廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 133 --
越後の領内に入り、どれくらい進んだだろうか。
来るなら、そろそろ。
そう思った所で、氷景はその気配に気付き、トンと強く枝を蹴った。
彼が居た場所に苦無が降り注ぐ。
その数およそ20。
「おいおい。問答無用かよ」
哀れになってしまいそうな枝を振り向きつつ、そう呟く。
彼と並走するようにして、人影が枝を蹴っている。
「やれやれ…だから嫌なんだ」
独り言が多いな、と思いつつも、零れ落ちるそれをとめることが出来ない。
―――覚悟を決めるか。
今一度強く枝を蹴り、次の枝元の所で動きを止める。
氷景は、今までの速さを感じさせないほどにピタリと立ち止まった。
それを合図に、再び同量の苦無が彼へと飛んでくる。
腰の脇差を抜くと、それらを全て叩き落した。
一筋の三つ編みが彼の動きに合わせてふわりと揺れる。
バラバラと落ちていく苦無の山。
「いくら消耗品だからって、無駄遣いはよくねぇだろ。そろそろ話を聞かないか?」
氷景の言葉に、少しの間をおいて、姿を隠していたその人物が枝へと飛び降りた。
互いの間合いには入らぬ微妙な距離を置いて対峙した二人。
氷景と向かい合うその忍…かすがは、結んだ唇を開いた。
「伊達の忍が越後に何の用だ!?」
回答次第では容赦しない、と言う思いが眼差しに込められている。
鋭い声と眼に、氷景は軽く溜息を吐きだした。
そして、懐に手を差し込み、主から預けられたそれを彼女に見えるように掲げる。
「我が主からの、正式な文だ。越後の領主が主を拒むまでは客人として扱われて然るべき―――そうじゃないか?」
「―――っ。私はそんな話は聞いていない!」
「馬鹿か、お前は。俺が届けてるんだから、これが初めに決まってるだろう。話を知ってる方がどうかしてる」
呆れたように肩を竦める氷景に、かすがはカァッと頬を赤くした。
怒りの度合いがグンと増したのは、その表情からも明らかだ。
もっと穏やかに話を進めるのが一番なのだが、相手が相手なので穏便にと言うのが難しい。
喧嘩腰で話をされれば、誰でもきつく返してしまうと言うものだ。
一概に氷景の所為とは言えない状況だが、少なくとも彼の言葉が彼女を怒らせていることだけは確か。
「殺す!!」
苦無を構える姿に、交渉が決裂したことを理解した。
元々彼女と分かり合えるとは思っていなかったけれど。
同じ里に居た頃から氷景とかすがの関係は、彼女と佐助の仲に比べて、遥かに悪い。
氷景に歩み寄る意思がなく、かすが自身も絶対に仲良くなりたくないと思っていなかった。
その割に、幾度となく同じ任務を回され…その度に喧嘩。
喧嘩と言っても小さな火花から氷景の言葉によりかすがが一方的に激昂するのが常。
相容れぬ人間が居るのだと言うことを一番初めに学んだのは、彼女が初めてだった様に思う。
「大体、お前のことは最初から気に入らないんだ!!」
「俺もだよ」
苦無の雨が降り、それを叩き落したところで、彼女からの直接攻撃が迫る。
取り出したままだった脇差で攻撃を往なす氷景。
「伊達の人間を謙信様に近付けさせるものか!!お前の主なんて、碌な者であるはずが―――」
かすがの言葉は、最後まで紡がれなかった。
ガキン、と鈍い音と共に彼女の手から苦無が弾き飛ばされる。
突然鋭い動きへと転じた氷景のそれについて行けず、繰り出された蹴りをまともに食らう彼女。
そのまま後ろへと吹き飛び、枝を2、3本折ったところで何とか姿勢を戻す。
かすがは、ゲホッと息の塊を吐き出して苦しげに表情を歪める。
しかし、落ち着いて呼吸を整える暇もなく、眼前に氷景の姿が迫った。
キラリと銀色の糸が差し込む木漏れ日に反射する。
彼の指先によって巧みに操られたそれは、木の幹ごと彼女の身体を幾重にも縛り付けた。
痛みの所為で注意力が散漫になっていた彼女に逃げる術はない。
成す術なく、彼女は木に背を預けたまま身動きが出来なくなった。
そんな彼女の喉元へと、氷景の脇差が迫る。
ひやり、と冷たい刃が触れた。
「別に俺のことをどう言おうが勝手だが…主を侮辱されて黙ってるわけにはいかないな」
息一つ乱すことなく、冷たい目を向けてくる氷景。
今まで見ていた彼は、こんなにも鋭く動く人間だっただろうか?
衝突を避け、どちらかと言えばのらりくらりと交わされていたイメージが強い。
そこまで考えたところで、かすがはハッと気付く。
「……………ッ。お前…今まで、ずっと…!?」
「…生憎、弱者を甚振る趣味はない」
ふん、と嘲るような目を向ける氷景に、かすがは唇を噛む。
気がつかなかった。
こんなにも、埋めがたいほどの差があったなんて。
日々上杉のために腕を磨いてきたはずの自分は、何だったのだろうか。
まるで全てを否定されたようだった。
キン、と音がして、脇差が彼の鞘に納まる。
「…そこで頭を冷やしてろ」
冷たくそう言い残すと、氷景はトンと枝を蹴る。
その場から一瞬のうちに消えるのではなく、あえて姿を見せたまま越後の領内を駆けて行く。
「止まれっ!!謙信様に近付くなっ!!!」
どれほど声を上げようとも、彼は足を止めなかった。
やがて木々の向こうへと彼の姿が消え、その気配も悟ることが出来なくなる。
かすがは静かに頭を垂れた。
噛み締めた唇から赤い筋が流れ落ちる。
かわされ避けられ、まるでこちらのしている事が全て無駄だと思わせる人間。
どれほど熱くなろうともあの男は冷静で、だからこそ差を感じずには居られない。
伝説の忍ほどに無感情ではなくとも、彼は限りなくそれに近い忍だ。
「だから…お前は嫌いなんだ…っ」
―――俺が忍として影で生きる理由は一つだけ。ただ一人の人に会うためだ。
自分が上杉と出会い、たった一人を見つけることが出来た。
漸く、彼よりも誇れるものを見つけたと思っていたのに。
それなのに、彼も、見つけてしまっている。
―――別に俺のことをどう言おうが勝手だが…主を侮辱されて黙ってるわけにはいかないな。
いつだって冷めた目で世界を見つめていたあの男の目に、初めて焔が見えた。
愛ではない、情でもない。
言葉に出来ない何かの感情が、小さく悲鳴を上げる。
08.10.25