廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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城に戻ると、氷景はすぐに信濃へと向かった。
入れ替わりになってしまったのか、政宗は居ない。
彼は小十郎をつれて隣国との国境付近まで向かっているはずだ。
例の奴らを牢獄に入れて置くようにと部下に指示をして、紅は自室へと戻る。
出陣用の着物を脱ごうと手をかけたところで、ふと動きを止める。
そして、庭先の大きな木を睨んだ。

「誰だか知らないけれど…私は今、虫の居所が悪いの」

今すぐおりて顔を見せなさい。
そう告げる彼女の表情には、いつもの穏やかさは無い。
真っ直ぐに侵入者を射抜いていた彼女だが、姿を見せないことに小さく溜め息を吐いた。
そして、胸元のあわせから手を差し込み、短刀を抜き取って流れるような動作でそれを投げる。
タンッと木の幹に突き刺さる音の前に、大きな何かがガサッとそこを飛び出してきた。

「ちょ、ちょっとタンマ!」

それが下り立つであろう場所を見て、紅は腰の関節剣を抜く。
抜き身のそれを構えたところで、侵入者からそんな声が上がった。
しかし、動きを途中で止めることは出来ない。
辛うじて切っ先を少しずらし、侵入者を串刺しにすることだけは免れた。

「―――…今の本気だね、紅さん」
「佐助…」

唇からその名が零れ落ちた。
誰の気配なのかに気付かないほどに、頭に血が上っていたということなのだろう。
紅は呆気に取られたように彼を見つめ、やがて肩の力を抜いた。
クンッと手首で反動をつけ、彼の足元2センチのところに突き刺さった関節剣を回収する。

「いやぁ…流石の俺様も、今のは危なかった」

内心冷や汗を流し続けているのだが、それを見せまいとするのは忍としてのプライドだろう。

「…こんな奥地まで入り込んできて…殺されても、文句は言えないわよ」

冷めた返事を返してくる彼女に、おや、と思う。
普段の彼女とは、どこか雰囲気が違う。
棘…いや、氷のように冷たいというべきか。
そんな彼女を見て、佐助は彼女が例の事を知っているのだと理解する。

「忍だからな。殺されれば自分の力量不足。潔く諦めるさ。それより…もう、知ってるみたいだな」

何を、と言わない彼だが、二人の間の会話は成立している。
無言を返す彼女に、佐助が続けた。

「刀狩の南次郎が襲撃された。今日の日の出前のことだ」

あぁ、やはり、と思う。
あの嫌な予感は、彼のことだった。
続きを聞くのが怖いけれど、耳を塞ぐことは許されない。

「彼は…」
「一命は取り留めたよ。丁度、旦那に頼まれごとをしてた俺が明け方に訪れたのは運が良かった」

発見が遅ければ、危なかった。
そう呟く彼に、紅は肩の力を抜いた。
命さえあれば、とは言わない。
人には、時に命よりも大切なものがある。
それを失い、拾った命に価値を見出せない者も多いのだ。
けれど、それをわかった上で、紅は安堵の息を吐き出した。
彼女としては、何かを失ってしまったとしても、生きていてくれることが嬉しい。

「相手は相当腕の立つ武人だ。鍛冶場の中で倒れていたが、建物内部に争った形跡は少ない。
にもかかわらず、南次郎自身はかなりの傷を負っていた。初めから、それが目的だったんだろう」
「―――どうして、私に?」
「真田の旦那が、紅さんに伝えるようにってね。で、その命の為に、城の深くまで忍び込んだってわけだ」

幸村が紅に伝えろと命じたのは、紅が彼を知っているからだろう。
少なからず、関係が続いていることを知っているのかもしれない。
彼は、本心からそれだけを考えている。
しかし―――目の前の男は、違う。

「…現場を…傷を見たならば、得物の予想も付いているでしょうね」
「……あぁ、俺はね。旦那はそんな事は考えちゃいねぇさ」

声が真剣なものへと変わる。
ふざけた雰囲気を拭い去り、忍としてのそれを纏う彼に、紅は目を細めた。

「私を…疑っているの?」
「…全てを疑ってかかるのが忍の役目。自分や主の感情は関係ないさ」
「そうね。この武器は…珍しい上に、特徴的だから」

疑われることに不快感は無い。
それが、忍の本質だということを頭の片隅で理解しているのだろう。
全ては仕える主のために、時には己の部下すらも疑わねばならない。
紅は小さく息を吐き出し、関節剣を鞘に納めた。

「…竹中半兵衛よ」

紅の唇から紡ぎ出された名前に、佐助が息を飲んだ。
この場でその名前が出てくる理由は、一つしかない。

「…とは言っても、原因の半分は私にあるようなものね」
「理由を…話してくれる気は?」
「………竹中半兵衛は、私と同じ関節剣の使い手。彼はこの『血啜りの剣』を求めていた」

それを告げれば、彼はあぁ、と納得したように頷く。
この時代、より良い武器を求める武人など、どこにでも居るものだ。
そして、それが原因で争いが起こることだって、そう珍しくはない。
今回の一件もそうだった、という事だろう。

「数時間前に本人から聞いたことだから、まず間違いはないわ」
「本人に?」
「雪耶の領内で揉め事を起こしてくれたのよ、あの男。大したことではないけれど」

南次郎の安否が確認できたからなのだろう。
彼女は少し落ち着いた様子で、しかし今度は少しの怒りをこめて、そう言った。
この出会いは、彼女にとっては不愉快以外の何者でもなかったようだ。

「先ほど氷景を信濃に向かわせたわ。すれ違いにすらならなかったようだけれど」
「あぁ、だから氷景が来ないのか」

なるほど、と思った。
佐助とはいえ、彼もまた、敵国に仕える忍であることに変わりは無い。
その辺りはきちんと割り切っているのか、やはり佐助が相手でも氷景は警戒する。
他の忍を警戒するのと同じようにするわけではないけれど、一定の距離で見張ることは普通だ。
しかし、今はそれすらない。
それが示すのは、彼の不在以外には考えられなかった。

「ま、氷景も同じ情報を持ってくると思うよ。…いや、もしかすると、俺の情報よりは少し進んでるかもしれないな」

良い方向に進むならばまだしも、悪い方向には進んでほしくないものだ。
佐助の言わんとしていることを理解した紅は、ひっそりと溜め息を吐き出した。
とりあえず、今は無事という一言が聞けただけでも、良かったと思うべきなのだろう。
事の根源となっている関節剣を見下ろす。
こんなことになるならば…と思うけれど、その先を行動に移すことはない。
これは、紅がこの世界で生きていく上では、なくてはならない存在なのだ。

腰に結わえた紐を解き、鞘入りの関節剣の重みを手で受ける。
改めて、剣の重さを実感した。

08.07.05