廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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虫の知らせ、とでも言うのだろうか。
弾かれたように身体を起こした紅は、着物の胸元を手繰り寄せる。
全力疾走の後のような呼吸の乱れ。
しかし、それよりも先に、秩序なく漂っているこの思考を整理するのが先だ。
頬にかかる髪を耳へと引っ掛け、深呼吸をする。

「―――どうした」

聞こえた声に、紅はびくりと肩を震わせた。
そこにいることは不思議ではない。
そのはずなのに、今のこの瞬間まで、紅の脳内からは彼の存在が打ち消されていた。

「あ…すみません」

起こしてしまったことへの謝罪を述べるも、彼…政宗は、そんなことはどうでもいいと冷めた視線を向ける。
先ほどの質問に答えろと訴えてくる目に、瞼を伏せる紅。

「夢見が…悪かっただけ、です」

短く息を吐き出してから、そう答える。
しかし、この先に踏み込んで質問を重ねられても、紅は明確な答えをもっていない。
何故なら、その夢を覚えていないから。
何かをしなければ、と言う衝動と、何かが手の平から零れ落ちたような焦燥感。
たとえば、今この場に政宗が居なかったのならば、紅はすでに走り出していただろう。
彼ではない、と言う事実が、彼女に平静を取り戻させる手伝いをする。

「…落ち着け」

優しい声と共に、握り締めた手がぬくもりに包まれる。
視線を手元に落とし、重ねられた政宗の手を見つめた。
深く呼吸をしろ、と言う言葉に忠実に従う自分自身は、まるで他人のもののように感じる。
それから暫くして、冷静さを取り戻したらしい紅が、漸く政宗と視線を合わせる。

「すみませんでした。起こしてしまった上に…」
「いや…気にするな。それより、戦に身を置く者として、その感覚は覚えておけよ」
「感覚を…?」
「第六感、って奴だな。頼りすぎるのはよくねぇ。だが、頭の片隅には置いておけ」

長年の経験から出た言葉なのだろう。
彼よりは遥かに経験の浅い紅は、その言葉に素直に頷いた。
彼が覚えておけ、と言うならば、覚えておこう。
何かが起こったかもしれないと言うその可能性を。







日の出よりも少し早い時間だったけれど、もう一度寝入るには中途半端な時間だ。
政宗は布団には戻らず、そのまま着替えを済ませて自身の愛刀を取った。
申し訳ないと思いつつも、紅も彼に続く。

「山賊の規模は把握してるか?」
「…はい!およそ50人。それほどの手練は居ないようですし、問題はないでしょう」
「OK。5人は生かして連れて帰れよ。状況も知っておきたい」
「わかりまし、た」

ギィン、と耳障りな音を立て、刀がぶつかり合う。
真剣を交えることは、あまりない。
けれど、戦を控えている時などは、感覚を研ぎ澄ませるために真剣での鍛錬を命じられた。
今日は朝餉の後、紅が例の山賊を片付けにいくことになっている。
氷景に調べさせた規模などを考え、政宗の力は必要ないだろうという結論に達した。
乗り気だった彼も、他の案件の事を考え、仕方なく一度はあげた腰を落ち着けている。

「―――で、例の男はどうした?」
「氷景の調べでは、黒の混じった白、と言う結論です。ここから先は、本人に聞く他はないかと」

刀を交える合間に言葉を交わす。
深く突き出された刀を、上半身を捻って避けた。
その勢いを使って左の小太刀を彼の懐へと振るう。
ギン、と音を立てて刀によって防がれてしまう攻撃。

「…なら、戻ってきたら山賊を使って確かめろ。本人に追及するのは核心が取れてからでも遅くはねぇ」
「はい、わかりました」
「所で、本当に小十郎をつけなくて大丈夫か?」
「ええ。氷景が居ますし、山賊程度が片付けられないようでは、この先が不安です」

本気で打ち合っているわけではないけれど、それでもかなりの速度と力がこめられている。
にもかかわらず、平然と会話を続けられる二人。
初めの頃はこうして会話をしながらの打ち合いは、すぐに息を弾ませてしまっていたものだ。
あの頃のことを考えると、紅も随分と成長した。
話にばかり気を取られなくなったのが、何よりの証拠だろう。

「雪耶の私兵を100。いつでも動かせるよう近隣に配置し、精鋭部隊に踏み込ませます」
「手順は好きにしろ。ただし…無茶はするなよ」

もう一度鍔迫り合いをしてから、彼は刀を引いた。
それを合図に、紅も自身の小太刀を鞘に納める。

「怪我のひとつも許すな。向かってくる奴は全力でたたき伏せろ。―――できるな?」

確認するように語尾が持ち上げられている。
しかし、その独眼は、全く迷いの色を浮かべていない。
彼女の返答などわかりきっている―――いや、信じていると言う、揺ぎ無い信頼が見えた。
この信頼を裏切らないためならば、どんなことでもしよう。

「仰せのままに」

紅は決意を新たに、深く頭を下げる。
















「紅様。兵たちの準備が整いました」

甲冑に身を包んだ家臣が紅の元へと膝をつく。
山賊相手にここまで必要なのかはわからないが、万全を期す必要はあった。
こちらの動向が流れている可能性がある以上、何が待っているかはわからないのだ。

「各隊、作戦の確認をしてから一番から順に出立。
途中、地形が変わっている可能性も考えられるから、兵たちに伝えておいて」
「は!」

紅は下がる家臣を見送ると、ゆっくりと立ち上がった。
脇に置いてあった小太刀を持ち上げ、両方の腰に挿す。
そして、最後に関節剣を持ち、その紐を腰に通そうとした、その時。
ブツッと音がして、関節剣の鞘に結わえてあった紐が千切れる。
途端に、支えを失った剣がガシャンと地面に転がった。

「――――…」

紅は暫し動かず、じっとそれを見下ろす。
千切れるほどに古くなっていたわけではないし、摩擦によるものでもないようだ。
まるで、鼻緒が切れるようなタイミングでの事に、彼女は思わず黙り込んでしまう。
スッと腰を落とした氷景がそれを拾い上げ、膝をついたまま紅に向かって差し出した。
無言のままそれを受け取り、千切れた紐の端切れを抜き取る。
剣に続くように差し出された新しい紐をそこに通し、今度こそ腰紐へと結わえた。

「本当に、不吉なことばかり。…何が起こるかわからないわね」

そう言って苦笑いを浮かべる。
手で刀や剣を確かめ、虎吉の手綱を受け取った。

「…油断するなよ、姫さん」
「ええ、もちろんよ。したところであなたが居るから大丈夫でしょうけれどね。
怪我ひとつせずに、と言うご命令だから」

虎吉の背に跨り、慣れた目線で隊を確認した。
すでに出発し始めているのか、先ほどより数が少なくなっている。
紅は目を細めると、何かを告げるでもなく虎吉の腹を蹴って駆け出した。
氷景もまた、上空を旋回していた凍雲を呼び寄せ、彼女に続く。

08.06.06