問いかけですらなかった。
鋭い目が、彼が多少なりとも怒っているのだと感じさせる。
けれど、紅もまた、譲ろうとはしなかった。
強い意志を以て政宗を見つめ返し、そして答える。

「お願いします」
「医者の話ではまだ安定していないらしいな。その状態で馬に乗って戦場を走って―――」

その続きはなかった。
どうなるのか、わかっているのか。
政宗の独眼がそう問いかけてくる。
わかっている―――その一言で片付けられないような危険な行動だと、理解しているつもりだ。
けれど、それでも。

「これだけは、譲れません」
「子を犠牲にする覚悟はあるのか?」

紅の身体が強張るのを見た。
彼女とて、可能性を考えていなかったわけではないだろう。
恐らく、一番にそれを考えたはずだ。
敵を斬ることにすら、哀しい目を見せる彼女。
その彼女が、自分が愛したいと言った子を犠牲にするかもしれない行動を取ろうとしている。
竹中半兵衛の言う“音”とは、彼女にとってそれほどに重要なものなのか。
彼女の悩み、苦しみは理解できる―――けれど、納得は難しい。
その原因は、彼女が何も説明しようとしないからだ。
自らの中で自己完結し、そして勝手に解決しようとしている。

「紅」

政宗は自分自身の感情を抑え、彼女を呼んだ。
何も言えない彼女の手を取り、指を絡める。
政宗が何を言うのか…紅の目は、不安に揺れていた。

「…紅」

片方で指先を絡めたまま、もう片方の手が彼女の頬に触れる。
慣れたぬくもりは肌に馴染み、心を閉じ込めた殻が、崩れ始めた。








気が付けば、頬に伝う涙が政宗の指を濡らしていた。
一粒、二粒。
零れ落ちた涙と一緒に、心の殻が剥がれ落ちる。

「私は…怖いんです」
「何が怖い?」

優しい声がその先を促す。
もう、全てを吐き出してしまってもいいだろうか。

「―――あなたと…ずっと、一緒に…」
「何に怯えてるんだ?お前の居場所はここだろうが」

違うのだ、そうではない。
紅は頭を振る。

「私は…っ、世界に弾かれるのが怖い…っ!!」

自分の居場所はここだけだと思っている。
けれど、紅はもともとこの時代、この世界に生きる人間ではない。
ここに流れたのが突然ならば、また流れる時も突然なのかもしれない。
不安は静かに、けれど常に、彼女の傍らにあった。

「紅…」
「私が最期の時までここに存在していられる保証はどこにもないんです!」

どれほど切望したとしても、それは紅の一存により決まることではない。
目に見えぬ、言葉では語れぬ力によるもの。

「だから、私は―――」

悲痛な叫びをあげていた彼女は、ぐらりと視界が揺れるのを感じた。
強烈な眩暈が視界を蒼く塗り潰す。
咄嗟に、傾いだ身体を、政宗が抱き留めた。

「紅!?」

心配そうな政宗の声を聞きながら、彼女の思考が沈んでいく。
縋るように、彼の着物を握りしめた。

10.11.28