廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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医者に問題はないだろう、と言われてから暫くして、紅が部屋を訪ねてきた。
彼女は悠希の視線に苦笑に似た笑みを浮かべ、それから「もう終わったから」と告げる。
苦笑と言うには、あまりに切なく力ない笑みに、悠希は息を呑んだ。
思わず紅を抱きしめ、その肩口で声を出さずに泣いてしまった。
自分ではないのに、まるで自分がその決断をしてしまったかのように、苦しい。
身を切るような苦しさだと思った。

「辛いなら泣きなさいよぉ…っ」
「…辛くないって言ったら嘘になるけど…。一番苦しいのは、きっと氷景だから」

そう言って、紅はぽんぽんと悠希の背中を叩く。
彼自身が、本心からそれを望んでいなかったことは、その表情から明らかだ。
元々、表情が豊なわけではないけれど、それでもいくらかの感情は読める。
しかし…部屋を出てきた彼は、それを押し殺した表情だった。
望まない結果だったということは、言うまでもないことだろう。

「好きなだけなのに、難しいね」

悠希を落ち着けるようにその背中を撫でながら、語るようにそう呟く。
人の心というのは、こんなにも難しいものだったのか。
多くの人と関わりを持つようになり、様々な状況に出会うようになった。
これは、自分が成長するための試練なのだろう。

―――立ち止まってはいけない。

自分に言い聞かせるようにして、紅はその決心を改めた。














三日後には、愛姫の一行が城を後にした。
雪耶の領地の一件もあり、直接彼女と語り合う時間を取ることは出来なかった紅。
彼女が発つ時ですら、見事にすれ違ってしまって顔を合わせることが出来なかった。
顔を合わせたところで、何を言えるわけでもないのだから、逆によかったのかもしれない。
けれど…やはり、気になっていたようで、夕暮れ時に城に戻った彼女は人知れず溜め息を吐き出した。


氷景の術は、記憶を操作するものだったらしい。
彼の存在だけを消すのではなく、ある意味塗り替える形で、最も自然な形の記憶を作り出す。
故に、本来は敵の捕虜を洗脳したり…ごくごくまれに、抜け忍に用いたりする術だそうだ。
完全に記憶を書き換えるだけの影響力により、秘術と呼ばれ、使う機会を制限している。
主と決めた者の許可なくして使用することは出来ないと、里で定められている術の一つなのだ。


この説明を聞いたのは、術を使った翌日だった。
脳や記憶に障害は出ないのかと不安を抱いた紅に、氷景がそう説明。
事実、愛姫の中では、今回の訪問は政宗と紅の婚礼の祝いとなっていた。
氷景のことなど一切触れず、また、思いつめた表情なども一切見せない。
この一件を、伊達・雪耶の家臣と、そして愛姫の侍女は、暗黙の了解として心の中に封印した。
最後まで憂いの表情を一度も見せずに帰った―――見送りを頼んでいた楓が、紅にそう告げる。

「…よかった、と言うべきなのでしょうね」

彼女の記憶を消すこと。
それが、紅が彼女に下した処分と認識され、家臣らの間に広まった。
それにより、彼女の家が罪を問われることはなくなったし、崩壊寸前だった心も守ることが出来た。
一番大切なものは失われてしまったのだろうけれど―――彼女自身はそれすらも覚えていない。
精神に異常を来たしてしまうことを考えれば、彼女には未来があった。
よかったと、そう言える結果なのだろう。

「辛い決断をさせて悪かった」
「他人の将来に介入してしまったことは、とても恐ろしいです。
…彼女を救う為には仕方のなかった事なのだと…今は無理でも、いつかはそう受け入れたいと思います」

隣に座る政宗に向かって、紅はそう答えた。
刀の手入れをしている彼の視線は自身の手元へと落とされている。
彼は彼女の答えに、「そうか」と頷いた。
まだ、作業を始めたばかりの彼の傍らには、六本の刀が置かれている。
丁寧…ではないけれど、乱暴におかれているわけでもないそれらを一瞥し、紅は自身の手元へと視線を落とす。
真新しい傷を覆う包帯が目に入った。
日常生活に支障をきたすほどではなかったけれど、傷は浅くはなかったらしい。
ただ、切れ味がよかったことが幸いし、傷跡は残らないだろうと言われた。

「痛むのか?」

じっと手を見つめていたからか、政宗がそう問いかける。
紅は顔を上げて彼と視線を合わせ、そして首を振った。

「薬が効いているので痛みはありません。…慣れていますし」

それでも、暫くは刀を握るのは控えたほうがいいだろう。
最低限、傷が塞がるまでの間はあまり無茶をするのはよくない。
微妙なところに傷を作ってしまったものだな、と心中で溜め息を吐き出した。
そんな紅は、ふと近づいてくる小十郎の気配に気づく。
彼女が唐突な反応を見せるのはいつものことなので、政宗も気にしたりはしない。

「誰が来た?」
「小十郎さんですね」

紅がそう答えた5秒後。
開かれたままの襖の方から、小十郎の声が届いた。

「沖に長曾我部の船を見たとの知らせが届きました」

部屋には入らずに、その一歩手前で膝をついてそう報告する小十郎。
それに対して反応したのは、政宗ではなかった。

「悠希には知らせてくれましたか?」
「はい。すでに知らせが届いているものと思われます」
「ありがとうございます。医者には申し訳ないけれど、最後にもう一度診ていただくようにお願いしてください」
「では、すぐに手配いたしましょう」

そう言うと、小十郎はその足で医者の手配を済ませに向かう。
ものの1分ほどで終わった来訪の後は、再び静かな時間が訪れた。

「―――会っておかなくていいのか?」
「もう少ししたら、行きます」

そう言ってから、紅はすっと立ち上がって部屋を横切る。
窓のところで刀の手入れをしていた政宗の後ろに腰を下ろし、その背中を借りた。
一度は視線を向けたけ政宗だが、彼女の行動を咎める訳でもなく、視線を戻す。

「悠希と過ごせる時間の方が短いぞ」
「…このまま行ったら、変に心配させてしまいますから」

紅の変化に気付かないような浅い付き合いではない。
間違いなく落ち込んでいることを見抜かれ、心配させてしまうだろう。
あの状況もよくなかったのだから、これ以上彼女に心配をかけたくはない。
彼女自身は大丈夫だと言うけれど、何が原因で腹の子に影響するかはわからないのだ。
紅はそれを考え、すぐに悠希の元を訪れようとしない。
今は自分の感情を落ち着けることだけを考えている。
それをわかっているのか、政宗もそれ以上は何も言わなかった。

昼下がりの時間が静かに過ぎていく。

08.04.26