廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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「紅様、後生ですから…!!」
あぁ、またか。
どこからともなく聞こえてきた誰かの声に、誰かがそんなことを思う。
日常的に繰り返されているやり取りには、最早苦笑しか零れない。
紅様らしいなぁ、とは思うけれど、そのらしさを受け入れてばかりではいけない現実。
周囲が言わなければ、自分が身重だと言うことを忘れて動き回る彼女。
米沢城の人間は、日々紅の行動に目を光らせていた。
「皆、過保護ね」
温かくしてくださいと言われて着物を一枚重ねられた。
動きにくいことこの上ないけれど、今にも泣きだしそうな女中を見れば無下にも出来ず。
仕方なくそれを羽織った紅は、自室から城下町を見下ろして呟いた。
「そりゃあ…待望の第一子だからな」
「…まだあまり実感はないわ。不調も最近は減っているし…」
寧ろ身体を動かしたくて仕方ないのだが、木刀を握ればどこからともなく駆けつけてくる家来たち。
この間など、一汗かく前に十数人の家来に土下座で頼み込まれた。
あんな風にされるほど悪いことはしていない―――はずなのだが。
「政宗様がお忙しくしているのに、私だけのんびりするのは気が引けるわ」
「いや、筆頭からも言われてるだろ?無茶するなよ」
「…そうなのよね」
はぁ、と溜め息を吐き出す。
まだ安定期には入っていないので、無茶してはいけないとはわかっているのだ。
ただ、これからどう変化するかわからない身体を抱えてじっとしていると、良くないことばかり考えてしまう。
動いて気が紛れれば、と思っても、それは良くなくて。
堂々巡りを繰り返す日々に、少し嫌気がさしていた。
身体が変化すれば、それに伴って自覚も出来てくるのだろうけれど。
「そんな姫さんに朗報だ」
そう言った氷景が、懐から文を取り出した。
緋色の紐で括ってあるそれを手渡された紅は、慣れた手つきで紐を解く。
「え?」
読み進めて数秒、顔を上げた紅が求めることに気付き、氷景が頷いた。
「既に港に輿を手配した」
「あ、ありがとう。仕事が早いわね」
「文は二通あって、一つは俺に宛てられていたからな」
その内容は、こうだ。
―――今から行くね~。お迎えよろしく!
言わずもがな、悠希からの手紙である。
この手紙を書く時点で『今から行く』なのだから、既に出発しているはずだ。
迎えが間に合わない、と思ったけれど、流石は悠希。
ちゃっかり自分で氷景に迎えを頼んでいたらしい。
「明日には城に着くはずだ。筆頭にも伝えてある」
「…本当に、仕事が早くて助かるわ」
「それが俺の仕事だからな。とにかく、今日はゆっくり過ごしてくれよ」
氷景は紅からの了承の返事を聞き、一旦部屋を離れた。
彼女が気配を察知できないギリギリまで離れると、そこで立ち止まる。
タイミングを見計らったようにどこからともなく姿を見せる部下。
「どうだ?」
「豊臣に向かった部隊が全滅です。何とか命はありますが、暫くは使い物になりません」
「………守りを強化したか…何かありそうだな。探れるか?」
「努めてはおりますが…」
「無理ならやめとけ。今は命を捨てるべき時じゃない」
良い返事を聞かせられない後ろめたさなのか、部下は一度も顔をあげなかった。
諜報に関しては、伊達の忍の中では氷景が随一だ。
と言うよりは、伊達の忍は数が少ない。
氷景が紅の忍となってから、必要だと判断して忍部隊を結成したからだ。
いつか、こうして自由に城を離れられなくなるとわかっていたからこそ、自らの手足となる忍を育成した。
「豊臣が何かしら企んでいることは確かだな。…出方を考えるから、命令を出すまでは身体を休めておけ」
「は!」
部下が姿を消した。
一人になったそこで、氷景は考え込む。
「…やっぱり、洩れたと考えるべき、だろうな」
あれだけ探り放題だった豊臣が、情報を隠した。
何かしら動きがあると判断するのは当然だ。
しかし、そんな風にあからさまな行動を取れば、企んでいますと言っているようなもの。
これは、一種の挑発とみて間違いはないのかもしれない。
こちらの警戒を誘っているのか、はたまた別の理由があるのか。
「動くだろうとは思ってたけどな…」
さて、どうするか。
事情を話せば、紅は氷景に行けと命じるだろう。
氷景ならば、この状況からでも豊臣に探りを入れることが出来る。
これを主である紅に伝えないのは、氷景の独断だ。
今、彼女の元を離れるのは得策ではない―――言うならば忍としての勘が、そう訴えてくるのだ。
竜の右目と伊達の戦姫。
この双璧は、群雄割拠のこのご時世、各国にとっては脅威だ。
特に、戦姫の名はここ数年、驚くべき速度で広まった。
双璧を崩さない限り、奥州を攻略することは出来ない―――それはある種、暗黙の了解となっている。
紅の懐妊は、その双璧の崩れを意味するのだ。
今はまだ城内に緘口令を敷いているが、本来であれば国を挙げて祝うべきもの。
城下町、そして国外に伝わるのも時間の問題だろう。
それこそ、紅が最も危惧していたことだ。
氷景の気配が探れない位置に消えた。
それはここ数日になって何度かあること。
今までであれば国外に諜報活動に出ることも多かったので、気にする必要はなかった。
けれど、今の氷景は一切諜報活動をしていない。
恐らく部下からの報告を聞いているのだろうけれど…それならば、何故自分の元を離れる必要があるのか。
それが分からないほど、紅は馬鹿ではなかった。
「何か隠しているわね」
悠希の手紙をたたみつつ、そう呟く。
命令だと言えば彼は口を割るだろうか。
それとも、上手く誤魔化してしまうだろうか。
彼は紅に忠実だが、忠実であるが故に偽る。
本気で隠すべきと判断すれば、彼は絶対に話はしないだろう。
たとえ、それが命令だったとしても、だ。
「楓、そこにいる?」
「はい。ここにおります、紅様」
「暁斗を呼んで」
すっと襖の陰から姿を見せた楓は、紅の言葉に少し沈黙した。
そんな彼女の心中に気付いた紅は苦笑と共に続ける。
「雪耶の兵の今後についての話がしたいの」
「しかし…」
「伊達には彼らの力が必要よ。誰かが、私の代わりに彼らをまとめなければならない」
政宗は、紅を戦に関わらせるな、と言った。
城の奥で穏やかに過ごさせようとしている。
城主の言葉を裏切って良いのか―――楓は判断を迫られた。
「呼んでくれないなら、自分で行くわ。この時間なら鍛練場にいるわね」
「…わかりました。呼んでまいります」
「そう?じゃあ、お願いね」
楓が頷かざるを得ない状況を作り、紅は笑顔を見せた。
言われた通り部屋の中で大人しくしているのだから、この程度は許してほしい所だ。
「政宗様のお気持ちはわかるけれど…私は、彼らの将だもの」
その立場は、何があっても覆るものではない。
たとえ政宗の望みだとしても、関わらないなんてことは出来ないのだ。
去る楓を見送りながら、この場にいない政宗に向けて、ごめんなさい、と形だけの謝罪を口にした。
10.10.30