廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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眠っていなかった政宗は、襖の向こうに人の気配を感じ、身体を起こす。
泣き疲れたのか、隣で眠る紅はそれに気付いていないようだ。
静かに寝息を立てる彼女の頬に残った涙のあと。
それを指先で拭うと、起こさないように布団から出る。
「氷景か」
襖を開いてそう声を掛ければ、どこからともなくそこに降り立つ氷景。
その表情を見れば、結果がどうなったのかは問うまでもない。
「姫さんは…」
「寝てる。起こすなよ」
「…なら、筆頭から許可をいただきたい」
暫し考えるように口を噤んだ彼は、顔を上げてそう言った。
許可を必要とするようなことをするつもりか―――そう思う政宗だが、口には出さない。
「何だ」
「禁術を使う許可が欲しい」
「…何をするつもりだ?」
「…………………」
「言えないような事…か」
政宗は氷景の様子にそう呟いた。
本当ならば、許可すべきではないのだろう。
ここで許しを出しさえしなければ、彼が影でそれを使うことはない。
そう言う面には、割合と真っ直ぐな人間だ。
もし使うとしても、それは主の命が危険に冒されるときくらいだろう。
「…一つだけ確認する。それは紅に関係することか?」
「…関係…します」
一瞬躊躇ったように視線を逸らし、やがてそう頷いた。
氷景の答えに、彼は「そうか」と短く答える。
「好きにしろ。お前がそれで後悔しないなら、な。それと…出来るだけ、紅を泣かせるな」
それだけを言って、政宗は視線を逸らす。
氷景はパッと顔を上げ、そこから深く頭を垂れた。
そして、音もなくその場から消える。
ふわり、と彼がそこに存在した名残を残すように舞う、凍雲の羽根。
そっと手を伸ばし、それを掌へと乗せる。
「…お前さえ無事なら…そんな風に考えたことはなかったんだがな…」
そんな風に、一人だけを尊ぶような考えは持たないようにしていた。
けれど、そんな今までの自分すらころりと覆してしまう存在。
恐ろしくて、とても愛おしい彼女。
足音小さく部屋の中へと戻った政宗は、静かに寝入っている紅の傍らに腰を下ろした。
血色の良い頬を指先で撫でる。
「麻薬みたいだな、お前は…」
愛姫とて、一度はいずれ妻になるのだろうと納得していた女性だ。
紅と出会わなければ、間違いなく彼女を妻として迎え入れていた。
決して彼女が憎いだとか、邪魔だと感じたことはない。
今だって、無理に彼女を自領へと帰すつもりはないのだ。
けれど…出会ってしまった。
天下を目指す自分には、弱みになるものなど必要ない。
そう思っていたのに―――出会ってしまった。
跡継ぎを残す者としてではなく、共に天下を目指すものとして、彼女を欲してしまった。
―――こんな風に深みにはまるつもりはなかったんだが…
そんな事を考え、苦く笑う政宗。
そしてふと、彼女が旅に出ていた頃のことを思い出した。
突然現れた彼女は、その行動や言動も実に突飛だった。
女の一人旅が危険だと知りながらも、世界を見たいと言った彼女を止めなかった自分。
自分の目で世界を見て感じたい、そう言った彼女の目の先に、政宗は天下を見た。
彼女ならば共に歩いていけるかもしれない。
ある種の確信すら抱き、彼女を送り出したのだ。
旅先で戦に巻き込まれ、命を落とす可能性だって考えられた。
しかし、紅は必ず帰ってくる―――政宗はそう確信していた。
だからこそ、彼女が居ない間に外堀を固める事を始めた彼。
結果としては、彼の望むように進んできているわけだが…その成果は予想以上だ。
時を重ねるごとに、彼女の違った一面を見つける事が出来る。
それは、当然ながら正の要素の時もあれば負の要素の時もある。
後者であったとしても、それを指摘すれば彼女は反省を見せるのだから、何も問題はない。
彼女も人間なのだから、両方の要素を感じることが当たり前なのだ。
「ん―――…政…宗…様?」
頬を撫でていく感覚に引っ張られたのか、紅の意識が薄く浮上する。
まだ完全に意識が覚醒しているわけではないのだろう。
すぐにでも眠ってしまいそうな彼女の目元を親指でなぞれば、彼女はくすぐったそうに身を捩った。
「眠れないのですか…?」
相変わらず覚醒までの時間が短い。
もう少し寝ぼけてくれていてもいいのだが…そう思いつつ、いや、と否定の声を返す。
「起きただけだ。気にするな」
「………外の風でお身体が冷えてしまっていますよ」
まるで、今まで政宗が外に居た事を知っているような口ぶりだ。
敵わないな、と肩を竦め、引き寄せられる手は彼女の好きなようにさせてやる。
自分のものよりも一回りは小さく、そしてしなやかな両手が彼のそれを握り締める。
その温もりに包まれた事で、初めて自分の手が冷えている事に気づいた。
冷たい手で撫でられれば起きてしまって当然だろう。
「起こして悪かったな」
「いえ…まだ眠らないのですか?」
彼女は政宗のように身体を起こして座る事はなく、布団の上に横たわったままだ。
外気を含んでしまった部屋の空気が寒かったのか、小さく肩を揺らす。
それに気付いた政宗が、優しく彼女の手を解いて掛け布団に手を伸ばした。
「…もう一眠りする。夜明けまではまだ遠いからな」
彼女の問いかけにそう答え、その隣に身を滑らせる。
着物まで冷えてしまっていたのか、少しだけ逃げた彼女を深く引き込んだ。
やや迷惑そうな声が聞こえたけれど、それが本心からの拒絶でない事は分かりきっている。
しっかりと抱き込んでやれば、彼女はすぐにいつものように安定できる姿勢を探すように小さく身じろいだ。
漸く落ち着いたらしい彼女の額に唇を寄せれば、小さく微笑んだのが分かる。
「おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
程なくして、彼女の寝息が聞こえ始める。
四肢の力が完全に抜け、その意識が眠りへと誘われた事を教えてくれていた。
それでも縋るように着物を握る手だけは離れる事無くそこにある。
政宗はその光景に小さく頬を緩め、そして静かに瞼を閉じた。
08.03.09