廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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南次郎が襲撃されたあの日から半年。
動き出すと思われていた各国は膠着状態を保ったままだった。

「豊臣軍が大人しくしてるのが気になるな…」

地図上の石を見ながら、政宗がそう呟いた。
そうですね、と同意する紅。
特に、竹中半兵衛はすぐにでも挙兵すると思っていた。
悠希からの手紙には、「彼には時間がない」と記されていたから。

―――豊臣が天下を取ることへの執着心は恐ろしいわ。お願いだから、気を付けて。

彼は生き急いでる、彼女はそう書いてくれていた。
自分の命に限りがあると理解する者は、絶望するか猛進する者が多い。
ある意味、竹中は後者の人間だったのだろう。

「じりじりと領地を広げる…豊臣らしくない動きですね」

半年前までの猛進からすると、まるで火が消えたような静けさだ。
顎に手を当てて考える紅の頭には、これと言った解決策はない。









南次郎は上田城に引き取られ、そこで武田軍の武器の管理を担っているらしい。
客人として迎えると言った幸村の言葉に首を振ったのは他でもない南次郎自身だ。
役目を持たない自分が厄介になることは出来ない。
町に戻れば新しい刺客に、今度こそ命を奪われるかもしれないと知って尚、彼は頷かなかった。
そんな彼に幸村が与えた役目。
老いて現役を離れたと言っていた彼は、再び己の能力を生かす場所へと戻ってきた。
自分の存在が、自らの命のみならず、町の住民にも危険になりうるとわかっていたのだろう。
ただ、彼の矜持が、厄介者と言う立場を許さなかっただけ。

「―――」

不意に、紅が顔をあげた。
地図を見下ろして考え込んでいるらしい政宗は、彼女の様子に気付かない。

「すみません、少し」

そう声をかけると、紅はその場を後にする。
留まっていれば不審に思われてしまう。
政宗が気配を悟れる範囲を出ると、紅は壁に背中を預けて深く息を吐いた。

「姫さん」

どこからともなく姿を見せた氷景。
気遣うような声に、紅が目線を向けた。

「姫さん、やっぱり―――」
「言わないで。…わかっているのよ、ちゃんと…」

氷景の言葉を遮った紅は、そのまま目を閉じた。
戸惑う時期は、もう過ぎている。
この先は、これからどうする、と将来の行動を考えなければならない。
わかっている、わかっているけれど―――

「姫さん。筆頭は気付くぞ」
「…そうね。近いうちに…話すわ」

そう答えると、氷景は姿を消した。
付近の偵察を頼んでいるから、それに向かったのだろう。
命令を放棄したわけではなく一時的に戻ってきていたようだ。
それだけ、心配をかけていると言う事。

「…こうなるとわかっていたから、私は―――」

紅の手が下腹部をそっと撫でた。


















闇が世界を包む頃。
障子を開いて夜空を見上げていた紅は、時間を持て余していた。
もうすぐ政宗がここに来る。
ここが寝所である以上、いつも繰り返されている日常だ。
ただ一つ違うのは―――紅が、覚悟を決めていることだけ。
いずれ伝えなければならない事実を話す日を、今と決めている。
気配を感じ、次に足音を聞いた。
普通ならば緊張を高めるところなのかもしれない。
けれど、逆に徐々に落ち着いてくるのを感じていた。

「身体が冷えるぞ」

窓際に座っていた紅に気付くと、政宗はそう言った。
それでも動こうとしない彼女を見て、小さく息を吐き、かけてある着物を手に取り、彼女に近付く。
ふわりと肩に羽織らされたそれを掴み、紅は彼を見上げた。

「お話があります」
「…そうか」

何となく感じていたのだろう。
政宗は驚くでもなく頷き、紅の隣に腰を下ろした。
暫くの間、二人で並んで星空を見上げる。
しかし、どちらと示し合わせたわけでもなく視線を合わせ、星空観賞の時が終わりを告げた。

「子が出来ました」

色々な言葉を考えていたのに、出てきたのは実に簡潔な言葉だった。
逃げることなく真っ直ぐに政宗を見つめる彼女の目には、既に迷いや戸惑いはない。
けれど、そこに浮かぶ感情の中に喜びや嬉しさの類のものはない。
それが、悲しく思えた。

「…すまない」

少しの沈黙の後、政宗から告げられた言葉は謝罪。
紅は怪訝そうな表情を見せた。

「何故、あなたが謝るのですか?」
「喜びたくても喜べないんだろう?お前は…望んでいなかったからな」

そう言う政宗の表情は悲しげで、紅は漸く彼の言葉の意味を理解した。
そして同時に、違うのだと首を振る。

「喜べる時期ではないことはわかっています。けれど、私は―――嬉しかった」

天下を取るまでは産めないと言った。
だから、妊娠に気付いてまず思ったことは、「どうしよう」だった。
けれど、その次に感じたのは、どうしようもない喜び。
ここに政宗と自分の血を継ぐ子供がいる―――それは、とても幸せなことだと感じたのだ。

「あなたを守ること、支えることは私にとってとても大切なことです。今でもその気持ちに偽りはありません。
けれど…ここにある命に会いたい、愛したいと…そう、思っています」
「紅…」
「一軍を預かる将がすべきことではありません。けれど…この子を、産みたい」

お願いします、と紅は深く頭を下げた。
紅は雪耶の下にいる二千の兵を抱えている。
彼らの将として戦に臨むのは、自分の役目だ。
それを忘れているつもりはないけれど、母としての自分を望んでしまっている。
膠着状態の今、自分が抜けるその穴の大きさを理解しても、天秤は揺るがなかった。






長い沈黙の後、政宗が深くため息を吐き出した。

「お前は何でそうなんだ?」
「え?」
「それは、俺が頼むことだろうが」

顔を上げた紅の目に飛び込んできたのは、苦笑を浮かべる彼。

「お前が自らの刀で俺を支え、守ろうとしてくれていることはちゃんとわかってる。だから、頼むんだ。
俺の…俺たちの子を産んでくれ。そのために、将の任を降りて、城に残ってほしい」

それは切実な願いだった。
独眼は優しくも真剣に、紅の答えを待っている。
この眼差しの前には、過去の自分の発言に対する意地など、何の意味もないものだと思い知らされた。

「ありがとう、ございます」

涙を隠すように彼の胸元に寄り添う紅。

「それも、俺の言葉だろうが」

笑った彼は、優しく紅を抱きしめた。












「…ちっ。一人逃がしたか…」

ガサガサッと枝を分けて飛んだ氷景は、遠ざかった気配に舌を打った。
戦や暗殺の様子はなかったが、一体何を調べていたのか。
随分な人数だったな、と月を仰ぐ。






「漸く、か。随分と時間がかかったね。あと3ヶ月待って朗報が聞けないなら、兵を挙げるところだったよ」

忍からの報告を受け、やれやれと肩を竦める。
あの日から半年―――この報だけを、待っていた。

「この時を待っていたんだ」

竹中は静かに目を細めた。

10.09.25