廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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紅とは違う人間の気配を、彼女のすぐ傍に感じた。
政宗や小十郎、侍女のものとは違うそれ。
氷景は、それを理解すると同時に、ぐん、と速度を上げた。
強く蹴った枝が折れたけれど、そんな事を気にしている余裕はない。
速く…一秒でも、早く。
飛ぶように移動していく。
「姫さん!!」
ザザッと庭先の土を滑るようにして着地する。
顔をあげた彼の視界に入りこんだのは、きょとんとした表情を浮かべる紅の姿。
そんな彼女と向かい合うようにしてそこに座っていた佐助もまた、不思議そうな表情で首を傾げた。
「お帰り、氷景。そんなに急いでどうしたの?」
そう問いかける紅に、彼は「いや…」とどこか気の抜けた返事を返した。
そんな彼の反応にピンと来たのか、佐助がニッと口角を持ち上げる。
「よ、氷景。久しぶり過ぎて、俺の気配がわかんなかった?」
揶揄するような表情に、氷景が沈黙する。
え、本当に?と言いたげな視線が紅の方から向けられた。
すっと視線を外す彼に、それが事実であると理解する。
「…ごめんね。驚かせて。心を落ち着かせるのを手伝ってもらっていたの」
「………いや、あんたが無事ならそれでいい。それに、丁度良かった」
そう言うと、氷景は佐助に向き直る。
彼の表情に、何かあったのだと悟る佐助。
からかうような空気を消し、真剣なそれを纏った。
「里の薬を持ってるか?」
「…いや。生憎、作り置きはしない主義だ」
「…そう言えば、そうだったな」
思い出したように頷く氷景。
「状況が変わってたのか?」
「あぁ」
彼らの会話に紅が息を呑む。
そんな彼女を横目に見て、氷景は会話を続けた。
「しかし、お前も俺も持ってないとなると、残りは…」
「あいつ、か…」
両者の上に、重石でも圧し掛かったかのようなどんよりとした空気。
あいつ、と言う人物に覚えのない紅は、ただ黙して彼らの行動を待った。
「俺、嫌なんだよなぁ…あいつに会うの」
「そうか?俺様は戦場以外でなら大歓迎。なんてな」
「戦場であろうとなかろうと、飛んでくるのは会話じゃなくて苦無だろ。面倒な女だぜ」
まともに会話を出来た例がない、と溜め息を吐く。
佐助は嫌っていない様子だが、氷景は心底嫌そうな様子だ。
一体、誰の話をしているのだろうか。
「だけど、あいつならたぶんあの薬を持ってるぜ、氷景?」
「…だろうな。あいつ、割と慎重だし」
あー…嫌だ。
そう言って、縁側に座ったまま空を仰ぐ氷景。
彼とは性格的に合わない人間と言うことだろう。
「あの…口を挟んでごめんなさい。薬というのは作れないの?」
珍しく、嫌だと言う感情を前面に押し出している氷景を見ると、そう聞かずには居られなかった。
すると、二人の忍が顔を見合わせ、それから首を横に振る。
「材料は揃ってるんだがなー…」
「その薬は、ひと月地中で寝かせる工程が必要なんだ」
なるほど、と頷く紅。
そんな工程があるならば、今必要としているのだから、その薬は意味を成さない。
「…姫さん」
「何?」
「刀狩の南次郎を助けたいか?」
真っ直ぐな問いかけに、紅は一時口を閉じる。
そして、程なくして肯定の返事の声を上げた。
そんな彼女の答えに、氷景は諦めたように肩を落とす。
「…命じてくれ、姫さん。あいつに頼むのは不本意だが…姫さんの命令なら、動く」
そこに、佐助に取ってきてもらう、と言う選択肢は存在しない。
あくまで自分が紅のために動きたいのだろう、と予測した。
佐助は、そんな氷景に影でクククッと喉を鳴らす。
「…南次郎を助ける事ができるのなら…お願い。その人から、薬をもらってきて…?」
やや躊躇ったからだろうか。
不自然に持ち上げられた語尾は、まるでねだる様になってしまった。
それを聞いた氷景は、二・三度目を瞬かせ、そして苦笑を浮かべたまま短く溜め息を吐く。
「それは命令じゃねぇよ、姫さん」
言うならば「お願い」だが、その効果は絶大だ。
たとえどんなに性格の合わない奴に会いに行くのだとしても、喜んで奥州を後にするだろう。
明らかに迷いの消えた氷景を見て、佐助は笑いを堪え切れなくなった。
ふきだしてしまう前に他所を向くことには成功したのだが、震える方はとまらない。
気付いた氷景に蹴られる前に落ち着こうと思ったが、それは不成功に終わった。
「さて…と。面白いものも見せてもらったことだし…俺も旦那のところに帰りますかね」
蹴られた腰を手の平で擦りつつ、佐助はそう言って立ち上がった。
用が済んでもここに留まっていたのは、氷景が不在の彼女を気にかけていたからだろう。
忍らしくない行動だ、と思った氷景だが、ふと思いなおす。
よく考えると、紅は佐助の主である幸村の知人…いや、友人だ。
主の御心の元に、と言う建前で、彼はここに留まったのだろう。
何とも回りくどい…基、律儀なことだ。
「姫さん。ちょっと離れても平気だよな?」
「ええ。勝手に出て行ったりしないわ。のんびりとお風呂をいただくつもりだから」
そう言って着物をしまってある箪笥のある部屋へと向かって歩き出す彼女。
ふと、思い出したように彼女は佐助を振り向いた。
「知らせてくれてありがとう。幸村様にも、お礼をお伝えしてくれるかしら。
それから…近いうちに信濃にお邪魔する、とも伝えてくれると嬉しいわ」
「旦那が喜ぶよ」
佐助の返事に紅は小さく微笑んだ。
そして、そのまま隣の部屋へと消える。
彼女を見送り、二人は示し合わせたかのように、同時に姿を消した。
「…なぁ、佐助。あいつは薬を無償でくれると思うか?」
「十中八九、無理だな。用意を怠るからだ!とか何とか言って追い出されるのが落ちだろ」
「………だな。お前も来ないか、佐助」
「いやー、悪いね!俺、旦那への言付けを預かっちゃったからさ!」
先ほどとは打って変わって、彼女に会いに行くことを拒む佐助。
彼の反応が変わった理由など、考えるまでもない。
そんな彼に白い目を向けつつ、氷景は溜め息を吐き出した。
タンッと地面を蹴って高い木の枝に乗ると、彼はそこで移動を止める。
「じゃあな、氷景。頑張れよ」
彼の少し後ろを付いてきていた佐助が、その枝を蹴って空へと飛び出す。
いつの間にか呼んでいた烏がバサッと翼を広げ、彼を攫って大空へと飛び立っていった。
08.07.11