廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 136 --

客室で一夜を明かした翌日のこと。
いつもよりも早い時間に目を覚ましていた紅は、庭先に下りる気配を感じ取る。
使い慣れることのない室内を歩いて移動し、襖を開いた。

「早くからすまない」
「構わないわ。起きていたから。それより……どうだった?」

結果を急かすように問いかける紅。
跪いて頭を下げていた氷景は、その言葉に顔を上げた。

「間に合った。とりあえず峠を越したのを見届けて帰ってきたから、問題はないだろう」
「そう…良かった」

この時代では、命に別状はないと言っても不安は捨てきれない。
しかし、忍である彼はその手の事には並の武士よりは詳しい。
それを知っているからこそ、紅は安堵したように微笑んだ。

「性格や忍としての資質には難有りだが…相変わらず、薬を作る腕は評価できるな」
「かすが?」
「あぁ。里にもあれだけ正確に薬を作れる奴はそう居ないだろう」

手放しに、とはいかなくとも、氷景がかすがを褒めている。
その様子を見て、紅は心中で首を傾げた。
何故、かすがはあんなにも氷景を敵視しているのだろうか。
氷景の方は、どちらかといえば無関心に近い。
しかしながら、褒めるべき所は素直に褒めるし、認める。
彼の対応から考えると、やはり彼女は忍には向いていないと思った。

「…彼女にお礼が言いたいわ。どこにいるか、知っている?」
「必要ない」

氷景は紅がかすがの居場所を求めるのに対し、きっぱりとそう言った。
思わず口を開けたままきょとんとする彼女に、彼は続ける。

「アイツは忍として主の命令に従っただけだ。礼は必要ない」
「氷景、でも…」
「主が忍を人として扱うのは、まぁそいつの方針なら問題ないだろう。
だが…それ以外の人間と馴れ合うのはご法度だ」

静かに、彼はそう告げた。
その言葉の内容を噛み締める紅だが、すぐには理解できない様子である。

「佐助は?」
「アイツは、忍の本質をちゃんと理解してる。だから、問題ないさ。姫さんが相手でも、やる時はやる」

もちろん、俺がさせねぇけど。
しっかりそう補足した彼は、思い出したように懐から小袋を取り出した。
数歩進んで紅の前へと移動し、それを差し出す。

「かすがからだ」
「何?」
「今回使った薬とか…他にも色々。これで貸し借りはなし、だろ?」
「ええ、それは構わないけれど…彼女が、自分から?」
「…………………」

沈黙が返って来たところを見ると、どうやら氷景の助言により、と言うことらしい。
じっと見つめてくる紅の眼差しに負け、深く溜め息を吐き出した。

「貸しだの借りだの…うだうだと煩いからな。これを受け取って、黙らせた」
「…聞きたいと思っていたんだけど…氷景は彼女が嫌いなの?」

やや躊躇いがちに、そう問いかける紅。

「あの性格は好きだとは言えないな」
「じゃあ、どうしてそんなに気にかけるの?」

興味がない…と言うか、好きではない人間に対して色々と手を焼く氷景ではない。
彼の性格を知っているからこそ、その疑問が消えないのだ。
紅の問いかけに、彼はどこか遠い所を見るような眼を見せた。







「…情が移った、な」
「………え?」

思わぬ返事が聞こえ、彼女はぽかんと目を見開く。
何て?と問い返す必要はないけれど…いや、しかし。

「本人が自覚してるかは知らんが、ガキの頃からやたらと見られるんだ。いや、そう言う視線じゃない。
大嫌いだって言ってる目で睨む癖に、いつでも見てる。追いかけてくる子鴨に情がわくみたいなもんだな」

淡々と、まるで他人事のように語る彼。
それは、つまり―――そう言うことではないのだろうか?
思春期特有の複雑な心中を思い、軽く溜め息を零す紅。

「…あなた、彼女に何か言った?」
「いや、別に。強いて言うなら…くノ一の訓練に付き合うのを拒んだ」

くノ一の―――?

その疑問を口に出そうとした紅は、ふと気付く。
所謂、女の武器を使う訓練のことなのではないだろうか。

そして、それを望んだという事は―――

何となく彼らの精神的な位置関係を掴むことが出来た紅は、呆れたように息を吐く。

「少なからず気にしていた人からの対応としては、心に傷を残していても仕方ないわね」

少し気になる異性、と言う程度だったのかもしれない。
しかし、幼い心の中には確かに愛情にも近い感情が宿っていたのだろう。
二人の確執は海峡よりも深く、けれど距離としては近いと判断して間違いはない。
尤も、彼女にとっては今では忘れ去りたい過去なのかもしれないけれど。

「忍として悪くない腕だと思ってたから、練習には何度か付き合ってやったんだがな…今は全然駄目だ」

謙信の忍として充実していると思っているのに、過去に居座る男には認められない。
その歯痒さは、想像するだけでも溜め息が零れそうだった。

「氷景…」
「ん?」
「お願いだから、もうそっとしておいてあげて…」

彼が手を焼けば、彼女はより一層過去を忘れられないだろう。
認めて欲しいと思うからこそ、反発もし、正面からぶつかりもする。
認めることが一番の解決なのだろうけれど、今の氷景の言葉から察するに、それは難しそうだ。
それならば、下手に構わず、時が解決するのを待つのが一番だと思う。
そうでなければ、彼女があまりにも不憫すぎる。

「…よくわからないが…わかった。姫さんがそう言うなら、従う」

頷く彼を見て、紅は心中でかすがを思い出した。
紅に対しての初めの態度は…本人が認めないにせよ、嫉妬と言う感情に分類されるだろう。
もちろん、それを伝えるつもりはなし、その手の話題を掘り返すつもりもない。
行動に移した時の、沸騰した薬缶の如く言葉を吐き出しながら苦無の雨を降らせるかすがの反応が浮かんだ。

「(納得できないかもしれないけれど、時間が解決するのを待っていて)」

自身の想像のかすがに向かってそう思う。

そんな取り留めない時間は、奥州からの来訪を伝えに来た本人の登場によってやや有耶無耶に終わりを迎えた。

09.01.21