廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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翌朝、紅は悠希に呼び止められた。
あれからどうした、と言う問いに、紅は苦笑を返す。
少し腫れた目元とその表情。
それだけを見れば、悠希には十分だ。
覚えたばかりの紅の自室まで彼女を引っ張っていき、向かい合うのではなく並んで腰を下ろす。
「全部話しなさいよ。筆頭に話して少しは楽になってるんでしょうけど…私にしか話せないこともあるでしょ」
そう言って肩を抱いてポンポンと撫でると、紅は溜まらず手で顔を覆った。
吐き出したといっても、やはり頭の中ではぐるぐると同じ事が回ってしまう。
「愛姫の事情も分かってるけど、でも…私、政宗様の傍に女の人が居るのは耐えられない」
二人の間に恋愛の感情がなく、形だけの結婚でも、耐えられない。
そうなれば愛姫が好きでもない男の元へと嫁がず、氷景の傍にいられるのだとわかっているのに。
自己嫌悪に落ちいっている様子の紅に、悠希は呆れたように息を吐き出した。
「紅」
少し強めに声を掛け、自分を見ろと訴える
その声の意味を理解したのか、紅はゆっくりと顔を上げた。
「それは当たり前の事なのよ。自分の愛している人の傍に他の女がいることなんて、普通なら許せないの」
「…でも、…」
「でもじゃない。独占欲なんて、誰でも持っているものなんだから」
大きいか小さいかの差はあれど、人を愛すれば誰でも持ってしまう欲望だ。
それは本能にも近い感情なのだから、理性でどうにかできるものでもない。
「筆頭はあんただけを見てる。それはわかってるでしょ?」
そう問いかければ、彼女はコクリと頷く。
「それなら、あんたは筆頭の為にも、愛姫が側室になる事を認めちゃいけないの。
紅の感情だけは、筆頭の傍に他の女が来る事を許しちゃいけないのよ」
それは自分だけと言ってくれる政宗に対する裏切りになってしまうから。
紅は悠希の言葉に涙を止めた。
目元に残ったそれがスゥッと頬を伝い、着物を濡らす。
「誰が何を言ってこようと、あんただけは嫌だと言うの。他の人に言わなくても、筆頭にだけ伝えれば良いから」
わかった?と確認するように覗き込む悠希。
そんな彼女に、紅は静かに頷いた。
「…紅は恋愛に関しては初心者だからね。こんな事に巻き込まれると、混乱するよね」
現代で生きていたならば、修羅場はあってもこんな風にややこしい事などなかっただろう。
政略結婚など、よほどの家柄でなければありえなかったのだから。
すでに一夫多妻制は廃止されているし、妻以外の女が夫と関係を結ぶ事は許されない。
離れてみてわかった事だが、現代と言う時代は、そう言った殻に守られている。
「悠希がいてくれて本当に良かったと思うわ」
「うん。私も、紅がいるから冷静になれてる。一人だったらきっと紅以上に駄目だと思うよ」
「悠希以上に困ってると思うの。…実際に、そうだし…」
今回の事だって、偶々悠希の体調が優れなかったお蔭で彼女がここにいる。
本当ならば既に四国に帰ってしまっている予定だったのに。
妊婦が体調不良なのだから、喜ばしい事ではない。
けれど、今回ばかりはそれにまで感謝したい気分だった。
「あんたが何を考えてるのかはお見通しだから言っとくけど、体調の事は気にするんじゃないわよ」
「…本当にお見通しね…」
「…。あのね、紅。あんたって慣れた人の前だとかなり顔に出るから」
その辺覚えておきなさい。
そう言った悠希に、紅は頬に手をあてて苦笑いをした。
その時、ふと紅が顔を上げる。
悠希のほうを向くのではなく、違う方向へと身体を捻る。
その様子に、悠希は首を傾げた。
そう言えば、紅は気配に敏感になったと言っていた。
誰か来たのだろうか―――そう思いつつ紅の方を見る。
しかし、その表情がどこか険しい事に気付くと、ますます疑問符を増やした。
「紅?」
やや躊躇いつつその名を呼ぶ。
いつもなら「何?」とすぐに振り向いてくれる彼女が、今回ばかりは違っていた。
声は届いている筈なのに一向に振り向かない彼女。
痺れを切らした…とは少し違うけれど、悠希がもう一声かけようと唇を開く。
そこから声が零れ落ちる前に、前触れもなく部屋の襖が開かれた。
「え…愛姫?」
驚いたような声を上げたのは悠希の方だった。
この時代の姫と言えば侍女を連れて歩くのが常で、単身で誰かの元を訪れたりはしない。
そして、こんな風に突然誰かの部屋を開く事も。
言ってしまえば無礼極まりない行為を行なった彼女に、驚きを隠せないのだ。
ただ、その後の言葉は紡ぐ事を躊躇われた。
愛姫の纏う雰囲気に違和感を覚えたのだ。
そんな彼女を見ていた視界が、着物と黒い髪に覆いつくされる。
紅が間に入り込んだのだと気付くまでにそう時間は必要なかった。
自分を庇うように移動した紅。
「悠希、下がっていて」
彼女はやや低い声でそう言った。
紅のそんな声を聞いたのは初めてで、ゾクリと背筋が逆立つのを感じる。
恐いわけではない。
けれど、その声がいつもの優しい彼女ではない事を教えてくれていた。
「愛姫…話ならば、いくらでも聞きましょう。たとえ恨み言だったとしても逃げたりはしません」
先ほど涙を流していたのと同一人物だとは思えないほどに、強い声。
芯の通った真っ直ぐな声が、彼女の後ろにいる悠希にも聞こえた。
「けれど、それは袖もとのそれを置いてからです。あなたにそんなものは似合いません」
紅の言葉に、悠希は彼女の背中から顔を覗かせる。
そこには先ほどのように愛姫が居る。
彼女は殊更に時間をかけた動作で、袖の所から短刀を取り出した。
「―――…嘘ぉ…」
思わずそんな声が零れ落ちた。
一体どこまで話がややこしくなってしまっているのだ。
まるで映画か何かのような展開に、悠希は目を丸くして口元を引きつらせた。
それでも、刀を見た後の恐怖などはない。
それどころか、安心しきっているのは、前に紅が居るからなのだろう。
「愛姫。それを置いてください」
紅が声を小さくしてそう言う。
彼女のためにこの付近には空き部屋しかないと言っていた。
けれど、彼女が一言大きく声を上げれば、何人もの家臣が集まるのだろう。
それほどに、紅に寄せられる信頼は厚い。
それが分かっているからこそ、事を荒立てない為にここだけで解決しようとしている。
全ては愛姫自身を思ってのことなのだと、悠希はそう理解した。
08.03.17